天の邪鬼のバレンタイン
――バレンタインデー。
『もしかしたら告白されるかも』などという淡い期待を抱いた男子の希望が残酷に打ち砕かれ、『友チョコ』と女子達は仲間達と自作のチョコレートを交換し合い、熱愛カップルはいつも以上に熱い愛を囁き合い、独り身に寂しさと虚しさを感じる者は『死ねバレンタインデー!!』と叫び壁を殴る。
人間の本性が垣間見える、イベントだ。
一昔前は秘めた想いを告げる日として活用されていた日であるが、今日びバレンタインデーに異性に告白する者は見なくなったこの日。
これまでこの様な甘ったるい行事に縁がなかった『番犬』は――間近にまで迫ったこの行事のために、真剣に頭を悩ませていた。
鋭さを帯びる眼差しで手にあるチラシのある一点――バレンタインデー割引き、と印刷された華やかな文字を、スーパーマーケットの薄い広告を視線だけで貫きそうなほど凝視する彼は。
もとい――彼女は、厳かに呟く。
「バレンタイン……先輩に、どんなチョコレートを贈れば良いのだろうか……」
♡
事の発端は、『番犬』中田の所属する委員会『警備委員会』の書記である『記録係』こと記更津がカレンダーを眺めながら発した、何気ない一言であった。
「――ところで中田さんは、バレンタインデーに知崎さんへ何をするのですか?」
「…………はい?」
「バレンタインデーですよ。あと一週間もないですが、なにか計画でもされていますか?」
報告書の記入のために警備室に訪れた中田は、柔和な笑顔と共に投げかけられた問いかけに眉間を寄せる。
バレンタインデー、という。自分の人生にこれまで縁の無かった話題を持ちかけられた中田は、日頃から顰められている顔を更に顰め、どういうつもりだと視線で問うた。
愛想が無いどころか、見方によればガンを飛ばしているようにしか見えない後輩の態度に、慣れたとばかりに涼しい笑顔を返す記更津は続ける。
「バレンタインデー、何か考えていますか?」
「……いえ」
そもそもがバレンタインデーの存在を今になり思い出した、と言わんばかりの興味の薄い返答に、記更津は『やはり考えていませんでしたか』と予想通りだった返答に思い、こう返す。
「バレンタインとは何も、異性に想いを告げることか主題ではありません。
本来、日頃世話になっている方々に感謝の気持ちを伝えるのがバレンタインデーです」
「……はあ」
「ですから日頃世話になっている先輩であり、恋人である知崎さんに、感謝の気持ちを伝えてはどうでしょう?」
「オレと知崎先輩は恋人じゃないです」
そうでしたか? と、手元にノートに全てを記録しているはずの『記録係』は茶目っ気たっぷりに唱える。
これにより、他人に弄られることに慣れていない中田は居心地の悪そうに苦い顔をするが、記更津は中田の心境など気にせず、淡々と己の意見を言葉に変えていく。
「どちらにせよ世話になっていることに変わりはないですから、どうでしょう? 知崎さんにチョコレートを贈ってみては」
「……チョコレート、ですか」
カカオ豆を噛み潰したかのように、苦々しく自身に縁のない言葉を反芻する。
それから黙り込んだ中田に、『掴みは上々だ』と、今朝方中田からのバレンタインチョコが欲しいとボヤいていた後輩のためにお節介を焼いた記更津は、ひっそりとほくそ笑んだ。
真一文字に引き締められた、中田の口元。
入学当初から人を遠ざける刺々しい雰囲気を纏っていた『番犬』の本質が非常に真面目であることを知っている『記録係』は、恐らく知崎のためのチョコレートについて思考しているのであろう中田の堅い表情を視認して、心の中で。
中田に想いを寄せる一つ下後輩に、告ぐ。
――中田さんからチョコレートを貰えたら、私に感謝してくださいね。
この様な世間に蔓延んだイベントに無頓着な中田くんに、バレンタインについて考えるように仕向けたんだから――――
かくして、記更津の思惑通りにバレンタインという行事について考えさせられることとなった『番犬』は、好意を寄せる先輩へ贈る日頃の礼について、大いに頭を悩ませることとなったのだ。
記更津の知る通り、真面目過ぎる性格故に。
♡
「――で、知崎先輩へのチョコをどうしようかずっと悩んでいると……」
ラスボス戦に赴く勇者の様に真剣で緊張味のある表情に、申し訳なさといった罪悪感を滲ませたイトコは無言で頷く。
