2-15
何故抗うのか。
いや、何故抗えるのか。
「中将……」
「わかっている」
第1水雷戦隊はもう駄目だ、どれだけの武器で身を固めていようと戦う意志を持たない兵が役に立つことは無い。見事な絨毯爆撃だった、物質的ではなく、精神的に。
続いて送り出した第18戦隊天龍、龍田も、まるでそこに来る事を知っていたように三笠からの砲撃を受け追い散らされた。こちらも精神を折られたように遁走する。そうこうしているうちに第3水雷戦隊は第6艦隊の背後に付き、戦艦1、巡洋艦2、駆逐艦11の軍勢となった。
あの放送が行われた時点でこうなる事はわかっていたのだ。
……何故わかっていたのだ?
「三笠を沈めろ、アレさえいなくなれば再び形勢は逆転する」
「了解。最大戦速、取舵!」
周りにいるのはただ逃げ惑うだけの役立たずだ、実質的に味方はもういない。それでも比叡は右舷を三笠へ向け全主砲を突きつける。
随伴艦は無力化した、それでも敵は逃げようとしない。まっすぐまっすぐ進み続けて、残り5km。
「斉射が来るぞぉ!全速一杯!面舵ぃ!」
医務室に連れて行きたいのにここにいると言って聞かない満身創痍のスズを残し再び一番上の露天艦橋、艦長が伝声管に向かって声を張り上げる。一拍遅れて三笠の蒸気機関も咆哮し、煙突から煤煙を噴き上げつつ定格出力を超えてもう少しだけの加速、破損覚悟の最大速度に達した。
それでも金剛型には追いつけない、艦首をぴったり比叡に合わせつつも同航に近い形態となってじりじり離されていく。
「敵艦発砲!」
「総員衝撃に備え…ぐぅ…!」
この至近距離だが奇跡的に外れた。三笠の右に至近弾が落ち、巨大な水柱が船体を揺らす。こんなもの海坊主の体当たりに比べれば大した事はない、足を止めるなどありえない。
軽巡洋艦球磨が駆逐艦4隻を引き連れて比叡の進路に先回りし複数の魚雷を発射、海面に白線が現れ比叡へと引かれていく。艦前方へ向かって進路を塞ぐようにばらまかれたそれのために比叡は右への急速回頭を余儀なくされ、三笠とはT字の位置関係となる。全砲門を向けられている事に変わりないが、その分距離は更に縮む。
「主砲照準!」
こちらが指向できるのはたった2門、三笠を前弩級たらしめる最大の要因である。副砲門数なら圧倒的なのだが、それらのほとんどは前後へ向けられない。それでもこの近距離だ、命中率は大幅に上がる。
通常なら考えられない距離にいる敵艦を砲塔が睨み付け。
「てぇーーッ!!」
「馬鹿な…!」
横からぶん殴られたような衝撃が収まった後、比叡前部甲板には大穴が穿たれ、直近の第1主砲塔は穴へのめり込むように傾斜してしまった。
戦闘力の4分の1をたった1発の被弾で喪失。
「12時方向から敵爆撃機!向かって来ます!」
「放っておけ!あんなもので戦艦は沈まん!」
ただひたすら、ヤケを起こしたように直進してくる三笠を睨む。もう4kmもない、8km前後で撃ち合う事を想定され作られた艦でいったい何を考えているのか。
「主砲を…!」
「1時方向!魚雷接近!」
「ぐっ……面舵一杯!副砲を使え!」
これでは狙いが付けられない。落ち着いて照準し、発砲ができれば絶対に当たる距離だというのに。
魚雷を回避し、その分だけまた接近した三笠へ向け15.2センチ砲が当たり所構わず撃ちまくる、三笠左舷で爆炎の花が咲く、あんなものでは戦闘力を削げても船体は傷付けられない。お返しとばかりに主砲が咆哮、第2主砲塔に浅い角度で命中し、装甲が金属音を上げて弾き飛ばした。
「爆撃機!爆弾投下!」
「無駄な事を……む…?」
直上を見ると確かに爆撃機はいた、ただし先程水雷戦隊に行ったように編隊でまとまった数の爆弾を落とすのではなく、たった1機で、たった1発。しかもまるで見当違いの場所に。
ただの下手糞、ではない、彼らの実力は先程見た通り。
理解できないまま、その爆弾はぽちゃりと比叡の左舷500メートル、三笠のちょうど反対側に着水し。
