4-18
「本日晴天なれども波位高し!皇国の興廃この一戦に有り!各員一層奮励努力せよ!」
「いや波位高いどころか大荒れだし、皇国じゃないし、あなた部外者だし」
「言ってみたかっただけである!気にするでない!」
3日目の日の出を迎えてから全速航行へと移行し、三笠が予定地点に到着した頃、あの枯れた大樹は既にその全容を嵐に呑まれていた。
波は荒れ狂って三笠の巨体を揺らし、横殴りの雨が容赦なく打ち付ける。通常、こんな状況下での戦闘など有り得ない、激しく上下に揺れていてはほぼすべての砲が照準できず無力と化し、雨に打たれる乗組員は士気を下げていく。しかし今回の相手は人間の操る軍艦ではない、嵐の中でしか戦えない以上、無理を承知で突入するしかないのだ。
「それはさておき、あれが噂の”わいるどはんと”かの」
雲の壁、という表現が正しいだろうか、直に見たワイルドハントは明らかに普通の台風とは違う威容だった。既に三笠は台風内部に突入しており、現在風速15m/s以上の強風域、その内側に壁がある。
高度1000mからおそらく台風頂点まで伸びる垂直に切り立った雲が左右の水平線まで続いている、ワイルドハントを包み込むようにこの壁があるとすれば推定される直径は60km、至る所で雷の閃光を上げつつゆっくりと回転運動を行っていた。間違いなくあれがワイルドハントの本体、未だ一切の攻撃が無いものの、あの線を越えればきっと開始される。
ここより先に進めば敵と見なすと、威嚇するように響く雷鳴を聞きながら雪音は改めて状況を確認するべく周囲を見回した。艦橋中央前部の舵輪に操舵士、左の隅っこに音声無線機と通信士、その背後に艦長が立っていて、雪音はその右にいる。更に右には本職の巫女さんに喧嘩売ってるとしか思えない格好の兎耳、七海がおり、ここまで来てもなお上機嫌そうに笑っていた。内部は5人で目一杯、これ以上人が入る余地は無い。壁に守られたこの部屋より上にある露天艦橋は測距儀を艦内に退避させ、簡単に撤去できない羅針盤と伝声管のみが寂しく雨に打たれている。主砲、副砲は要員が配置されているものの役に立つ見込みが無い為に総員配置ではなく、余った人員を主艦橋、後部艦橋の左右に設置された7.92ミリMG08重機関銃と小火器の射撃要員、及び補給弾薬運搬役に当て、まだ可能性のある7.6センチ砲と、艦前後に2門ずつの計4門だけ残った4.7センチ砲は総員配置、ミリタリーマスト上の対空仕様MG08を扱う人員は体をロープで縛って決死の様相である、仮に沈没する事になれば即座に解いて逃げ出すだろうが。そして三笠の後方6kmに日進がいる、この荒波の中で密集した隊列を組めば間違いなく衝突するし、機関銃の流れ弾で同士討ちが出る可能性もある。三笠に万が一があれば急行し乗員を拾って逃げる算段である。
「仰々しいものを纏っておるの、竜が潜んでいる訳でもあるまいし」
「竜とは?」
「とある作り話じゃ、大きな入道雲には竜が住んどるらしい」
七海と艦長がそんな会話をしているうちに三笠はまっすぐ壁へと向かっていく、勢いよく降り注ぐ雨によって視界は最悪なものの、壁の下には既に敵と思われる動体が確認されていた。まだ遠いため詳細は不明ながらおそらく人、甲冑や具足に身を包んだ、狩猟団を形成する空を飛ぶ人だ。
まだ三笠は壁の外側、まだ襲いかかってはこない。
「……時に艦長、お主、名はなんと?」
「ぅ……」
来たか、と彼は短く呻く。ひょこひょこ跳ねるように寄ってきた七海の笑顔を流し見て、それから体の正面を向け会釈した。
「申し遅れました、私は穂高 邦彦49歳、階級は大佐です、連れ添って25年になる妻と貴女と同い年の娘がおります」
「そうかそうか、くふふふふ」
おそらく彼なりの全力「俺はお前になんか興味無いぜ」アピールなんだろうが、聞いた七海はいやーな笑顔。品定めするように艦長改め穂高の顔を眺め、ひとまず満足とばかりに反転して元の位置へ。