素直と生真面目とを足して二で割ったような性格をしているこのイトコにバレンタインの話しを持ちかけた先輩とやらは、きっといつまで経っても引っ付こうとしないイトコと『智将』との間を近付けようとか、そんなことを考えていたんだろうな――なんて。
最近裏でこそこそやっている警備委員会メンバーの意図を想像する俺は、『イトコが俺を頼って来た』と事実に対する知人への優越感と全面的に寄せられた揺るぎない絶対的な信頼感に幸福と、イトコの思考を独占する『智将』への嫉妬と尊意の間に挟まれながら、いつものように意地悪く笑いかける。
「なるほどぉ……そんなに知崎先輩に恩を感じていると」
「あ、当たり前だろう! あのヘラヘラとした態度は癪に障るし、ふざけた事を吐かしてくる先輩だか……」
がたりと席を立ったこの意地っ張りなイトコは、勢いに任せて普段からしつこく付き纏ってくるヘタレな先輩についての悪評を述べていたが、思うことがあるのか、段々と語調を弱くしていき。
最後には言いにくそうに、目を泳がせながらほんのり頬を朱に染めて。
「…………何かと、気にかけてくださるし……意外に根性はあるし……」
「いつもちーちゃんの味方になってくれるし?」
「……っ、纏!」
「事実でしょー? 俺何も間違った事言ってないし?」
本人からすれば一番有り得なくて、一番嬉しい事を指摘すれば、図星を指されたちーちゃんはキッ、とこちらを睨み付けてくる。
分かり易い照れ隠しだ。顔は赤いし目は潤んでいる。
話題に上がっている人物はここにいないのだから、本人がいない所でぐらい素直になっちゃえば良いのに、と。
思ったことを敢えて口に出さないだけの俺はちーちゃんに座るように促して、数分前に出された緑茶を頂く。
相変わらず、ちーちゃんの家で出される緑茶は味わい深い。熟練された味、と言うのだろうか。生粋の紅茶派である俺でも、ちーちゃんが煎れた緑茶ならあっさり緑茶派に寝返ってもいい。それぐらい美味しいのだ。ちーちゃんの煎れるお茶は。
それに上品な苦味といい、さり気なく出された茶菓子といい、見えない所に最大限の持て成しをする姿勢に、ちーちゃんの一族が代々受け継いできた誠実さと心遣い――もとい、不器用な親切心を感じ取りながら、俺は数十分前電話で持ち掛けられた相談に乗る。
「それで? 日頃お世話になってるから、知崎先輩にお礼をするんだ」
「ああ。だが、どのようなチョコレートを贈れば良いのか分からない。だからこうして纏に相談したんだ」
座布団の上で姿勢を正すちーちゃんは、至極真面目な顔で俺を見る。
まあ、確かに。
これまでバレンタインデーには毎回ちーちゃんにチョコレートを贈っていた俺だ。
下手な知人に訊くより俺に訊いた方が適切だと、ちーちゃんは判断したのだろう。
そもそも、堅苦しい言動やら不機嫌そうな顔付きで誤解を受けやすいちーちゃんに、知人と言える様な人は数少ないワケだけど。
俺としてはどんな理由であれ、頼りにされて嬉しくないわけが無い。
だから今、浮かれる気持ちを抑えながら『今年はちーちゃんと一緒にチョコ作るのか』と、だらしなく口元がにやけているのだが……。
「ちーちゃん、バレンタインに誰かに贈り物とかしたことなかったもんね」
「うっ……」
毎年俺が贈ったら翌日に市販のチョコ買ってくれたよね、いつも。
言葉を詰まらせるちーちゃんに、俺は気になったことをポツリと。
「しかも贈り物はチョコレートって決まってるし」
「…………チョコレートじゃ、悪いのか」
いや、そんなことは無いよ――と。
俺の嫌味に顔をしかませたちーちゃんに「むしろチョコの方が良いかもね」と答えておく。
これに少しホッとしたような顔をするちーちゃんに、俺は少し不愉快な気持ちになった。
いじめたりするつもりは無かったんだけどな。性格的に捻くれた俺はつい、ちーちゃんを困らせるようなことを言ってしまう。
そんな、素直になれない自分自身への嫌悪と、もう一つ。
あのさちーちゃん、別に俺はちーちゃんを困らせたくて嫌味を言ったわけじゃないんだよ。
ただちょっと――妬いちゃっただけだから。
ちーちゃんがチョコを贈りたいと思う相手が、俺じゃない。
あの貧弱な先輩だってことにちょっと――嫉妬しただけだから。
「チョコレートの方が良いのか……」と緊張感たっぷりに呟くちーちゃん。
