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世界大樹と狐の唄  作者: 春ノ嶺
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
82/293

5-8

 今わかっている事を並べてみた。


 ここは千羽大樹研究所遺物研究棟という場所で、建物外は有機物を漏れなく溶かす毒で満たされている。仮に生身で外に出た場合、生きていられる時間は人間である3人の研究員達で5分、アリシアでも30分。

 彼らはこの毒を中和する薬品を製造し脱出しようとしている。

 現在は2506年2月23日、彼らがここに閉じ込められてから9ヶ月が過ぎた所である。

 アリシアがこの場に居るのは当然であるものの、現実では男物のシャツとジーンズを無理矢理着込んでいたのに対し、男3人の仕事場には絶対無いだろう白いワンピースと白いカーディガンがここに存在してしまっている。

 これは現実ではないが、つい先程までの記憶は完全に欠落しており、この異常事態を異常と証明する術は無く、ついでに、記憶を失ったにも関わらずこれを異常と認識できた理由も不明。

 そしておぼろげながら、アリシアはこの後彼らがどうなるかを知っている。


「…………」


 意味は無いが、なんとなく内部記憶領域以外の媒体に記してみたかった。ワードソフトを立ち上げてそれを書き終えたのち、本来ならばCドライブ直下にあるはずの日記(のような箇条書きの何か)が存在しない事を確認、一度パソコンから目を離し、椅子に座ったまま右に目を移す。この時期は様々な要因により意見対立が苛烈を極めた頃である為、3人の研究員はそれぞれ一言も発さず、毒素を中和できる成分の組み合わせを探している。言うだけなら簡単だが、まさしく無数にある選択肢の中から、毒を完全に沈黙させ、かつ人体に無害で、混ぜられた薬品同士が喧嘩しないという条件を満たした組み合わせを探すのである。もちろん、この研究所に残された物資だけで成さねばならない。

 結論を言ってしまえばその試みは失敗に終わる、まったくの無駄、という訳では絶対に無いが、その苦労が報われるのは今から117年後だ。この時代の平均寿命45歳、どれだけしぶとく生きたとしても100を超える事は無い彼ら人間にとってそんな事は知り得るものではない。

 だからこそか、突然放り込まれたこの状況に混乱する以上に、アリシアの思考回路は別の感情を出力し続けている。当時はこんな煩わしいもの、存在すら認識していなかったというのに。


「はぁ……」


 僅かに聞こえた溜息に、何か重要な事を忘れている事を思い出した。それは記憶領域から探し出した情報ではない、アリシア内部に存在する情報を保存し得るすべての領域から大半の過去の記憶、今から見て未来の記憶は跡形もなく消滅している。だというのに、この情報は一体どこに留め置かれていたものなのか。

 とにかく溜息が聞こえた方向に目を移す、溜息の主は東洋人らしい癖毛の黒髪で、両目はハイライトを失っており、ただただ惰性によってパソコンのキーボードをタッチしている。ひとつの建物内に閉じ込められ、日々の食べ物は実験用として飼育していたマウスと犬、酸素生成を兼ねる植物のみ。説明の必要も感じられないほど人間が生きるに当たって必要な条件を満たしておらず、ここまで9ヶ月、結城ゆうき助手はあの有様であるものの、少なくとも発狂してはいない。

 だが、今は2月23日、このどこから来るかわからない記憶が正しければ。


「……はぁー…」


 彼を観察している間に、部屋の隅にいた西洋人、ワイズマンが無言で立ち上がった。特に定時というものは設けておらず、時間感覚もとうに失っているため、休憩は取りたい時に取る。それも決めた事ではなく、人間関係崩壊の結果なのだが。

 ワイズマンが出ていった直後、結城とは違うニュアンスの溜息を日向が吐き出し、自らも睡眠を取るべく自室へ向かっていった。室内には結城とアリシアのみ、結城もまもなく引っ込んでしまうだろう。


「少しよろしいでしょうか」


 ここは夢の中、何をしようが現実が変わる事は無い。すべては100年前に終わった話だ、人工知能を搭載し展開する全個体がデータリンクされたロボットに光線銃を持たせて戦争する時代だろうが、無数の隕石と核爆発で大地がならされ海しかなくなった時代だろうが、物理法則が存在する以上、過去が変えられないという点においてはまったく同じである。

 にも関わらず、アリシアは立ち上がり、彼に声をかけていた。


「んぁ…初めてだね、君から話しかけてくるのは」


 言われてみれば確かにそうだった気はする、結城のみならず他の2人に対しても似たようなものだが。死んだ目のまま彼はにへっと笑い、化学式を羅列する作業を止めファイルを保存、キーボードから手を離した。


「あなたは以前…ここに閉じ込められる前はどんな事をしていたのですか?」


「よく覚えてないなぁ、太陽の光が苦手だからねぇ、今と大して変わらない気もするよ」


 意外にも、というか空気と同化しそうなほど無口で存在感の薄かった彼の印象からは考えられないほどフレンドリーな口調である。無理して話しているようには見えないが、これが本来の性格なのか、それとも明日、自らの命を絶つともう決めているからか。


「では、脱出後にしたい事は?」


「そりゃあ色々…あったような気がするんだけど、なんだろう、やっぱり思い出せないな」


 おそらく後者だ。


「もう、考えるという事をしなくなってきてるんだよねぇ」


「……ですがまだ生きています、思考を止めてしまっては人間として生まれた意味が…」


「それなんだけどさ、考えるのをやめたら人間なんて雑草くらいの価値しかないってのはわかるよ。でもさぁ、自由も何もないこんな狭い場所に閉じ込められて、満足に物思いにもふけれない状況ってのは、それって生きているって言えるのかな」


「っ……」


「死んでるのと何が違うんだろう」


 アリシアの動きが止まる。

 何ひとつ変化の無い生活、日々の食事さえ楽しみを失っているこの有様で、正常な思考、精神を保ち続けるのは困難、いや不可能である。他の動物が持たない思考能力こそが人間を人間たらしめる唯一の要素であるため、それができない環境において、死んでいるとは言わないまでも、人間としての存在意義を感じる事は可能だろうか。

 絶対的な結論が出る日は来ない、それは理解している。


「だからもう……わな…………がと……」


 反論のできぬまま、最初と同じように視界が白で急速に埋め尽くされ

 そしてまた世界は反転していった。

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