2-12
-瑞羽大樹沖北1.2km地点、海上
「…………痛い……」
今更ながら、海に浮かぶスズは呟いた。
最初にぶん殴られた際に左手首を捻挫、蹴られた瞬間にアバラ何本かへし折られ、落着の衝撃で全身打撲、たぶんそんな感じ。もっとも普通の人間であれば今頃はミンチになっているだろうが。ついでに太刀と短刀を失い、ハンドガンもどっかいった。
少し動かすだけで悲鳴を上げる体を起こし、生まれたての子鹿のようになりながらも立ち上がる。大砲の直撃を喰らった海坊主はミンチとはいかないまでも5、6個くらいに分解され海藻屑へジョブチェンジを果たしていた。そこに艦隊が集まって陣形を整えつつあり、うち1隻、確か雪音が乗っている戦艦はスズを捜し回るようにふらふらしている。自力で帰るのもしんどいしあれに拾って貰おう、そう思って手を挙げ。
その瞬間、砲弾の落下に起因する巨大な水柱がぶち上がった。
「……は?」
意味がわからずそのまま固まってしまった。無論スズを狙ったものではない、海上にぽつりと浮かぶ人間を殺すために大砲なんて撃たない、そもそも海上に人が立ってるなんて思わない。あれは艦隊を狙ったものだ、着弾地点は艦隊中心からほど近く、警告射撃も無しに普通に当てようとしている。
誰がどこから撃っているかなどスズにはわからない。身長156センチ、水平線までは5kmもないのだ。もっと遠くを見るためには高い位置に陣取らねばならない、軍艦がこぞって高い位置に見張り台を設けるのはそのためである。
さらにもう1発、同じ場所に水柱が上がった。
スズには見えないが少なくとも彼らには見えているだろう、明らかに挙動を乱した戦艦を見。
傷だらけで動きたがらない体をそれでも前に進める。
-瑞羽大樹沖北1.4km地点、三笠艦橋
「一体どこの誰!?」
露天艦橋から降り無線機に貼りつく通信士に叫ぶ。彼も泣きそうな顔をしながら応答が返ってこないとばかりに首を振った。
まず狙われているのは敷島だろうか、3射目の水柱が上がり夾叉、照準が合い散布界内に捉えられる。どうすればいいかと指示を求められ、とにかく蛇行し続けろと返す。
やってる内にも砲弾は飛んでくる、三笠の射程外から。
「まぁ落ち着いてください。15km以上から当てに来れる艦はそう多くありません、このタイミングで現れる事が出来、たった数射で照準を整える練度としたらなおさら」
「っ……!」
「ふむ……たぶん金剛型でしょう」
双眼鏡で奴らを観察する艦長が冷静極まりない口調で言った。彼は筋金入りの軍人だ、得体の知れない妖怪なんかよりわかりやすいんだろう。
その艦はすべてが三笠よりも巨大である、214.6メートルの船体からは三笠と同じ副砲、備砲が顔を覗かせているものの、同じなのはそこだけで、攻、防、速すべてが一線を駕する。上部構造物は前から順に連装の第1主砲、すぐ後ろに背負う形で第2主砲、艦橋とミリタリーマストが続き、煙突2本、後部ミリタリーマスト、そしてまた煙突1本。第3主砲は直後にあるが、最後の第4主砲は少し離れている。
そもそもカテゴリーが違うのだ、老人会のゲートボール愛好家とプロゴルファーが戦うようなものだ。戦艦ドレッドノートという革新的な艦が生まれて以降、ドレッドノートに準ずる性能の艦を頭文字を取って弩級、それより強力なものを超弩級と称した。そして旧式艦のうちある程度の性能を持ち、弩級に対抗しうるものを準弩級、どうやったって勝てる筈の無いものを前弩級と呼ぶ。三笠は前弩級、あの艦は超弩級、まともに相手したとて勝負にはならない。