たかだかバレンタインという、無視していても生命活動には何の支障もない行事のために真剣に悩む様子が、俺からしたら可笑しく見えて、堪えきれず「あはは」と笑ってしまえば純粋なイトコは怪訝そうに眉を顰める。
「いやごめん。あまりにも真剣なのが笑えて笑えて」
「……そんなに可笑しかったか?」
「うん。険しい顔してるのが」
あれだ。パグとかブルドックとか、そういう犬種に感じるような可愛さがあるよだけ――と言えば、これまでの経験上、微妙な反応をされる事が間違いなかったので、心の中でだけ呟いておく。
可笑しいだけじゃなくて、可愛いと感じた事は嘘じゃないんだけどね。
――さて。
ちーちゃんを茶化すのはこのぐらいにしといて、温くなった緑茶を飲み干した俺は、切り出す。
「いっそのことだから、手作りにしようか」
「え?」
「俺も一緒に作るし、手作りの方が気持ちは伝わるし。これを期にちーちゃんもお菓子作りにチャレンジすればいいしね」
バレンタインという行事に興味が無さすぎた故に、そういう知識がないからか。
俺の時のように、やっぱり市販のモノを購入し渡す気でいたらしいちーちゃんは、ぽかんと俺に丸くした目を向ける。
まさに『思いも寄らなかった』と言わんばかりの反応に、仕方ないなぁと顔の筋肉が緩む俺は、自分が提案したプランについて更に詳しく説明する。
「時間はバレンタインまでにちーちゃんが空いてる日にしよう。場所は俺の家にすればいい。きっと母さんが喜ぶ。エプロンは持参で。
外出許可の方は、俺が一緒にちーちゃんの母さんに頼みに行く――どうだろう、これで」
「……オレの方は問題はないが、良いのか? 纏」
俺が考えたプランを受け入れたちーちゃんは、俺の顔色を窺いながら問う。
ここで俺が都合が悪いことを思わせるような発言をすれば、あっさり手を引くのが俺のイトコ――中田千智という人物だ。
喧嘩っ早くて、言動も刺々しい。
自分が敬するに値しない人物だと評価すれば、たとえ老齢の師範代にさえ軽々と不遜な態度を取る。
世間から言わせれば愛想も礼儀もない、嫌われ者だけど。
本当は慎ましくて、他人の悲しみを自分の悲しみのように悲しめる。
温かい優しさをもった、心の清い女の子。
それが、中田千智という人物。
ずっと、想いを寄せている――俺の、可愛いイトコだ。
「俺としてはちーちゃんと過ごせて万々歳なんだけど」
茶化したり、とぼけたり、はぐらかしたり、嘯いたり。
時には嘘を吐いたりする軽い口で、俺は重い(想い)言葉を紡ぐ。
今のは、紛れない本心。
偽りのない、俺の本音だ。
好きな人と過ごせて、嬉しくないわけが無い。むしろ天に舞い上がるほど嬉しい。体中を巡る血の温度が熱湯と化したのかと錯覚するぐらい、左胸の奥は激しく鼓動する。
それだけ俺は、ちーちゃんが好きなんだ。
大好きなんだ、意地っ張りで素直じゃなくて、正直なこのイトコのことが。
でも、小学校に入る前から俺のことを知っているちーちゃんは、なんともない顔で。
捻くれ者の俺の理解者であるちーちゃんは、俺の言葉をいつもの冗談だと受け取って解釈するから、
「そうか……なら、すまないが迷惑をかける」
俺がプランを承認した、と認識した彼女は、頭を下げて。
そして顔を上げた次の瞬間には――嬉しそうに、顔を綻ばすんだ。
頼もしい、と物語るような。
嬉しさを、噛み締めるような。
幸せだと、謳うような。
普段の険しさなんて影も形もない――可憐な、女の子の笑顔。
この顔が見たいから、俺はちーちゃんの『頼りになる理解者』という立ち位置から動かない。
この幸せそうな笑顔を見るためなら、俺はなんだってするんだ。
――嗚呼全く。
これだから俺はちーちゃんには弱いんだよなぁ、と。
昔から変わっていない澄んだ笑顔に、至高の幸せを感じる俺は、つられて微笑む。
けして清らかとは言えない、汚れた笑顔を浮かべる。
脳裏に、あの笑顔を独占することを許された先輩の姿を思い浮かべ、どす黒い感情と羨望を抱く――この穢れた心を隠しながら。
死ねバレンタインデーと思いながら。
一緒に本命チョコを作る時間を、待ち遠しいと愛おしむ。
――本当に、幸せに溺れなから死んでくれないかな。あのチャラヘタレな貧弱者『恥将』先輩。
♡
時は過ぎ――バレンタインデー、当日!
