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朱雀亭に戻ると昼食の準備が始まっていた。
「……うぉい」
「なんデス?」
昨日からなのだが、厨房には小毬が立っている。良い食材が手に入ったからとか何とか言っていた気もするが、何故彼女が率先して料理しているのかは不明であった、それが今ようやく判明した。
火にかかっている鍋は大小ふたつ、小さい方には醤油を加えた煮干しと昆布のだし汁、大きい方には単にお湯が沸かされている。その鍋達の傍では甘辛く煮た油揚げが用意済み、今すぐにでも美味しく頂ける状態だ。
そして最も重要なのが現在小毬が細切りにしている小麦粉の塊である。昨日の夜に練ったり捏ねたり踏んだりした後冷蔵庫で一晩、棒を使って薄く引き伸ばし、たった今折り畳んでから包丁で裁断している。茹でる直前に切るのに何かこだわりがあるのかどうかは知らないが、スズが話しかけてもその手が止まる事はない、お湯が沸騰する前に終わらせなきゃいかんとばかりに均一幅の麺を作り続ける。
ただただ単純に、うどん食いたかっただけなのだコイツ。
「いくらなんでも2日連続はないだろ!昨日もうどんだったじゃん!」
「何言ってるんデス、昨日はたぬきうどんだったじゃないデスか」
「具の話じゃないよ!うどんはうどんでしょうが!」
「諦めろスズ、四国北東部出身者に何言っても無駄だ」
厨房の向かいにある部屋の戸を開け日依は中に入っていく。大きな座卓と人数分の座布団が用意されており、既に着席している雪音は海図を広げてにらめっこ中、アリシア、香菜子と続き、座布団4つが埋まる。座卓の上には箸と、やはりというか酒の瓶があり、中には青梅と、色のよく染まった梅酒、瓶に添えるように食前酒用の酒器数個、酒を注ぐ為の杓子。
2ヶ月もの間ひっでえ生活を送っていたのだ、2日連続うどん如きで怒ることもない。
「ほれさっさと来い」
「はぁ……先にこれをやっつけてくる」
布で包まれた刀身を軽く持ち上げ、スズは自分の部屋へと向かっていった。簡単に掃除して、柄に装着し、鞘に納めて、しかるべき場所に収納してくるのだろう。
「……茹で上がる前に終わるんデスかね?」
「そこが一番重要なのですか」
厨房で切り終えた麺が取り分けられ6人前ぶんの束になっていくのを覗き込みながらアリシアは言い、沸騰したお湯の入る大きな鍋にそれが投入されるのを見届けてから姿勢を戻した。
非常に手際がいい、飲食店経営者と言われれば信じてしまう程に。
「花嫁修業でもしてたんだろ」
何を考えてるか察した日依が一言添えると、海図をじーっと見つめていた雪音が勢いよく顔を上げ、面白い事を聞いたとばかりに香菜子が目を輝かせ、厨房では人のずっこける音がした。
「してねぇーーーーデス!!」
「そうかぁ?斎院が小遣い稼ぎの一環として和服の着付け教室をやった時になぁーんか狸が1匹混じってた気がするんだが、花嫁修業でもないんじゃあの狸は何やってたのかねぇー」
「かっ…ぎぎぎぎ……!」
今すぐこっちに来て否定の限りを尽くしたい、なんて感じの唸り声が聞こえてきたが、彼女はうどんのベストな茹で上がりの為に自らの恥を受け入れたらしい。にまりにまりと笑う日依は無視、素早く立ち上がり、薬味の小皿を準備し出す。
「やはり最初は料理から始めるべきですの!?」
「知らん!」
「男ウケが一番いいのは肉じゃがじゃなくてカレーって本当なんですか!?」
「知らぁぁぁぁん!!」
以下しばらく質問責めが続く、その間に日依は杓子を持ち上げ、梅酒の蓋を開けた。やや緑色な液体を酒器に注ぎ込み、軽く香りを確かめる。
「何故こんなに必死なのですか」
「行き遅れるのは絶対嫌だって考えるタイプなんだろ、2人共仕事に拘束される時間が長いからな。ただまぁ香菜子ちゃんはそのうち何とかなると思うぞ、こんな仕事ができて面倒見よくて、酔っ払ったのを自宅に連れ込んで一晩中介抱(意味深)できる女を……」
「伯様!最後のいらないです!」
ひとしきり騒いだものの結局何も聞き出せず、仕方ないとばかりに各々酒器を取った。注いでるうちに小毬が薬味を持ってくる、まず七味の容器を中央に置き、小皿に乗ったネギ、ショウガ、ゴマを人数分、それぞれの前に並べていく。
「…………ちなみに姫様は……」
不意に、ぽつりと雪音が言った。
「礼儀作法は完璧、家事炊事は必要最低限です」
「いやそうじゃなくて、浮ついた話とか、出た事あるのかなーって」
「ん?」
最初アリシアは花嫁修業云々の話だと思ったらしい、しかしすぐに雪音が続ける。要するに恋人がいるのかいないのか、もしくはいたのか、人数はどれくらいなのか、とか、そういう話が聞きたいようで。
