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さてこの飛行船、旧称第12航空船であるが、未だ本格的な決起を行わず、敵側も離反の事実を隠しているため、反乱を目論む皇女様の御召艦ならぬ御召船になるに当たってそのわかりやす過ぎる名前は不都合であった。こちらとしては準備が整っていないので動けない、あちらとしてはスズの存在を下手に公表するとそれだけで政権が転覆する恐れがあるので黙っているしかない、といったところで、表向きにはまだこの海は平和の内にある。つまり、第12航空船という名前を見ただけで軍籍を持つとわかる船が、特に任務がある訳でなくあっちにぶらぶらこっちにぶらぶらしていたら間違いなく怪しまれるのである。よって名前を変える必要があった、その件についてセディと雪音とアリシアの間で
「グラーフツェッペリンがいいわ、あれだけ大きい船なんだから相応の名前にしないと」
「シスター、それは現在そちらが建造中の飛行船に予定している名前でしょう?使ってしまっていいの?」
「あら、それじゃあ……ヒンデンブルクは?」
「縁起悪すぎでしょ……」
「……要するに、過去存在した偉人や偉物のうち、今後の航海に当たって幸運を祈願できると思われる名称を引用すればいいのですね?」
なんて会話があったとかなんとか。
秋津洲の艦尾にある塔に登り、そこから船首部分の出入り口を使って乗り込む。船体の内部は上下に区切られていて、大部分を占める上部はヘリウムガスが詰まった複数の袋とエンジンの燃料に占拠されている。下部にはいくらかの船室、偵察機格納庫、爆弾倉。その下にゴンドラがあり、一行は下部を通ってそこに辿り着くと、まず船長の敬礼を受けた。
「大霧と申します、お顔を拝見させて頂き光栄であります」
「ああ…うん…うん……」
「……えーと…」
自己紹介を受けたスズはこの世の終わりみたいな顔をしており、船長の大霧さんは何かまずい事をしたかと困惑気味。気にしなくていいと言いつつ雪音がゴンドラの中央に陣取り、右手を前に突き出して船長を含む乗組員へ下令。
「これより離艦、黄金の雌鹿号は艦隊に先行し鳳天大樹へ向かいます。繋留塔切断!」
号令してすぐ、飛行船は秋津洲を離れ一目散に上昇していく。呻き声のような叫び声のような悲鳴を漏らしながらスズはアリシアに抱きつき、邪魔ですと引き剥がされているのを見て、大霧はあっ(察し)みたいに頷いた。
ゴールデンハインド、AD16世紀に建造されたガレオン船で、GPSどころか詳細な地図もなく、帆に風を受けるかオールを漕がないと推力を得られないという時代に世界一周を成し遂げた偉大な船の名前である。私椋船(≒海賊船)という点には目を瞑ろう。当時の船長はドラコの異名を持つフランシス・ドレイク、史上初の世界一周はフェルディナント・マゼランとビクトリア号のコンビだが、マゼランは旅の最中で(意外としょうもない理由により)死亡しているため、船長が生きたまま、という条件を加えれば彼とゴールデンハインドが初である。この命名はアリシアの提案で、ゲン担ぎにも申し分なく、また他に候補も無かったためそのまま採用された。もっとも、借りてきた猫みたいになっているスズにはどうでもいい事だろうが。
「それでスズ、鳳天大樹という場所には何をしに行くのですか?」
「うん、簡単に懐柔できそうな奴を当たれっていうから、とりあえず日依に会いに行こうかなって」
雪音は言う、決起を起こせば絶対に成功すると確信できるからこそ取れる選択肢が増えているのだと。
手っ取り早く済ませたいなら今すぐスズの存在を大々的に宣伝し、腐った政治家共を抹殺せよと煽り立てればいい。瞬く間に味方は増え、息つく間もなく皇天大樹へと攻め入り、スズ自身が何かする事もなくこの歪な世界は終わりを告げるだろう。しかしそうした場合に代償として支払うのは人の命である。正面からぶつかり合うふたつの勢力、広がる戦火、指数関数的に増える死者。我々がしたいのは戦争じゃない、それは真っ先に取るべき手段ではない。もっと穏便に、水を染み込ませるような手段をまず模索するべきだ。
要は頭をすげ替えるだけのクーデターで済まそうって事である。
「神祗伯という役職につく方ですね、宮中行事を司っています。直接政治に関わっていませんし地位もそれなりですが影響力があります、大内裏への浸透を行うなら真っ先に味方に付けるべき方ですわ。私は会った事が無いのですけれどラジオ放送を聞いた事があって、とても理性的で、穏やかで、優しいお声の方でした。ああもちろん狐の方です」
「ふふはは……」
「?」
陶酔したように話す雪音だったが、スズからは乾いた笑いが返ってきた。優しい人間という認識には肯定も否定もせず呟く、まぁとにかく会いに行きゃいいね。
「政治で役に立つかどうかは別として、仲間にしといて損は無いでしょ。少なくとも海坊主くらいなら瞬殺してくれる」
「戦闘能力を有するのですか?ということはヒヨリという方もスズと同じ天狐なのですね」
「いや、あいつはもう野狐だとか天狐だとかいう分類から逸脱してる。強いて言えば”九尾”だけど、あいつを語る上で重要なのはそこじゃ無…うううおっ!」
十分高度を取ったゴールデンハインドは一気に加速を始めた。メインエンジンが動き出し、外の景色が流れていく。
「……あたしもそれなりに西洋魔術とか他の宗教とかかじってるけど、あいつはもうそんなレベルじゃない、極めてる。西洋でも有名らしいね、百の術を持つ女って」
ほとんど風は吹いていない、飛行船が墜落するはずも無いのだが、それでもスズは怖いらしい、露骨に窓から目を逸らした。
「九尾の狐、東洋の魔女。いろいろ呼び名があるけど、その中でも一番目立つひとつの能力を取ってこう呼ばれる事が多い」
そしてそっぽを向きつつ左手の人指し指を1本立てる。
「ドラゴンライダー」
「狐が竜に乗るのですか?」
「そう、わけわかんないでしょ。……ねえこれ着くまでどれくらいかかんの?」
「心配なさらず、あっという間に着きますよ」