「ふはははは! お前らどうだ俺のチョコレートの数を!」
「たかだか四個がどうした古河」
「ばっきゃろう岩原! 四個だぞ四個! しかも全部俺のファンからだぞ! つまり俺はモテモテなんだぞこの野郎!」
「ちくしょおおおおおおおお! マネージャーからしか貰えなかった俺は非モテってかちくしょおおおおおおおおおおおお!」
「いや……マネージャー二人から貰えれば充分だと思うぞ軒島」
「岩原はマネからの二つ……よっしゃ今年のモテ王は俺か!」
「いやまだだ……まだ放課後の部活が残って……!」
「あ。おはよう龍堂寺」
「おはよう我が戦友達よ!」
「! 待て龍堂寺!」
「お前……その手にあるのは……!」
「朝練終わりに俺にと渡された……邪神様への献上品だ!」
「ろ、六個だと……!?」
「中二病に……負けただと……!?」
「モテるんだな龍堂寺……」
「モテ……?」
「なんで無自覚の中二病がモテるんだ……! この世の中は腐ってやがる……!」
「大丈夫だ古河……まだ放課後がある……!」
「……なあ岩原」
「おはよう寄戸。どう……」
「紙袋か何か……持ってないか? 出来れば大きいもの」
「……………………」
「……………………」
「おお……邪神様以上の献上品……! お前、ただ者じゃないな……!」
「……その、腕の中てんこ盛りに抱えたの全部……チョコレートか?」
「ああ……女子とすれ違う度に押し付けられてな……カバンにはもう入らないから、袋か何か欲しいんだけどよ」
「背後から暗殺者に襲われろ寄戸」
「悪霊に大量に取り憑かれろ寄戸」
「悪霊は本当にやめてくれ!」
モテる、モテない。
貰った、貰わなかった――という男達の喜怒哀楽阿鼻叫喚歓喜が飛び交うイベント日、バレンタインデー。
この日、朝の制服指導が終わった後。
切腹の覚悟で羞恥に堪えながら「日頃の感謝の気持ちですから」とぶっきらぼうにチョコレートを押し付けてきた『番犬』の姿に、『智将』がいろいろ吹っ切れる様子が、警備室にて目撃された。
♡
「記更津先輩ありがとうございます本当にありがとうございます」
本日何度目になるか分からない、感謝の言葉。
心からの感動と尊敬の込められたありふれた謝辞を述べられた記更津は、呆れと軽蔑の混ざった眼差しを知崎に向ける。
ふと同族の気配がしたので周りに目を移してみれば、偶々この場に居合わせていた警備委員のメンバー全員が、自分と同じ目をしていた。
当然の反応ですよね、と一人静かに頷く記更津は再び知崎へ目を向ける。
感想を言うなら『この人知らない人です』としか言えない光景を、もう一度視界に入れながら――『記録係』は冷たく言い放った。
「知崎さん、落ち着いて下さい」
「すいませんそれは出来ない先輩命令というかどうにもこうにもこの衝動を止められないというかつまり全ての道は中田くんから貰ったバレンタインチョコをに続くというかとどのつまりand then番犬わんわんな中田くんの今学期最大のデレが悶えるほど可愛いというか実際悶えてるというか中田くんはとんでもないモノを盗んでいきました……俺の心ですとしかいいようがないこの感覚中田くんホント中田くんで可愛いわ結婚しよ」
「すんませーん。この先輩そこの焼却炉に棄ててきて良いですか?」
「熊本くん、気持ちは分かりますか堪えてください。目撃者が多過ぎます」
「そういう問題じゃないと思うんですけど……」
一を言えば百ぐらいの言葉を返された記更津は、心底うっとおしそうに知崎を眺める後輩にさり気なく殺人のアドバイスをした。
それほど知崎に苛立ちを覚えているのだろうと判断した鬼月は『気持ちは分からなくないけど』と、知崎を見る。
壁倒立をしながら中田から貰ったチョコを凝視する知崎を、一体誰が止めるのか。
最早注意することすら諦めている警備委員の面々に、これは知崎の(一応は)友人である自分が責任をもって彼を普通の道に引き摺り戻すべきだろう。