「異性との交友関係ですか?最も親しそうにしていたのは蜉蝣ですが」
「あんな姫様くらいの子供がいても不思議じゃない恐妻家のヒゲオヤジを異性と呼ぶのは無理がありますわ……」
「同年代、となると記憶にありません。知人としては確かに居るのですが、存在を認知しているだけですよ」
「ならまだ何もないのね」
周りに同年代の男性がいない訳ではない、いるというならお隣さんにもいた。ただしそれだけだ、遊ぶなどもってのほか、定期的に会ったりする事もなく、そも本人はそのお隣さんに住むひとつ上の少年の名を知っているかも怪しい。相性が悪いとかではなく、単純に興味がないのだろう。
ただ付け加えて言うならば、今のはスズから見た男性の話であり、男性から見たスズというと話は180度ほど変わるのだが。
「いやあいつは……ああそうか、知らないんだったな」
「え?」
なんて、ぽつぽつ話していた雪音とアリシアの会話に日依が割り込み、そして勝手に納得する。いつものように笑って酒器を揺らし、小毬が最後の薬味を並べ終えた瞬間、
言い放った。
「あいつ結婚経験あるぞ」
ぶぅぅぅぅぅんと、上空、というより真横を航空機が通り抜けていく。それに紛れて時折風の吹く音と、葉の揺れる音が聞こえてきた。気温は相変わらず高いものの湿度は低く、開け放たれた窓から窓へと通り抜けていく風は扇風機ほどの強さで肌を冷やしてくれる為、日影に入ってしまえば汗をかくことは無い。夏の正午、住人はほとんどが食事の為に屋内へ引っ込み、道行く人影はひとつも見当たらなかった。
「……」
「…………」
そして大多数と同じくここにも昼食を済ませようとする集団がいるのだが、そのうち1名を除いて動きを止めてしまっている。
小毬は左手で盆を持ち、小皿を座卓に置いた体勢のまま。
雪音は正座で、右手に持つ空の酒器を差し出しつつ。
それに酒を注ぐ為に杓子を持つ香菜子は笑顔で。
余程の事が無いと眉ひとつ動かさないアリシアですら目を見開いてフリーズ。
「苦いな……」
その中で唯一、日依だけが口をつけた自分の酒器をコトリと音を鳴らして座卓に戻した。
もう一度風が吹く、窓から入って室内を通り、ばたばたと音を立てながら廊下へと抜けていく。
「………………は…麺が死ぬ!」
まず小毬が正気に戻った。小皿を残して厨房へ駆け戻り、続いて香菜子、雪音と動きを取り戻して、その拍子に溢れた梅酒を慌ててキャッチ、瓶を元の位置に戻した後、酒器も置いて、同時にずいと日依に迫る。
「「どういう事です!?」」
「10にも満たない内から政治の道具にされるなんてよく聞く話だろうに、そこまで驚くほどのもんじゃないよ」
「それはっ…まぁ……お相手は!?どこの誰ですか!?」
「私の兄」
「なん…ですと……」
つまり、まぁ要するに。
あそこまで仲が良いのは、そういう理由なのである。
「あいつは皇族だが、女として生まれてしまった以上天皇になる事はできん。となると、あくまであいつを手駒として考えた場合、その利用価値は政略結婚にしかなかった訳だ」
「そんな……いやでもどこぞの馬の骨よりは……それでその!お兄様と姫様はど!どどど!どこまで…?」
「七五三を終わらせたばっかのガキ同士だぞ?何かできたとは思えんね」
「あ、そうですか……」
「なんだそのつまんなそうな顔は」
ならいーや、みたいに座布団へと戻った雪音は瓶を掴み杓子で酒をすくって香菜子の酒器に酒を注ぐ。就業時間中だけど食前酒くらいはね、と両者とも一気飲みした。
「スズが既婚者である事は理解しましたが、ひとつ疑問があります」
「ふふふ……ストレートに言ってやるな…」
意外にも最後まで固まっていたアリシアが口を開く。
そうなってしまっているのは仕方ないとして、まず皇族とは戸籍を持たず民間人ではない存在である。そのうち女性の皇族は結婚するとその時点で戸籍に登録され、以後皇族ではなく民間人として生きる事になる。が、結婚経験があるというスズは未だに皇族の枠内に留まっており、さらに実態を鑑みると、夫がいるなどとはとても。
「お相手は今どこに?」
「ん?ふふ。天国に行ってると信じたいね」
「……そうですか」
最後の疑問を問い終え、アリシアは再び黙る。
「たった2ヶ月だ、公表する事なく終わっちまった。一度はちゃんと手続きを終えたんだがな、何食わぬ顔して元に戻したんだ。そしてすべてを仕組んだのが今の内裏の頂点である葛葉の妃、私らの今の敵」
日依は笑いながら頭を指で叩く、
にやけ面ではなく嘲笑の顔で。
「完璧に頭のイってるクソ義母だ」




