■第62話 別れ
『こんな時間にゴメン・・・
でも、今すぐ話したいことがあるから、出てきてくれないか?』
ダイスケと別れた後、アサヒはすぐアキに電話をしていた。
中々繋がらなかった電話。
電話向こうの息遣いや間に、アキが警戒している事は手に取るように分かる。
アサヒの言葉にも、なんとか理由をつけてかわそうと必死なアキ。
しかし、アサヒはこの時ばかりは折れなかった。
冷静にいつものやさしく低い声色で、『あじさい寺で何時間でも待つから。』
と言い、電話は切れた。
アキが落ち着きなく目を潤ませながら、切れたケータイを見つめていた。
小さく震える指先は、白く冷たい。
アサヒがこれから言うであろう話を受け止められる自信が無かった。
行きたくない。
あじさい寺になんか行きたくない。
秘密の場所なんか知らない。行けない。
混乱しオロオロしているうちに電話を切ってから1時間経っていた。
いまだ冷たい手で掴んだままのケータイ。
悪夢であってくれればと思わず震える指先で着信履歴を確認するも、
残酷にもそこにはアサヒの名前がハッキリと映し出される。
真面目なアサヒのことだから、アキが行くまで本当に待つつもりだろう。
もう窓の外はすっかり暗くなり、住宅街の常夜灯の灯りが藍空に煌々と眩しい。
悩み苦しんでいる間に、開け放した窓から微かに雨粒がアスファルトに小さく
落ちる音が静かに響きはじめていた。
急な雨に傘など持っていないはず。
小雨の中、ひとり雨に濡れながら佇むアサヒを思い胸が痛んだ。
アキが傘を差して玄関を飛び出していった。
自宅から程近くの、あじさい寺。
もう辺りは暗くて、寺に行く人などいやしない。
小雨が静かに降りしきる夜道を、アキは泣きそうになりながら駆けていた。
雨の跳ね返りも顧みず必死に駆けたそのあじさい寺の正門前に、
アサヒの姿があった。
髪や肩がしっとり濡れ、まっすぐ前を向いて佇んでいる。
『遅くにごめんな・・・。』 アキの姿を見付けるなり、謝った。
アキの目から我慢しきれず涙が落ちる。
ハンカチでアサヒを濡らす雨の粒をぬぐう。
『風邪、ひいちゃうじゃないですか・・・。』 アサヒにだけ傘をさしかけて、
その頬を、肩を、充分すぎるほど冷え切った白く細い手に掴むハンカチで
やさしく押さえる。
すると、その白い手をアサヒが掴んだ。
ビクっとアキの体は跳ねあがり、まるで恐怖でも感じている様に
怯えた目を向ける。
『オノデラさん・・・ 俺・・・』
言い掛けたアサヒを、アキが遮る。
『私・・・ 先輩が好きです。 大好きなんです。
悪いところがあったら直します!
最近、なんかほんと・・・ 私、泣いてばっかりで・・・
先輩を困らせてばかりだったって、分かってます。
だから!
だから・・・
もう・・・ わがままとか、
・・・言わない、から・・・・・。』
掴みかかるようにアキが懇願するも、アサヒが哀しげに目を逸らす。
アキの手からは傘の柄が離れ、石畳に忘れられたようにそれは転がる。
『私・・・ 別にいいです。
ひとめ惚れの相手は私じゃなくても・・・
一緒にいれば、この先、
私のこと好きになってくれるかもしれないでしょ・・・?
可能性はゼロじゃないですよね・・・?
私・・・ ちゃんと、いっぱい笑うから・・・
・・・ッ みたいに・・・
ナツ、みたい、に・・・ いっぱい笑う、から・・・。』
ぽろぽろ涙が落ちる。
アサヒが静かに、しかし、しっかり首を横に振った。
その瞬間、アサヒの腕を掴んでいたアキの手から力が抜けてダラリと垂れた。
『ごめんなさい・・・
私・・・ 気付いてました・・・
最初に、一番最初にデートした時・・・
先輩にあじさい寺の話されたときに、
すぐ、私じゃないの気付いてました・・・
私じゃなくて、ナツのことだって・・・
先輩が好きなのは・・・ ナツだって・・・
でも・・・ 私、言えなかった・・・
先輩のことが好きだから、怖くて言えなかった・・・
ごめんなさい・・・。』
両手で顔を覆ってアキが泣きじゃくる。
その姿に、アサヒの胸が引き裂かれそうに痛む。
まるで溺れているように苦しくて息が出来ない。
自分の勝手な思い込みで、こんなにもアキもナツも傷つけた。泣かせた。
なんて言葉で謝ったらいいのか分からない。
『・・・ごめん・・・。』
アキの顔を見返せないほど、アサヒはうな垂れ首をもたげていた。
やっと絞り出した一言は、かすれしわがれ、涙雨に容易にかき消された。