気分的には苦渋の決断をした鬼月は、意を決し知崎に話しかけようと息を吸う。
そこに、トントンと、軽く警備室の扉を叩く音がした。
なんだろう、とやる気を削がれた鬼月が道に目をやると、控え目に開けられた扉から覗く、小柄な人影。
「穂波さん……!」
ふわっ、とイケメン丸出しの朗らかな笑みを浮かべた鬼月に、警備委員の心は一つになった。
――あ。これバレンタインフラグだわ。
軽い足取りで警備室を出て行く鬼月。
閉ざされた扉を警備委員達が黙視して数分。
だらけきった表情筋と綺麗に包装された小袋を引っ提げ戻って来た鬼月は、そのまま無言で知崎か壁倒立する隣に足を運び、
「穂波さんからチョコレート貰った穂波さんからバレンタインチョコ貰った穂波さんからチョコ貰った穂波さんから貰った穂波さんから穂波さんから穂波さんから穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん穂波さん」
ブツブツと呪詛のように彼女の名前を呟きながら――壁倒立を決めた。
眼下には知崎同様――想い人から貰ったバレンタインチョコを、置いて。
「……何だこのオブジェ」
「荒ぶるリア充警備委員達です」
見回りから帰って来た警備委員長に、事の一部始終を見守っていた『記録係』は淡々とこう言うしか出来なかった。
♡
挙動不審なイトコにより人気のない廊下に呼び出された俺は、ちーちゃんにとっての吉報を本人の口から直接聞かされる。
「チョコ、渡せたぞ纏……!」
「成功したんだ。良かったねー」
本当は成功して欲しくなかったな、とか。醜い心で思いながら祝福の言葉をかける。
ちょっと涙目なちーちゃんは心の底から嬉しそうだ。いつも険しい眉間が解されている。
――まあこれでちーちゃんの作ったチョコを受け取らなかったら、多分俺はあの先輩を病院送りにしていたんだけどね。
矛盾している、俺の心。
そんな俺でも、ちーちゃんの嬉しそうな笑顔を見れて嬉しいという気持ちは間違いなく本物だから、ちーちゃんの真似をして笑っておく。
それからちーちゃんは俺に、長方形の小箱を見せてきた。
大切に両手で持たれたそれは、直感でヘタレ先輩がちーちゃんに贈った物だと理解する。あの先輩、外国式のバレンタインを仕組んできたな。これだからマメなあの男は嫌いだ。ちーちゃんの心を俺から奪っていく。女々しいクセに。ちーちゃんより腕っ節が弱いくせに。本当にムカつくなあの先輩。
まあ、俺の私情は放っておいて。
雰囲気から読み取るに、チョコレートではないらしい小箱。
そわそわと箱を持ったままもじもじとするちーちゃんは、ぼそりと小声で。
「……ネックレス……らしい。先輩が、俺に似合うから、って……」
――あのキザヘタレチャラ弱小野郎が。
思わず口が悪くなるほどの所業でちーちゃんのハートをキャッチしていった先輩に、軽く殺意を覚えた。
あの野郎、バレンタインにアクセサリー贈るとかいつの時代の少女漫画だ。手口が古いんだよスケコマシ。『似合うから』とか鳥肌立つわ昭和のナンパ臭くて。
なのにちーちゃんに好かれるとか、俺がいくら望んでも越えられなかった壁を簡単に飛び越えたあの先輩に、本気で腹が立った。
×××××××××やろうか、あの先輩。
いやいや、ちーちゃんの手前どす黒い本心や乱暴な言葉は控えて――どうやら報告と共に『お返しは直ぐにした方が良いのだろうか』ということを訊くため俺を呼び出したらしい初なイトコ。
そういえばちーちゃん、俺以外から貰ったのは初めてなんだよな――と、そういう意味では二番手になった先輩を心の中で嘲る俺は、いつものように頼れる理解者として、「ホワイトデーにお返しをした方が良い」と助言する。
この様子だとまたあの『恥将』先輩が歯の浮くようなセリフと一緒にサプライズ的なことを仕出かしてきそうだが、どうせその時になったらちーちゃんはまた俺を頼りに来るだろう。
ちーちゃんに信頼されている事は、俺にとっては悦びだから。
