1-3 追憶-Erinnerung-
15年前
ディートリッヒたちは調査のため地球に滞在して一週間が過ぎた頃だった
一面は瓦礫に覆われ荒廃した大地が広がっている
キャンプの外でディートリッヒは報告書を読みながら椅子に座っている
コロニーにはない強い日差しに照りつけられわずかに目を細める
「ねぇディート」
30代後半とは思えない若々しい姿の女性が銀髪をなびかせディートリッヒを後ろから抱きしめる
「どうしたんだマリア?」
ディートリッヒはマリアの髪を優しくなでる
「アルディアが襲撃してきてもうだいぶ経つけど地球ってやっぱりいいところだと思わない?」
優しい風がディートリッヒの頬をなでる
度重なる排気ガスなどの汚染で空気は悪くなったというもののやはりコロニーの中とは違う格別な何かがここにはある。そうディートリッヒは確信していた
「そうだな、コロニーと違って地球は日が登るし海があって空気も美味しい。そして何故か地球は初めてなのにかかわらずどこか懐かしささえ覚えてしまう。不思議なところだ」
ディートリッヒがそう感想を述べるとマリアはくすりと笑う
「どこかおかしかったかな?」
ディートリッヒは少し困ったような顔をしてマリアに聞く
「全然、私も同じように感じていたから」
「そうか」
報告書を読み終えるとタブレットをカバンに入れる
「お茶を作ってくるよ」
ディートリッヒは立ち上がりキャンプの台所へ向かうと今朝わざわざ汲みに行った水でお湯を沸かしポッドにダージリンの葉を入れお湯を注ぐ
ディートリッヒはタイマーをセットしポッドとカップにスプーン、それと砂糖にミルクを盆に乗せるとマリアのところまで戻ってきた
「もう少し待ってくれ」
ディートリッヒはマリアを手で制すとタイマーがなるまで待つ
「あなたって本当に几帳面よね」
「紅茶を飲むにしても美味しく飲みたいだろ?」
タイマーがなるとポッドを傾けカップ注ぎ込む。琥珀色の液体が日光に照らされ一際美しい輝きを放つ
「それもそうね、だからこそディートが淹れた紅茶は美味しい」
砂糖とミルクを入れてスプーンでかき回すと両手でカップを取り上げ口をつける
「熱っ!」
マリアは口の中を火傷したらしく少しいたそうな顔になる
「まったく、マリアは昔からせっかちだな」
ディートリッヒは笑いながら冷たい水の入ったコップを渡す
「堅物のあなたに言われたくないわよ。またメタルナイトで模擬戦やる?」
マリアは口を尖らせ水で口の中を冷やす
「遠慮しておくよ。私もオットーも我がドイツコロニーが誇る最強のパイロットに勝つことはできないからね」
ディートリッヒは紅茶を飲み遠くを見つめる
「なぁマリア、オットーはどうしてるかな。あいつ遅刻のせいで取り残されてしまったが」
ディートリッヒは心配そうにオットーのことを気にかける
「オットーなら今頃コロニーで飲んでるか訓練じゃないかしら。昔から結構だらしなかったしあまり気にすることないんじゃないかしら」
「まったく、君は意外と薄情なんだね」
「そんなことないわよ。でもなんだろう、小さな頃からずっと3人一緒だったわね」
マリアは空を見上げ懐かし無用に目を細める。ディートリッヒは思わずマリアの美貌に見惚れてしまったが慌てて目をそらす
「そうだな、よく私たち3人は士官学校の期待の星として周りから羨望の眼差しを受けていたな」
「うんうん、ただオットーだけはなんで優秀だったのか未だにわからないのよね」
マリアは小首を傾げ本気で考え込んでいる
確かにオットーは元々成績は悪くしょっちゅう問題を起こしていたのはディートリッヒも覚えている
「おいおい、あいつは私たちが手伝って努力で首席になったのを忘れたか?オットーの努力という才能、昔の私はよく彼を尊敬していたよ」
「そういう割りにあなたオットーのこと木偶の坊とか言ってよく喧嘩してたじゃない」
マリアの指摘にディートリッヒは慌てて目をそらしそうだったかなと白を切った
その日の夜のことだった。夕飯を食べ終えると数少ない緑の残った草原へマリアと出かけディートリッヒはコロニーから持ってきた天体望遠鏡を車の荷台から降ろし組み立て星空を眺めていた
「おいでマリア、星が綺麗だよ」
ディートリッヒがマリアを手招きし天体望遠鏡を見せる
「本当ね、この方角だときっとコロニーも見えるんじゃないかしら?」
マリアはズームしたり角度を変えたりしてドイツのコロニーを探す
「マリア、ドイツのコロニーの方角は逆だしきっと見えないよ」
ディートリッヒはやれやれと言ってマリアを笑う
「もう、やっぱりディートって意地悪なんだから!」
マリアは顔を真っ赤にしてディートリッヒをぽかぽかと叩く
「ははは、ごめんごめん」
ディートリッヒはマリアに叩かれながら後ろへ下がると足を滑らせ倒れこむ。そのとき思わずマリアの手を引き重なるように倒れる
「いててて....」
「大丈夫?ディート」
