■第52話 松葉杖
土曜日の正午。
ナツはひとり、病院の正面玄関にいた。
先日の電話のアサヒが、なんだかいつもと違う気がして顔を見るのが
照れくさい。
1秒でも早くその顔を見たいはずなのに、もじもじとその場で赤い顔は俯いて。
ただ目の前の自動ドアをくぐって進むだけのことが出来ず、足元に目を落として
靴先で砂利を蹴る。
すると、
『なーんで病室来ないんだよー?』
不意に聴こえたその声に、ナツが咄嗟に顔を上げる。
慣れない松葉杖で、1階正面玄関までアサヒがやって来ていた。
アサヒもその日は朝からソワソワ落ち着かなくて、病室の窓から正面玄関を
じっと見ていたのだった。
やっと見えたその小柄なデニムサロペット姿に頬を緩め、慌ててベッドに横に
なり平静を装いつつ、いまかいまかと待つもいつまで経っても正面玄関から
中に入って来ないそれに、痺れを切らして結局アサヒが迎えに来たのだ。
たかだか数日振りの互いの姿なのだが、もう、どうしようもなく嬉しくて。
その頬も口許も、隠す隙など与えぬ程みるみるうちに緩んでゆく。
少しの間互い見つめ合って急に恥ずかしくなり、同時に目を逸らした。
急激に心拍数が上がってゆくのが相手に気付かれやしないかと、互いにこっそり
横を向いて深呼吸した。
松葉杖でゆっくり進むアサヒに並んで、ナツが歩く。
土曜の午後の病院は外来受付も終わっているため、照明も落とされ静かだった。
入院患者とそれを見舞う人が、待合室や病室にチラホラと見えるだけ。
ふたり、他愛ない話をして笑い合う。
穏やかなやさしい時間がゆっくりたゆたう。
ぎこちないアサヒの歩行にも、ナツは決して助け舟を出しはしなかった。
アサヒの腕にも手にも触れはしない。
アキのことをキレイさっぱり忘れてアサヒに寄り添うなんて、
出来る訳がなかった。
本当はこうやってたった一人で見舞うことだって、してはいけないと
分かっている。
ひとりで来た言い訳を必死に考えていた。
アサヒとふたりでいる言い訳を必死に考えていた。
その時、磨き上げられた廊下の床に松葉杖の先端が滑り、アサヒがよろけた。
思わずナツがアサヒの胸に手をあてて転びそうな体勢を支えるが、
その体重が一気にのしかかりナツまでよろける。
壁に背をあずけナツが寄り掛かった。
そのナツに覆いかぶさるように、もたれかかったアサヒ。
ナツのおでこに、アサヒの唇が触れそうなほど急接近していた。
目の前にあるアサヒの日焼けした喉仏に、ナツは思わず息を止めて
目線をはずす。
どきん どきん どきん どきん ・・・
ドキン ドキン ドキン ドキン ・・・
互いの心臓の音がハッキリ聴こえる。
小さく細く吸って吐く、浅い呼吸の音も。
『オノデラ・・・ 俺、さ・・・・・・・・・・。』
アサヒが、声を絞り出すように呟いた。
熱を帯びたあつい息が、ナツの前髪をそっと揺らしていた。




