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剣とは本来人を傷付ける為にある
だが、だからといって、触れたものすべてを傷付ける刃は、ただ鋭いだけのなまくらだ
それを決めるのは剣ではない、持ち主の心である
いつかこれを握る時が来たとき、どうか思い出して欲しい
善い、悪いではない、たったふたつに分別できるほど人とは簡単なものではない。例えどれほどの大罪人であろうと人は人、ひとつひとつの命に差などない
己が敵と認めたならば斬れ、しかしこれは人を斬るための刃に非ず
これは人を守るための刃である
「日依ー」
「なんじゃー」
ぽちゃりと餌の付いた釣り針が海面に落ちる、ウキの所まで糸が沈んで、そこで沈下が止む。
左右にひとつずつオールの付いた木製の小舟である、その小舟の右側に座って釣竿を握るスズは語尾を伸ばして気だるげに背後へ話しかけた。赤みがかった褐色のボブカットには緑に黄色のアクセントが入ったキャスケット帽、帽子の横から覗く形でヘアピンがひとつ装着されている。上着は本来なら緑地のジャージ素材で作られたパーカーだがそれは現在ウエスタンベルトと共に舟の後部で脱ぎ捨てられており、着ているのは黒のTシャツとデニムのショートパンツ。
「仕事してなくていいのー?」
「皇女様を接待中だ、立派に仕事だ」
さすがにその言い訳は無理があるだろ、みたいな事を言いながら、左側に立つ日依は大きく振りかぶるオーバースローでルアーをかっ飛ばす。背中中ほどまである燃えるような赤色の髪には麦わら帽子が被せられ、赤いタンクトップの上に白のキャミソールを着て、生地を2枚重ねたチェック柄のスカートを履いている。身長155センチ、だが厚底のプラットフォームサンダルによって多少かさ増しされている為実際はもっと小さい。
「まぁ、冗談は置いとくとして、斎院は今、大副官を長官にそのまま昇進させた場合どんな不都合が出るかの検証中だ、私はいちゃいかんのだ」
リールの軽快に回る音を聞きながらふーんと返し、しばらく微動だにしないウキを眺める。が、不意に疑問が生まれ、腰を回して日依に顔を向けた。
「え、神祇伯辞めんの?」
「お前と再会した、戦うべき敵もはっきりした、留まる意味がなかろう。何のためにあんな役職に就いたと思ってんだ」
日依はにやりと笑い、戻ってきたミノーを回収、再びオーバースローで投げる。
「後は元神祇伯って肩書きがあれば十分だ、私が辞めた途端に神祇官が敵に回るって訳でもなし」
「そりゃまぁ……」
視線を戻して釣り針を引き上げる、餌は無くなっていた。
「不安がない訳でもないがな、皇天大樹の常駐部隊が消えた途端に犯罪件数が跳ね上がりおった。急に抑圧から解放されたもんだから当然っちゃ当然だが、そう考えると秋菜ちゃんも一応は仕事してたって事になるな。………お…?」
新しい餌を付けている間に日依のロッドが大きくしなる、来たかと竿を置き見物するべくスズも左側へ。
「でかい?」
「でかい!でかいっつーか……なんだこれ強すぎる!」
「おいおいおい!」
海に引きずり込まれそうになる日依の腰を掴んで舟上に留まらせる。当初の狙いはスズキであった、大きく育てば体長1メートルにも達する大型魚であり、そのレベルのものがかかったなら女子の手には余るというもの。だがそれを鑑みてもこの獲物はハイパワーすぎる、舟ごと引きずられていくあたりサメでもかかったか。
「ちょっとこれ手に負えないでしょ!リリースしよう!糸切っちゃってさ!」
「待て待て判断が早すぎる!もうちょっと粘っとけ!もしかしたらすぐ疲れるかも……え…」
「は…?」
唐突に海面が盛り上がった。
その直後、爆発したように水が吹き上がり、巨大な骨が轟音と共に空を舞った。
「「うえええええええええええええええええ!?」」
いつも笑顔を欠かさない日依もこの時ばかりは目玉をひん剥いて腰を抜かす。小舟の上空を飛んでアーチを形作るその骨は全長40メートルはあり、形は鯨の骨格、肉も皮も無くただ骨だけのそれはそのまま海へと戻り、再び轟音を立てて海中へと沈んでいく。
ロッドは丸ごと持って行かれた。
「…………化け鯨?」
「ああ…まさか生きてるうちに見られるとは……」
一応、妖怪である、といっても継続的にこの世に居続けるものではない。
あれは数百年を生きた鯨の葬式なのだ、ああやって骨だけになった鯨を無数の魚や鳥が取り囲み、異界へと送迎する、ただそれだけの無害な現象である。目撃するのは非常に難しく、もし見ることができたら怖がる前に喜ぶべきとすら言われる。
「……スズ、手貸してくれ、立てない」
「そりゃ無理だ、あたしも立てない」
そのまましばらく、仰向けに倒れたまま空を眺め、
そうしたら突然、舟の先端に置かれていた無線機が声を上げた。
『伯様、少し問題が発生しまして、すぐ戻って貰えますか?…………伯様ー?』
「ああ、香菜子ちゃーん……」
トークボタンが押せない。