三笠はいよいよ壁に突入しつつある、遊んでいる余裕は無い。
「さあ来よるぞ、覚悟はよいか」
一際大きく三笠が揺れる、それを合図とするように兵隊がこちらを取り囲むべく動き出す。
甲冑も具足も赤で統一された一団だった、近くで見ると人間より大きく身長2メートル、刀や、薙刀や、弓で武装し、数は空を埋め尽くすほど。外観としては人間そのものであるものの、単調な動きから察するにたいした知能は持っていないだろう。艦上に緊張が走る、これからあれらを相手にしながら台風の目を突っ切って反対側へと抜けるのだ。主目的は戦力評価、率先して交戦する必要は無い。
「では始めます、よろしいでしょうか?」
「ええ、頼むわよ。……ん…?」
と、気を引き締めて雪音が言った時、壁の内部で何かが動いた。
「竜…?」
鎧を纏ったような金色の体には長い首の頭と4本の足、尻尾を備え、大きな翼を広げたトカゲのようなもの、そんなものが雲の間を飛び抜けていった。
ような気がした。
「ねえ、今何か見えなかった?竜みたいな」
「いえ、そのようなものはまったく」
見えたと思うのだが、正面の窓に張り付くようにして雪音は竜がいた場所をじっと見つめる。時折雷の走る雲の塊は絶え間無くうねっていて、さっき竜が見えた切れ目は消えてしまっていたが、そこより上にできた切れ目でまた金色の光が飛び抜けた。
金属板を何枚も重ねた大鎧を全身に張り巡らせた金色の竜だった、体長は尻尾を含めて15メートルほどあったろうか。今度は確実に視認して、直後に穂高艦長らへ顔を向ける。
「ほらいたでしょ!?ねえ!」
「いやあ……すみません自分には何も」
操舵士と通信士も同じ反応、何が何だかわからないという顔である。そんな、と呟きながら窓から離れ元いた場所へ。
「ふむ、キツネよ」
そうしたら七海に肩をつつかれた、相変わらず笑顔のまま雪音の正面に回り、顔に両手を添える。
「な、ななな……」
「動くな、眼を見せてみよ」
額同士がくっつくほどの距離に引き寄せられ、そのままにらめっこが始まった。たっぷり十数秒そのまま固まり、たまらず雪音が顔を引くと七海は笑みを深め。
「あなたまさか……」
「むう?そういう意味ではないが、儂は別に構わんぞ?」
「離れなさい!」
両手を振りほどく、背後の壁まで後退すると、それを見た七海がふふふと声を漏らし、次に肩の梓弓を降ろして左手に握った。
「いいじゃろ、儂が先行する」
「は?」
「大樹まで行っとるぞ、このまままっすぐ進み続けよ。何構うでない、いざとなれば自力で帰るでな」
言いながら彼女は右側のドアを開ける。
「ば…ちょっとぉぉぉぉ!!」
途端に室内へ飛び込んでくる雨と風に体勢を崩し、舵輪にしがみついた操舵士の腕に抱きしめる形でしがみつきつつ、よっしゃああああ!とか言いだす操舵士は無視して視線を七海へ。
彼女は一切濡れず、風にも吹かれていなかった。球形の見えない壁があるかの如く雨粒は弾け、風は避けていく。
「っ……状況開始!撃ち方始めぇ!」
とうに雲の下へ潜り込んでいた事に気付き穂高が叫ぶ。すぐ眼前まで迫った兵隊どもを蹴散らすべくすべての火器が発砲を始め、その咆哮を背に七海は左手の弓を前へ持ち上げ、弓懸の付く右手を弦へ。
途端に矢が出現した、白い、スズの尻尾や烏天狗の翼と同じ光る水晶のような素材で、矢を与えられた弦がギリリと音を立てて後退する。
「っし!」
右手を離すと矢は加速を始め、送り出すように弓が回転。三笠正面へ向け放たれたそれは200メートルほどを一瞬で飛び、そこで炸裂して衝撃波を撒き散らした。2体の足軽兵が直撃を受けて何も残さず消滅。
「ではな!」
ご丁寧にドアを閉めてから七海は跳んでいった。荒れた海に着水し、ぱしゃんぱしゃんと兎らしく、かなりの速度で疾走、すぐにその姿は見えなくなる。
「提督!?」
「よくわからないけど…仕方ない、このまま直進!千羽大樹へ!」