水柱、なんてものじゃない。
爆弾内部に仕込まれていたのは炸薬ではなくふたつに分けられた濃縮ウラン、それが着水後に信管を作動させ、僅かに詰められた火薬を燃やすと、それによってふたつのウラン塊は衝突する、結局はそれだけのものだ。臨界できる量に達したウランが核分裂を開始し、最初に分裂した原子は周りの原子へ中性子を飛ばして、それを受けた原子も分裂を始め、その連鎖反応を連続して、一瞬のうちに引き起こす。
「…………」
空気を揺るがしつつ天高く舞い上がった水混じりのキノコ雲に、戦闘中の全艦艇、滑走路上の防衛隊、民間人、爆弾を落とした当人すら混乱を起こして喚き立てる中、アリシアだけが冷静に、無言のまま爆心点を見つめていた。
これでも威力は最小限である。
『こちら蜉蝣!あれは一体何だったんだ!』
「核兵器、原子爆弾です。詳しい説明はできません、この世界に核拡散防止条約はありませんが、私の中では生きている命令ですので」
『核……わかんねえけど、わざと外せってのはこういう事か…!』
「はい。ただちにそこをお離れください、加害効果は終わっていません」
キノコ雲の根元、敵戦艦は動力を失ったように減速し、衝撃波によって発生した津波にすべての船体、及び上部構造物のほとんどを飲み込まれた。投下地点が近すぎる、沈めてしまったか、と思うも、すぐに戦艦は浮上し無事な姿を見せる。おそらく水面下は悲惨な事になっているだろうが。
「三笠、こちら防衛隊。そちらの機関は無事ですね?」
『おいコラアリシア!!いったい何をやらかしおった!!』
「スズ、そこにいましたか」
『そこにいましたか、じゃない!!何をどうやったらこんな爆発……痛たた…!』
何をどう、と言われても。それだけはどうしても言えないし、そもそも彼女に理解させるのは不可能だ。
「物見少将へお伝えください」
打ち上がり、落ちてきた海水の大瀑布を眺めながら。
「慌てている暇はない、2発目はないと」
「状況報告!!」
瞬間的に発生した津波、続けて舞い上げられた海水の落下を受け、比叡の上甲板に出ていた乗組員は一人残らず姿を消した。高水と艦長以下艦橋要員もここより一段上の露天艦橋に陣取っていたら今頃は海中だったろう、それは避けられたが、ずぶ濡れとなった電子機器はすべてが故障、伝声管からも返答が返ってこず、伝令を走らせなければならない始末。
神からの怒りの一撃、なんて戯言を言われても信じてしまいそうな大爆発だった。もちろんそんなことはない、これは瑞羽大樹から発進した爆撃機が投下した爆弾によるものだ、どうやったのか検討もつかないが、神などではなく敵の攻撃なのだ。
「機関正常なるも速力上がらず操舵不能!スクリューと舵が損傷したものと思われます!」
「主砲は!?」
「発電機に異常が発生!砲塔旋回不能です!」
「つまり何もできんという事じゃないか!急ぎ復旧しろ!試せるものはすべて試せ!」
艦長が怒鳴り声を上げて伝令を艦橋から追い出し、右舷側の窓にしがみつく。三笠はもうすぐそこ、2kmを切った。比叡に大損害をもたらした津波を遅れて喰らった所だったが、艦首方向からまっすぐ受けたため辛うじてながら乗り越える事に成功し、露天艦橋に立つ青色の狐ともども健在である。双眼鏡で見れば表情がわかるくらいに接近してきている。
「何故ここまで……」
喚き立てる艦長を尻目にぽつりと言葉を漏らす。
足を失い、腕も回らなくなった、だがそれでも比叡は耐えている。まだ終わっていない、この近距離とて三笠の主砲で比叡に致命傷を与えるには何十発と撃ち込む必要がある、それまでに砲塔を復旧できれば…いや。
何か見落としがある、前弩級戦艦というものについて。
