■第43話 最後のアドバイス
『オノデラ・・・ ちょっと、いい?』
先輩マネージャーに声を掛けられ、ナツが先輩について部室を出る。
部室内は新部長アサヒが先輩や後輩に囃し立てられ、からかわれて、
再び騒がしい笑い声が静かな廊下まで響いていた。
ふたりでやって来たのは、ひと気のないグラウンド。
先輩は、ベンチの背に手を置き少し身を乗り出して、なにも語らず眩しそうに
グラウンドを眺めている。
先輩の肩まで伸びる黒髪が、まだ冷たい3月の風に小さく揺れる。
遠く見つめる目は寂しそうに、でもどこか誇らしげだった。
3年間の色々な思いが胸を去来しているのだろう。
『オノデラ・・・』 ナツに目を向け、やわらかい表情を向ける先輩。
『背中じゃなくて、ちゃんと正面から向き合いなさい・・・』
ナツが先輩をじっと見つめる。
『これは、 ”努力目標 ” じゃなくて ”必達目標 ” よ・・・
・・・わたしからの、最後のアドバイス・・・。』
そう言って、先輩はそっと手を伸ばすとナツの頭をポンポンとやさしく撫でた。
『アンタ見てると・・・ ツラいわ、わたし・・・
アサヒのこと、好きだって全身から溢れちゃってんのに。
必死に隠そうとしてんの見るの。 わたし、ツラい・・・。』
先輩の目には溢れそうな涙。
それは、まるでお姉ちゃんのようなやさしい顔で。
思わずナツが、先輩の胸にしがみ付いた。
クスクス笑って、ナツの小さい体をぎゅっと抱きしめる先輩。
『ほんとに、ほんとに・・・ ありがとうございました・・・。』
ナツの涙声が、先輩の胸の中でくぐもって響いた。
追い出し会後の帰り道。
用事があるダイスケが別方向に向かい、アサヒとナツ、ふたりで歩いていた。
先程までの余韻が抜けず、アサヒはどこかぼんやり歩みを進めている。
すると、
『そう言えば。 ・・・オノデラとふたりで帰んの、はじめてじゃね?』
アサヒがなんだか愉しそうに笑う。
アキとはいつも帰っているけれど、ナツとふたりというのは初めてだった。
そう言って笑う横顔を盗み見るナツ。『・・・そーっスね。』
それにナツが気付かないはずはない。
別方向へ消えてゆくダイスケの背中を見送った途端
顔には出さないようにしていたけれど、ナツは緊張してガチガチになっていた。
口数が少ないのはその為だったのだけれどアサヒは気付いていないようだった。
『今年の夏の大会が、最後なんだよなぁ。 俺・・・。』
先程までのやわらかい声色が、急に真剣なそれに変わったアサヒ。
夕陽に照らされ少し眩しそうに目を細め、しかし口許はきゅっと引き締まる。
まるで、その言葉をもう一度自分の中で噛み締めているように。
アサヒには、なにがなんでも頑張ってもらいたかった。
そして、ナツ自身もアサヒに恥じないよう本気で頑張ろうと思っていた。
『頑張りましょうね! ブチョー。』
ナツが、手首のミサンガを目の高さに掲げ、アサヒに見せる。
嬉しそうに微笑み、『おぅ!』 アサヒもまた、腕のミサンガを掲げた。
そしてどちらからともなく、ミサンガを付けた右手を拳にしてコツン。
ぶつけ合った。
ふたり、笑いながら進む道のりも、もうすぐ互いの家の方向へ別れる
分岐点がくる。
すぐ横を向けば、ショート丈ダッフルコート姿のアサヒがポケットに手を
入れて少し寒そうに歩いている。
年中日焼けしたままの顔は健康的に浅黒くて、笑ってばかりいるものだから
笑いジワがしっかり刻まれていて。
(背中じゃなくて、ちゃんと正面から向き合いなさい・・・)
先輩マネージャーの言葉が木霊のように繰り返し、ナツの胸を容赦なく刺した。
『オノデラ・・・ 絶対、がんばろうな。』
そう言って、アサヒはひとり。
手を振り自宅方向へ向かって、坂道を歩いて行く。
腕を上げた際、ミサンガが手首から少しだけずり下がった。
色違いの、そのミサンガを見ていた。
ナツはずっと、その背中が見えなくなるまでその場に立ち竦み、
手を振っていた。
ひとり、振り返らない背中に手を振り続けるナツの目に、涙が込み上げる。
うわ言のように小さく零れる、その名前。
『先輩・・・ アサヒ先輩・・・・・・・。』
すると、遠く小さくなった筋肉質の背中がもう一度振り返った。
一瞬、手を振り続けているナツに驚いたように動きを止め。
そして、一拍遅れて手を振り返す。
大きな手の平が左右にひらひらと揺れている。
もう表情など分からないほど遠く離れているけれど、きっと、
その顔はあの陽だまりみたいなやさしい顔で、笑っている。
千切れそうに更に大きく手を振り返すと、思わず、踵を返して駆け出したナツ。
足がもつれ、つんのめりそうになりながらも駆ける。
アサヒからは見えない住宅街の角まで走ると、崩れるようにしゃがみ込んだ。
小さく小さく縮こまったナツの体。
その肩は、小刻みに震えていた。
ミサンガを巻き付けたその手首を胸に押し付け、ひとり、声を殺して
泣きじゃくる。
アスファルトに、幾粒もの雫が落ちてその色を濃くした。