その辺のことは甘んじて、享受しておこう。
そう決めた俺の前で、宝物のように小箱を抱えるちーちゃんは、「そういえば」と余談を持ちかける。
「佐田から『ビーマイバレンタイン』とか言われながらチョコレートを貰ったのだが、これもホワイトデーに礼をすれば良いのだろうか?」
「喪堕根葬死執紅化」
あのクズ野郎、血縁だからって多目に見とけばしゃしゃり出やがって。
これまでバレンタインとか誕生日にすらノータッチだったのに、最近になって横入りし始めた大嫌いなイトコは、今日中にブラッディなバレンタインを俺からプレゼントすることに決めた。
意味は分かってなかったのが幸いだけど、さり気なくちーちゃんにプロポーズした罪は重いぞ佐田この××××イトコ。
――さて。
予想もしていなかったことも聞けたことだし、そろそろ昼休みも終わる。
タイミングとしては今が頃合いだろうなと思った計画的な俺は、軽々しくちーちゃんに隠し持っていた本命チョコを渡す。
呆然と俺から渡されたチョコレートを見詰める可愛いイトコに、祝福の言葉を捧げる。
「ハッピーバレンタイン、ちーちゃん」
子綺麗な紙袋の中は、この前ちーちゃんと一緒に作ったチョコレートクッキーと、昨日追加で焼いたマフィンだ。
ちーちゃんの好みに、甘さは少し強くして焼いた。
毎年のことだが、今年も綺麗に美味しく平らげてくれることだろう。
「ところで佐田にはあげた? チョコレート」
「ああ……交換みたいな形でな」
「そっか。俺もあげてこようかな、血与故霊屠」
可愛い反応してくれたちーちゃんを見ていると、毎年のことながら照れてきたので、照れ隠しのために他愛ない話題を振った俺はこのまま解散しようとする。
頭の中は佐田への武羅吊出胃罵連堕陰について計画している。
とりあえず肋の二、三本は折ったって平気だろう。胃袋は潰すつもりでかかる予定だ。
「待て、纏」
佐田抹殺計画を企てながら、普段のように踵を反す俺。
さっさとあの腐れイトコという大罪人を処刑したい俺を引き留めるのは、放心から帰ってきたちーちゃんだ。
引き留めるなんて珍しい、なんて思いながら振り返った俺は、そこで。
「ハッピーバレンタイン、纏。いつもありがとうな」
俺の好きな、あの穏やかな笑顔を浮かべた、ちーちゃんが。
俺の手に、拙いラッピングを施した小袋を、握らせて。
「教えられた通りにやってみたんだか……お菓子作りは難しいな。来年のはもっと上手く作ってみるからな」
照れくさそうにはにかんだちーちゃんは、そそくさと逃げるように立ち去って。
残された俺は、唖然としながら、震える手で努力の跡が残る包装を、解く。
丁寧に袋の口を開いて、中を覗き込んだ。
――チョコと、紅茶のクッキー。
少し歪な形をしたそれは、俺の記憶にはないもので。
鼻腔を僅かに擽るのは、焼き菓子と、俺の好きな紅茶の茶葉の香りで。
母親が好まないからと、家に置いていない俺の好きなものを、わざわざ買いに行くちーちゃんの姿を想像した俺、は――
「……ちーちゃんのバーカ」
天の邪鬼な俺は、そう、呟くことしかできなかった。
胸がいっぱいいっぱいで、嬉しいんだか切ないんだか、苦しいんだか幸せなんだか、分かりやしない。
嗚呼全く――こんなことをされたら、自分が特別なんだって自惚れてしまうじゃないか。
「――ちーちゃんの、バーカ」
みっともなく伸びる鼻の下を手で覆い隠し、きっと俺は一生ちーちゃんには適わないんだろうなぁ――なんて。
幸せに達観しながら、ひとりで俺は、勝手に誓った。
――死んでも、『愛してる千智』だなんて言ってやらない。
今、心の中で何度も叫んでるけど。
これはあの腹立つ先輩が言うべき、言葉だから。
俺は冗談でも本気でも、絶対に言わない。
――嗚呼、全く。
幸せ過ぎて、前が見えやしない。
<了>
♡あとがき♡
締切を破ることが恒例になりつつある文郡です。
