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■第63話 ナツの涙



 

 

こんな時間に飛び出していったアキを心配していたナツ。

戻ってきたその姿は雨に濡れて震えている。

 

 

 

ナツがバスタオルで慌ててアキを包み込み、心配そうに顔を覗き込んだ。


その顔は泣きはらして目元が真っ赤になっている。 

嫌な予感に、ナツが息を呑む。

なにも言わずナツの手を払いのけようとしたアキの指先に、

ミサンガの感触があった。

 

 

アキがナツの右手首を掴み、ゆっくり目の高さに上げる。

雨に濡れただけではなさそうな、そのアキの指先の凍るような冷たさに

身が竦むナツ。

アキは、それを仄暗い目でじっと見つめた。

 

 

ナツが、息を殺しかたまる。

なにも言えず、ただ黙ってきまり悪そうに目を逸らした。

 

 

 

 『これ・・・ どうしたの・・・?』

 

 

 

アキが低く唸るように呟く。

その、声色。

きっとアキは分かっていて訊いている。


嘘を言って誤魔化すことが出来る状況でない事は瞬時に分かった。 

 

 

 

 『・・・・・・・・・・ごめん。』

 

 

 

そのナツの消え入るような一言に、アキが激昂した。 『ごめんって何?!』

ナツの手首に巻かれたミサンガを引きちぎらんばかりに、強く引っ張るアキ。

 

 

『やめて!アキ・・・お願い・・・』 ナツが泣きそうな顔で手首をかばう。

アキの細い指のどこからそんな力が出ているのかと思うくらい、強い力で

引っ張られナツがよろけた。

 

 

 

 『やめて!! ・・・お願い、これだけは・・・アキ・・・。』

 

 

 

 

  (やめて・・・


   アサヒ先輩との約束が・・・


   約束・・・ 守れなくなっちゃう・・・)

 

 

 

ナツの脳裏に、アサヒの顔が浮かぶ。


入学式の朝、ダッシュして笑ったあの陽だまりのような笑顔。

ふたりで階段ダッシュして、笑いながら垂直チョップした大きな手。

修学旅行土産をねだったナツの両ほっぺをつねって引っ張った指先。

合宿の夜、体育座りをするナツを包んだ大きめのジャージの上着。

ナツの手首にミサンガを結びグータッチした、その拳。

ピアノの下でつなぎ合った手と手。

 

 

 

全部、全部、諦めることなんか出来なかった。

なかったことになんか出来なかった。

 

 

 

 アキを、泣かせたとしても・・・


 アキを、哀しませたとしても・・・

 

 

 

俯いていたナツが顔を上げた。

そのナツの頬には涙が幾筋も伝っていた。


一瞬ひるむアキ。

ナツの泣き顔なんて子供のころ以来見ていなかったのだから。

 

 

 

 『ごめん、アキ・・・


  今回だけは、あたし・・・ 無理かもしれない・・・。』

 

 

 

その言葉に、アキが顔を真っ赤にして掴んだナツの手首を振り払った。

その顔は怒りや悲しみで、みるみる歪んでゆく。

 

 

 

 『今回ってなによ・・・


  今回って・・・

 

 

  頼んでないじゃない!!


  ねぇ、私がいつ頼んだ??

 

 

  正々堂々としてよ!


  一番みじめなのは私だって・・・ いい加減気付いてよ!!』

 

 

 

アキの頬にも涙がとめどなく流れる。


ナツが呆然と立ち尽くす。

耳に聴こえたその言葉に、頬には尽きない井戸のように雫が滴る。

 

 

 

 『小学生のときの、ピアノ発表会・・・


  私の代わりに1等とったの、あれ、私が手を叩いて喜んだと思ったの??

 

 

  私を引き立たせる為にピアノも辞めて、習い事も全部やめて・・・


  私から勝手に離れてっちゃうのは、いつもナツじゃない!!

 

 

  私は・・・ ナツみたいに器用になんでもすぐ出来ないけど、


  でも・・・


  それを、卑屈に思ったことなんか一度も無い!


  私のこと、一番蔑んでるのはナツじゃない!!』

 

 

 

アキの叫びを否定するように、何度も何度も首を横に振るナツ。

顔をクシャクシャにして泣くナツの顔を見ると、アキも同じように

泣きじゃくった。

 

 

 

 『私は・・・


  ナツと一緒に、ふたりで習い事できることが、嬉しかったのに・・・


  ナツと、いっつも、一緒が良かったのに・・・


  たったふたりの姉妹なのに・・・


  ナツはすぐ、離れていっちゃう・・・

 

 

  先輩のことだって・・・ 話してほしかった・・・


  私が先に言い出したから、言えなくなったのは分かってる。


  でも・・・ 


  でも、私は・・・ 私はナツからちゃんと聞きたかった・・・

 

 

  私はいつもナツになんでも話すけど、ナツは私に何も言ってくれない。


  ナツは、私に気を使ってばっかで、一番遠い・・・

 

 

  他人より・・・ 遠いじゃない!!!』

 

 

 

泣き崩れるアキの横で、魂が抜けたように立ち尽くすナツ。

アキの長年積み重なった思いは、ナツを容赦なく打ちのめした。

 

 

その夜はそれきりふたり、一言も口をきくことなく過ぎていった。

生まれてはじめて、ケンカをした。

 

 


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