3-13
「姫様!ひめざまぁぁぁぁぁっ!!雪音は心配致しゔぅええぇっ!!」
「うんうんわかってるよ、わかってるから今すぐ離れろ」
雪音の顔を掴んで引き剝がしながらスズは朱雀亭と看板に書かれた旅館に入る。まず玄関があり、その先、年季の入った黒い床の広間には火の付いていない囲炉裏が中央に鎮座して、周りに置かれた座布団のうち3つを占領した香菜子が横向きに寝転がっている。その反対側ではアリシアが正座しているが、横に一升瓶があり、淡いオレンジ色をした焼き物のぐい飲みを両手で持って、注がれた日本酒を舐めるように飲んで、いや成分を分析していた。よくよく匂いを嗅いでみれば雪音もだいぶキている、泣きながら喚いているのは酔っているからではないが。
離れようとしない雪音に手刀をかましてげひゃっ!とか言わせた後、玄関先で笑い転げる日依を放ったらかしに靴を脱いで広間に上がると同時に高齢の女将さんが奥から出てきたが、ほっといて構わないと言うとお辞儀して引っ込んでいった。アリシアの右隣に座りながら一升瓶をちらりと見る、白い紙に銀のラインが描かれている、左側に天覧山と書かれたラベル。
「味わかんの?」
「旨味成分の量から推測はできます、飲み込む事自体に意味はありませんが」
「……香菜子ちゃん大丈夫?」
「そうですね、できれば手遅れになる前に医療機関で指導を受けて頂きたいのですが」
「?」
ようやく落ち着いた雪音が囲炉裏の角を挟んでアリシアの左前に、遅れてやってきた為に座る座布団を失った日依はまず寝息を立てる香菜子の後ろにしゃがみ込み、転がして仰向けにしたのち胸をわきわきし始めた。
「起ーきろー」
「んん…んー…?」
起きない。
「……まぁいい、本題に入ろうか。この状況が発生した過程は全員理解してるのかな?」
「ええと……あのー…忘れた」
「だからまず秋菜ちゃんが恋をして……」
「あきっ…!!」
日依は引き続き胸を揉みつつ、スズはぐい飲みをアリシアから受け取りつつ会話を始めたが、雪音はその名を聞いた途端に激しく痙攣した。ああ、そういえば同い年で同期であったか。
「覚えてるんだ?」
「アレと同じ入隊式を受けた事は私の24年間の人生に燦然と輝く黒歴史です……」
思い出したくないものを思い出した、そんな風に一升瓶を掴み、囲炉裏の端に置いてあったぐい飲みを持ち上げ、何も言わずに第2ラウンドを開始してしまった。恐らく事の顛末は知らないが、すべて察したようなので良しとする。
「アリシアは?」
「どうせ聞いても仕方のない事なのでしょう?」
正に。
「それよりも、これが何なのか教えて頂けますか?」
和紙が1枚、アリシアのポケットから現れた。
長さ15センチ、T字と丸を組み合わせた人型で、腹の部分にミミズがのたくったような書体で召喚法体 登谷式札と書かれている。
最初は犬のような物体で、殺すと消えて、これが残ったという。
「陰陽術で使われる式札だな、奴も一応は政官一族の出だ、式神くらいは扱えるだろう」
「式神というのは?」
「妖怪や荒神を召喚し実体化させた上で使役する術、ていう感じかね。スズ」
「ほい」
アリシアの持つ式札に左手を伸ばし、指で僅かにつついた。途端にそれは自分で浮き上がり、ザザとノイズを走らせる。
「わっ…」
ノイズが終わった後、アリシアの膝の上に犬っころが落ちてきた。体長50センチ、白い毛並みで、身体的特徴は柴犬に酷似する。全身に施された隈取りは赤く、非常に細かい。
「札のキャパシティは?」
「史実種なら大抵はいけるんじゃない?伝説種は絶対無理」
「もっとしょうもないもんを予想してたが割と普通だな、どっちにしろ銃火器で対抗できるレベルか。しかしまぁ、実質的無限に戦力を増やせるという証左では……」
「に゛ゃっ!?ちょちょっと伯様!!」
「お、起きた」
話している間ずーっと揉まれていた香菜子が飛び起きた、睨み付けてくる香菜子をからかうように笑い、日依はようやく座布団に座る。
「揉むと増えるって言うし」
「だったら自分にやればいいでしょ!」