状況を整理する。艦長の読み通りであるなら、第6艦隊に覆い被さるように展開するのは皇天大樹基幹戦力たる第2艦隊の一部、海坊主が撃破された場合の後詰め、もしくは後片付けのために、戦闘が始まるずっと前から待機していたのだろう、そんなことは絶対に認めないだろうが。撃ってきているのは巡洋戦艦、金剛型。排水量27500トンは三笠の2倍近く、35.6センチ連装砲4基8門は2倍以上、最大射程もやはり2倍に届くかといった所。そして一番重要、速度差が相当ある、逃げられないし、接近もできない。
どうすれば勝てる、と考えること自体が愚かである。
「口封じ?証拠隠滅?だとしたら瑞羽大樹も攻撃対象に入る……」
「でしょうな、いかがしましょう」
「勝てる筈がない……どいて!」
急ぎ通信士をどかして無線機の前に立ち、マイクを掴んで送信に切り替える。喋り出す前に深呼吸、到底、そんなもので落ち着ける訳がないのだが。
「こちら皇天大樹第6艦隊、指揮官の物見です。貴艦は現在こちらの友軍を攻撃しています、直ちに発砲を中止してください。我々は伊和陛下の紋が付くとされる石の調査の為に展開しており、戦闘意思はありません。繰り返します……」
マイクに向かって同じ事を言う、それでも返事は返ってこない。いや、無線通信以外でいいなら返事が返ってきたと捉えてもいいものがひとつ。
水平線の間際、米粒みたいな戦艦がボッと爆煙を噴き出す。途端に敷島が急速回頭を始め、煙がほとんど拡散して見えなくなった頃、大きな水柱が敷島の船体を覆い隠し。
最後の1発と思われる砲弾は、水柱の代わりに閃光を発した。
「敷島に命中弾!」
耳を塞ぎたくなるほど強烈な金属音、次いで炎が艦尾から噴き出し、反対側の艦首が浮き上がる。
被害報告を聞くまでもない、機関は全滅し推力を失った。破口からは大量の海水が流入して、まもなく傾斜が始まるだろう。このまま放っておけば1時間足らずで海上から消え失せてしまう。
「提督!選択肢はふたつだけです!逃げるか、戦うしかありません!」
逃げる?戦う?アレを相手にどうやって?
マイクを握ったまま雪音は立ち尽くす。速度差はおよそ17km/h、全速で逃げたとしても振り切れる時は絶対に来ない。包囲陣形を敷いている以上むやみに距離を取ろうとはしないはずなのでこちらの射程にまでなら接近する事は可能だろうが、砲の性能差は威力だけではない、近付けば近付くほど向こうの命中率は指数関数的に上昇するし、三笠の30.5センチ砲で装甲を貫通できる可能性も薄い。それになおかつ、相手にするのは1隻だけではない。
どうすれば。
「なんだ…!?」
突如、艦長が声を上げた。何が起きたと首を向けると、彼の視線は相手艦隊でも沈みつつある敷島でもなく、背後、艦橋出入り口の先にある階段へ。
「い…づぅ…!」
鬼気迫る表情で、緑の着物を着た、茶褐色の狐耳の少女は艦橋へと飛び込んできた。全身傷だらけ、服はびしょ濡れという有様で。
それはもはや言い逃れすらできない格好だ、帽子で耳を隠してもいない、四尾で、耳飾りの付いた天狐の衣装は普通なら着る事を許されない高位なもの。連れ戻されるのが嫌だというならそれが人の目に触れる事は何よりも避けなければならないのに、彼女は転身を解く事なくここへ来て、艦長以下の直立不動を受けた。
「それ貸して!」
「え…!?」
「いいから!」
まず水平線上の戦艦を見、それから無線機を見、話す間もなくスズは雪音の手からマイクをひったくった。通信士に指で指示して無線機を設定させ、それを口元へ。
まさかやる気なのか、とまず思って、勝機が生まれた、と次に思った。
逃げ道ではない、攻撃をやめさせる訳でもない。確証などない博打ながら、圧倒的優勢な相手を切り裂く一撃。
呼吸するだけでも痛むだろうに、壁にしがみつきながら彼女は大きく息を吸い込み。
「聞けぇ!!」