このままではヤバイと自覚していますが、時間的に余裕がなく締切日に書き始める始末です。
『この主催者どうすればいい?』と訊かれたら燃えるゴミの日に出して下さいとしか言い様がないアレっぷりです。
とにかく、投稿遅れてごめんなさい。
それで今回投稿したお話はですね、一言で言うなら『悲恋』モノですね。
中田くんにずっと想いを寄せていたイトコ兼幼馴染みの纏くんの、絶対に叶わない恋です。
ほら、バレンタインって小説を検索すると、何かとハッピーエンドモノが多いじゃないですか。
だから自分も王道の、ハッピーエンドモノを書いてみようとしたのですが……いつの間にか路線が変わってましたね。
まあ中田くんと知崎はハッピーエンドだし、いっか――――――――なんて。
実はノリノリで『悲恋』モノを書いてました。こう、キャラクターを追い詰めていく感じが好きなんです。なんとなく。
それはいいとして……軽く舞台背景を説明するとですね。
中田くんは昔から世渡りが苦手な子で、よくよく嫌われてきました。家が厳しいので本人も自分と他人に厳しいですし。
なにより不器用な中田くんと対照的に、人当たりが良くてなんでも出来ちゃう器用な子がイトコの中にいたので、比べられて余計に風当たりが強かったんですよね。この器用な子っていうのが名前だけ出て来た『佐田』くんなんですけど。
親族での繋がりを重視する一族の中で悪い意味で浮いた存在だった、中田くん。そんな中田くんと佐田くんを一番近くで見ていた二人のイトコ、纏くんは、実は中田くんが佐田くんより良い子で賢くて優しい子だということを知り、あえて世間から悪く見られるように振る舞う中田くんに、なんやかんやあって惹かれちゃいます。
小学二年生の時には纏くんは中田くんの右腕でした。この頃には既にひねくれていた纏少年十歳以下。
中田くんもこの頃にはひねくれた纏のことを「仕方ないヤツ」と受け入れていて、佐田くん天下な一族達の中で二人ぼっち、悪役に徹していました。中田くんは自分の理解者として纏くんに絶対的信頼を置きますが、この間に纏くんは中田くん至上主義になっていました。The☆隠れヤンデレ☆
高校に上がってからも二人ぼっちだった中田くんと纏くんでしたが、知崎先輩が同じ委員の後輩として中田くんの面倒を見ているうちに、中田くんのさり気ない優しさや心の清さに気付いていきます。中田くんもヘラヘラしているクセに責任感の強くて強過ぎるツンに当てられても引かない知崎先輩に徐々に心を開いていきます。纏くんが中田くんに仇なす奴らを影でボコってるうちに。ヘタレだからとノーマークだったばかりに!
纏くんが「コイツやべぇわ」と中田くんの心を泥棒しかけてる知崎先輩を危険視し始めたのは、佐田くんイベントにて疑われた中田くんを知崎先輩が庇った時。普段はビクビクしてたクセに堂々と委員としての職務を果たした知崎先輩の背中を見て、中田くんトキメキます。それを気配で読み取った纏くんは知崎先輩から中田くんを遠ざける様に暗躍しますが――――空想学園シリーズの特色であるイベントによってお互いに恋心を自覚する知崎中田。その中田くんがあまりにも幸せそうなので纏くんは「ちーちゃんが幸せならそれでいいや」と、ついでに中田くんが好きになっちゃった佐田くんをボコボコにしながら手を引きます。
そしてイベントは終わり知崎先輩と中田くんの恋人未満な関係が始まり、周りがじれったくなります。
これはそんな中田くんの背中を後押しする、纏くんの話です。
スマホに買い替えて初めてブリをふる機能に気付いて思いっきりギャグに活用したので、全く切ない感じは出ていませんが、かなり切なめの話です。
それでは最後に、この小説を閲覧してくださった方と、主催の相方雪野さん、なかなか面白い機能を教えてくれたスマホに、バレンタインデーにチョコをくれた友人達とこんな時期にやってきたテストを作った先生方に、感謝を!
ここまでのご閲覧、ありがとうございました!
<終>