まず大口径の主砲で砲撃を行いつつ接近していき、近距離に達したら互いに横腹を見せ合い副砲も交えての砲撃戦、それが前弩級戦艦の戦法だ、基本的には8km以下の距離で戦闘を行うよう作られている。火砲、及び高出力機関の発達によってそのセオリーは崩れ去り、無駄な小口径砲は廃した上でありったけの大口径砲を搭載、遠距離を高速機動しながら水平線上の敵を狙い撃ちにする。弩級、超弩級戦艦はそれをするために作られた、近距離での交戦は基本的に度外視されている。とはいっても装甲の防御力にも差があるのだ、たとえゼロ距離だとしても、三笠が比叡を一撃で撃沈するなどありえない。
遠距離でも近距離でも大した差はないのだ、では奴はどうして突撃してくるのか。あの爆弾が使われる事を知っていたなら、普通わざわざ巻き添えを喰うようなこんな距離まで接近してこない。
何か忘れている、三笠にあって、比叡にないもの。
「…………っ…!」
それを思い立った瞬間、大波に持ち上げられて一瞬だけ海上に露出した三笠艦首、そこに装備された兵器、いや兵器と呼ぶのもおこがましいほど原始的な攻撃手段を高水は目にした。
比叡の艦首は波を乗り越えるために下から上へ向かって全長が長くなる、船の先端と聞いてまず想像するラインだ。ドレッドノート以降の艦は多少の差異あれどすべてこの形状である、高速性能を維持するためにはそうならなければならないのだ。だがあの旧式艦は違う、上から下へと長くなる、そして突発的に大きな衝撃を受けてもひしゃげないような堅牢な作り。
すなわち、体当たりを前提とした突起がついている。
「中将!奴には衝角が!」
「わかっているなら早く艦を動かさんか!!」
気付いた所でもう遅い、三笠はすぐそこ、艦橋根元に狙いを定めてラストスパートを終わらせようとしている。
戦闘開始からもうしばらく、とうとうふたつの戦艦は接触し。
「掴まれぇ!!」
そうして三笠は比叡へと辿り着いた。
「提督!安全な場所へ!」
「つぅぅぅ……ここにいます!」
三笠の衝角が比叡の装甲に突き刺さり、内部へと貫通、轟音を立てながらその穴を押し広げ、衝角の上部にある真の艦首まで到達、ドォン!と衝撃波を発して船体は固定された。前のめりに吹っ飛ばされながらも雪音は手すりにしがみついて最上艦橋に留まる。
比叡艦橋には海軍正服姿の男が立っていた、ふたつの目を見開き、窓枠に掴まって、こちらをじっと見つめている。
「…………」
その瞬間、時間が止まったように感じられた。すべての音は聞こえなくなり、男以外から視界から消え失せる。
「機関反転全速後退!主砲を正面に向けろ!反動で引き抜くぞ!」
無論実際に起きた事ではない、そう感じただけだ。一時静まった三笠の機関が再び唸りを上げ、突き刺さった艦首が軋む。誰もいなかった比叡甲板にライフルを抱えた人影が現れ、それを認めるや否や4.7センチ砲が射撃を始めた。人が、物が吹き飛ばされていく。
そして主砲が真正面、艦橋へ向いた。
最後のトドメを刺す為に、繋がった船体を引き離す為に。
ようやく始まったこれを前に進める為に。
「主砲!てぇーーッ!!」
小口径砲弾が命中した瞬間、艦橋にいる人間は高水だけとなった。
窓に張り付いていたが、艦橋の一番奥に飛び込んでから炸裂したからか高水だけが助かった。背中が焼かれたように痛むが、壁にしがみつきながらも立ち上がる。
「…………あぁ……」
身を隠す事すらせず艦橋最上段に立つ、本来ならそんな権力を握るべきでない若すぎる女性。青い髪に藍の着物、敵である自分と、その先にあるものを睨む目を見て。
かつてあれほど大事にしていたのにいつの間にか失ってしまったものを彼女は未だ持っているのだと、唐突に、その感情を思い出してしまった。
もはや手遅れである自らとは違う、何も経験していないが故に何も失っていない、だからこそ可能性を残している。
「いいだろう……」
だというのなら。
「信念を貫く自信はあるな!すべてを投げ打つ覚悟はあるな!」
止められなどしなかったのだ。
「ならば撃て!そして行け!地獄の向こうへ!」
閃光を発する砲口と共にそれを見据えて。
そして今更ながら思う。
「世界を…!……」
本当に、つまらぬ人生であったと。