「ふはははは!そもそも揉めなきゃ意味がねーんだよ!」
ぎゃあぎゃあ始めてしまった2人に小さく溜息、視線を逸らして左を見る。
「アリシア?」
尻尾をばたばた振り回す柴犬を膝に乗せ、胴体に両手を添えたままアリシアは固まってしまっていた。その目はじっと柴犬を見つめている、それこそ穴が開きそうなくらい。
「……アリシア?」
「こ……大至急教えてください、この幸福感はどう表現すればいいのでしょうか?今のところ視覚情報と触覚情報に反応していて、身体のフォルムというかライン…丸みを……ああ、言葉が足りません、助けが必要です」
「落ち着け、いいから落ち着け。たぶんそれは……」
「あっ……」
と、いきなり柴犬は背景が透けるように薄くなって、元からいなかったかの如く静かに消えてしまった。調査目的だったので、そんな長続きするほど力を込めていなかったのだ。
「ああ……」
「うん、次からは”可愛い”って言いなさい」
膝に落ちた和紙を見ながらまた黙り込んでしまったアリシアから目を離し、なんとなく雪音を見てみる。あんな生ゴミの話など聞きたくもありませんとばかり日本酒を味わう事に集中していた、すぐに目をスライド。
「それであたしらはどうすれば?」
「む…まぁとにかくだ、かなりの損耗状態にあるとはいえ秋菜ちゃんの現有戦力は十分警戒に値するが、ジャミングをかけている今なら皇天大樹に通報できないし増援も受けられない。今が好機だ、無線交信以外の方法で連絡を取られる前に奴をぶちのめす。それに当たって陸戦隊に協力して欲しいのだ」
「鳳天大樹の兵隊は使えないの?」
「今は動かせん。これは本格的な反乱を起こす為の前哨戦だが、皇天大樹に気付かれず行う必要がある。正規の軍隊はすべての行動を記録に残さなければならないからな、何をやったかが必ず明るみに出てしまう。そうなりゃ次に始まるのは血みどろの殺し合いだ、大騒ぎするのは嫌なんだろ?だから現状、正規の軍隊ではなくなり、かなり融通の利く立場にあるお前達に頼まにゃならん」
アルコールの過剰摂取による強烈な頭痛が始まり顔を膝に埋めるようにして丸まってしまった香菜子の横で日依は話す。どうかね?と雪音に問い、戦艦1隻の入港許可を頂ければ十分可能と返答。
「どこに隠れていますの?30.5センチ砲の用意もありますよ」
「殺る気マンマンだな……今は居場所が掴めん、どこかに隠れ家を持っているのは確かだが、尻尾を出してくるまではなんとも。そこで釣り餌が必要になる訳だが、スズ、奴が食いついて来そうな話の種といえば?」
「狸?」
「そう、2度も虐殺を起こしてまだ生きている、それが気に入らないという理由だけで未だに追い回している。お前達に加え小毬の協力があれば、後は簡単な話だ、釣って、網ですくえばいい。では小毬は?さっさと逃げればいいのにまだこの樹にいる、何に執着して留まっていると思う?」
「……鴉天狗」
「その通り」
簡単にまとめると、狸と鴉は幼馴染み、そこに生ゴミが割って入って、狸と天狗を虐殺、それぞれ1人ずつが生き残り、そのうち鴉は暴走状態、狸は隠れながらも動き回っている。
その行動は何の意味を持つかと考えると。
「あいつは幼馴染みを助けたいだけだ、生ゴミの事なんぞ眼中にも入れてない。従って、最初にやるべきは天狗への対処という事になる」
「その生ゴミは何もしてないの?天狗が好きなんでしょ?」
「ん?ああ…ああいう人間が落ちる恋ってのはびっくりするくらい冷めやすいもんだ、ちょっと恥をかいたり、ブサイクな顔を見せられたりしただけでな。天狗の暴走が始まって、訳わからん事を喚きながら人を襲い出した時点で恋は終わってる、ゲンメツしたってな」
「………………」
「……………………いや、すまん、アレを生ゴミ呼ばわりするのは生ゴミに失礼だった、少なくとも農業の役には立つ」
話し終わって、日依は立ち上がった。奥まで行って、女将さんを呼び出すように壁を叩き。
「食事の用意を頼む。それから弁当を作ってくれ、1人分だ」




