■第1話 6月の雨の日
”心を、奪われる ”
こうゆう事をいうんだって、その時、はじめて知った。
数日続いた陰湿な雨にうんざりし、睨むように雨粒が落ちてくる
鈍色の空を見上げた。
退屈な室内に嫌気が差し、傘を差して家の近所の散歩に出てみた日曜2時。
アスファルトに打ち付ける雨粒は然程強いものではないはずなのに、
生意気にもしっかりジーンズの裾はその小さな跳ね返りで
濡らされてしまった。
やはり引き返そうか一瞬悩み、もう濡れてしまったそれに諦め
一度止めた歩みを再び進めた。
何気なしに足が向いたそこには、若緑が生い茂る石畳の小径脇に、
溢れるほど紫陽花の花が咲いている。
コバルトブルーや白色、赤紫のグラデーションが訪れる人の目を
惹いて止まないその場所。
この街の有名な紫陽花スポットで、休日ともなればいつも人で
ごった返しているのだがさすがにこう連日雨に降られては、
人も疎らなのは仕方ないのだろう。
雨の中、傘を差しカメラを構える物好きを横目に、石畳の小径を横切り
大振りの葉を広げるムクロジの木々をくぐり抜け、お気に入り場所へ向かった。
まるで迷路のようなその径の先。
自分以外の誰かなどいるはずないと思い込み進んだその径の先。
すると、そこに。
ビニール傘を差し、しゃがみ込む姿を見止めた。
小柄なそれは肩にビニール傘の柄を乗せ、小さくコンパクトに体を縮こめて
目の前に溢れ広がる紫陽花たちを愛おしそうに眺めている。
頬はほんのり高揚させて、その口許はやわらかく微笑んで。
透明の傘に、雨の雫がスタッカートを付けて弾かれる音だけ小さく響く。
ふと、雫に目をとめた。
ビニール傘に小さく留まっている幾つもの透明の雫に、
紫陽花の色が映りこんでいる。
そして、しゃがみ込む彼女の大きな瞳にたたえるそれにも、
同様に紫陽花色が。
紫陽花色の、大粒の涙。
その彼女はそっと手を伸ばすと紫陽花に触れたのかと思いきや、
その細い指先は葉っぱの陰に隠れていたカタツムリの背中の殻を、
チョン。小さくつついてどこか寂しそうに笑った。
”心を、奪われる ”
こうゆう事をいうんだって、その時、はじめて知った。
胸の奥の一番やわらかい部分を、鷲掴みされて揺さぶられた気分だった。
ただ、黙ってその紫陽花色の涙を見つめていた6月の雨くゆる、とある日曜。




