7-1
皇天大樹東100km地点、慶天環礁
第6艦隊、戦艦三笠
物見 雪音海軍少将
「キューバTLです、あまり苦くないのでそのままどうぞ」
「うん、私これ好きよ、ここまでさっぱりしてるともう緑茶でいいんじゃないか(個人の感想です)ってなるけれど、カリブの海原を彷彿とさせる爽やかな酸味と甘みはとても口当たりがいいし、本でも読みながらだらだら飲むのに適してる(個人の感想です)んじゃないかしらーーーーぁぁ……」
なんて朝焼けの赤い光を浴びながら執事とご令嬢よろしく言ってはみたものの、長官室の椅子に座る雪音は持ち上げていたコーヒーカップをかちゃりと落とすと、同時に自身もテーブルへ頭を打ち付けた。あの太陽が完全に昇ればタイムアップ、成果に関わらず彼女らは帰ってくる。この2日、余計な刺激を与えない為にも大樹への接近偵察は行う事ができず、上昇したゴールデンハインドから水平線にぼんやり映るそれを観察するくらいしかできなかった。どうやら昨日の昼には戦闘が起きたようだが、雪音が掴んでいる情報はそれだけだ。
「暇すぎて壊れるってこういう有様を言うのね……」
「待つのも仕事の内です」
スズの帰り道を確保するべくこの場所と艦隊を隠し通し、来るべき脱出に備え待機し続ける、とても重要な役割だとは理解しているが、実際のところ何をやっているかというと何もやっていないのだ。
「わかってるけど、やっぱり待つだけって嫌い」
のそりと椅子から立ち上がり、三笠最後部のドアを開けてスタンウォークへと出る。そこはいわばバルコニーのような張り出しで、元を辿れば帆船時代、船長の運動不足を解消するために取り付けられた遊歩道であるが、船自体が大型かつ鋼鉄製となったおかげでスペースに余裕が生まれ、甲板は水夫で溢れていて散歩なんてできない!なんてこともなくなってしまったので、三笠のこれはもはや長官室に住む人間のベランダ代わりでしかない、下士官からの印象が悪いからか、防御力を低下させると判断されたかは知らないが、かつて主力艦には必ず付いていたこのスタンウォークは急速に廃れつつある。
外に出た瞬間、潮風が雪音の耳と長い長い髪をたなびかせる。今いる環礁という場所は結果だけ説明すると育ち過ぎたサンゴが輪っかの形に海面から顔を出したもので、輪の内部はサンゴによって波から守られるため船舶にとって非常に最適な停泊地となる。モノによってはひとつの街を築ける程度の陸地を伴い、あいにくここは家一軒すら立てられそうにないものの、そういう大規模環礁は往々にして有力海軍に目をつけられるものだ。この慶天環礁も例外でなく、哨戒に出る日進と球磨、それぞれに随伴する駆逐艦2隻を除く艦艇16隻、及び休息を取る飛行船1隻が環礁内部で停泊していた。中心部にいる三笠から見て西側に朝日を浴びて輝く元第3水雷戦隊の新型駆逐艦6隻、東側には逆に朝日のせいで影しか見えない第6艦隊本来の旧型駆逐艦8隻が停まっている。そして南を向く三笠のすぐ左に秋津洲だ、艦尾の鉄塔にゴールデンハインドの船首を接続し、艦内の休息設備で乗組員が寝たり運動したりしている最中。
「三笠の状態は?」
「万全です、新造時と見間違えるほどの絶好調ですよ。まぁ、だからと言っても前弩級は前弩級なのですが」
雪音に続いてスタンウォークへ出てきた穂高艦長、やれやれという感じに言い、その後真横で横たわるゴールデンハインドが持つ白と緑の船体と、描かれた黄金の雌鹿に目を固定した、どうやら気にいっているらしい。
「!」
「とにかく、もうそれほど待たされる事もありますまい、今のうちに朝食を摂って、脱出行動開始の合図を……提督?」
「……逃げるには遅すぎるわね」
風に当たりながら艦隊をぼーっと眺めていた雪音だったが、急に、何の脈絡も無く、電波を直接受け取ったかの如く、西へと首を回し、そして水平線の先を睨みつける。その100km先には皇天大樹だ、元々巨大な大樹の中でも群を抜いて高い幹はここからでも確認できる、空中を漂う塵や水蒸気のためにモヤがかかった姿であるが。いきなりの沈黙に困惑する事数秒、弾かれたように雪音は反転、慌てて穂高も艦内へ。
「南に向かって環礁を離脱する、直ちに抜錨なさい」
「ど、どうなさいました?」
長官室、次の長官公室を素早く抜けて、中甲板廊下を早足で通過。その辺りでようやく上から人が駆け下りてくる、報告する遥か前に階段下まで辿り着いていた雪音にまず驚き、呼吸を整えてから姿勢を正す。
「日進隊より報告!西北西20キロメートル地点にて敵艦見ゆ!」
「ゴールデンハインドを切り離し秋津洲は待避!日進隊は北へ離脱し球磨隊はそちらへ合流!残る全艦へ通達!環礁を脱し敵を迎え撃つ!南西側で再集結せよ!」
「りょ、了解ぃ!」
瞬く間に通信士を突っ返し階段に足をかける雪音、しかし急ぎすぎたのか野狐の衣装だという藍染めの着物を手すりの突起に引っ掛けてしまい、んもう!とか言いながら外し出したので、穂高が下からそれを手伝う。
「腐っても狐、という事でしょうかね」
「何の話?」
「ああ、いえ、気付いていないなら構いません」
少しでも妙な力を加えれば破れてしまいそうなそれを慎重に外す、自由になった雪音が階段を駆け上がる、上甲板に達した途端、艦前部の艦橋へ向かって穂高が大声で指示を飛ばした。
「それで勝算は」
「ない!」
「は…」
「勝つ必要がない!」
がらんがらんと巨大な錨が引き上げられる、アイドリングし続けていた石炭焚きボイラーとレシプロ機関が出力を上げる。
「姫様から合図が出たら全力で西進します、それまで死ぬ気で踏ん張りなさい!」