「「あ....」」
顔を見合わせお互い慌てて目を背ける。マリアはディートリッヒの上からどくと右隣でディートリッヒと同じように仰向けに寝転がった
「綺麗だね、ディート」
「そうだね、マリア。オットーにも見せてあげたいよ」
「でもそのときは私は呼ばないでね?」
「なんで?」
「だってオットーは酔うと手がつけられないんだもん」
マリアがむくれた顔をして言うとディートリッヒは思わず苦笑した
「なぁマリア」
「なに?ディートリッヒ」
ディートリッヒは一瞬言葉を詰めらせるが深呼吸する
「マリア、子供ができなくてごめん。それに一杯迷惑もかけてさ」
「なによ急に」
マリアが吹き出すように笑う
「私は一度だって迷惑だなんて思ってないわよ。むしろ私のほうこそ迷惑かけてばっかり」
「そんなことないさ、それでマリア」
「うん」
「愛してるよ」
「私も」
そのときだった。サイレンがうるさく鳴り響く
「なんだ.....!?」
ディートリッヒは慌てて体を起こしサイレンの方角を見ると空が赤く染まり火が天を焦がさんとばかりに燃え上がっている
「まさか!」
マリアは驚愕しキャンプの方へ走る
その顔は青ざめ嫌な汗が額から流れている
「乗れ!マリア!」
ディートリッヒはマリアを車に乗せるとアクセルを思いっきり踏み込みキャンプへ向かって疾走する
「ねぇ、あれって!」
「ああ!おそらくアルディアだろう!」
ディートリッヒは速度を上げながらキャンプへ向かう。近づくに連れその凄惨な光景がはっきりと現実味を帯びてゆく
駐留していたメタルナイトや兵士たちがが必死の抵抗をするがアルディアが持つ絶対障壁の前では無力であった
それでもある程度ダメージが通っているのかアルディアの体の表面にはたくさんの傷が確認できる
ディートリッヒは車を停めると外に駆け出し死体と炎、瓦礫で作られた地獄を見回しながら武器になるものを探した
「ディートリッヒ!」
マリアが追いつきディートリッヒを呼びかける
マリアはあまりにも凄惨な光景に吐き気を覚えたのか口元を押さえ込み上げてくるものに耐える
「マリア、隠れているんだ!ここは私が食い止める!」
小銃を拾い上げるとマガジンを確認し動作を確認する
「ダメよ!」
「行け!」
マリアの引き止める手を振り払いディートリッヒは目の前のアルディアへ向かって駆け出す
「マリア、せめて君だけでも」
瓦礫を遮蔽物にし身を潜めると小銃でアルディアを撃つ
しかし放たれた弾丸はアルディアの前で絶対障壁に阻まれ本体に届くことはなく弾かれる
アルディアはディートリッヒに気づいたのか巨体からは想像できない速度で走ってくる
「行かせるか!」
瓦礫から離れ小銃を撃ちながら場所を移動する
ディートリッヒがいた瓦礫はアルディアに粉砕される
一撃でも食らえば死は免れないだろう。ディートリッヒは死を覚悟した
アルディアは見失ったディートリッヒを見つけると再び突進を仕掛ける
これまでか。ディートリッヒは歯ぎしりしながらやってくるアルディアを睨みつけながらも小銃を連射する
そのときだった。一体のメタルナイト、アルバトロスが横からアルディアを突き飛ばしディートリッヒの命を救った
アルディアは突然の出来事に絶対障壁が間に合わず吹き飛ばされ瓦礫に叩きつけられる
『大丈夫!?ディート!』
インカムから聞こえる声は紛れもない妻、マリアの声であった
「マリア!なにやってるんだ!逃げろと言っただろうが!」
ディートリッヒはマリアに怒鳴りつける
『バカ!あなたを置いて逃げられるわけないじゃない!』
マリアはライフルをひるんで動けなくなったアルディアへ向けて引き金を引く
ディートリッヒも手榴弾を拾い上げると安全ピンを引き抜きアルディアへ投げつけると土煙を上げてアルディアが見えなくなる
ディートリッヒは確認するためにアルディアがいた場所まで慎重に歩く
マリアはディートリッヒをすぐに守れるポジションを維持しつつ警戒した
アルディアを包む土煙が解かれたときだった。ディートリッヒは何かが動くのを見逃さなかった
「危ない!」
そのときには遅くアルディアの鎌がアルバトロスのライフルを綺麗に切断する
『まだまだ!!』
マリアは切断されたライフルを投げ捨てるとホルダーからコンバットナイフを抜きアルディアに切りかかるが絶対障壁で刃が通らない
アルディアの動きはよろけ弱っているのが目に見えている
ディートリッヒは迫撃砲を見つけ駆け寄り弾を込めるとアルディアへと照準を向ける
「マリア!離れろ!」
マリアは反射的にアルディアから距離を置くとディートリッヒは迫撃砲を放つ
放物線を描いた炸薬がアルディアの頭上で炸裂し絶対障壁を削り取る
「弱ってるぞ!あと一息だ!」
『了解!』
マリアはナイフを逆手に持つと一気にアルディアの頭部めがけて真っ直ぐに突き立てる
アルディアはその一撃が効いたのかのたうちまわると触手の一本がディートリッヒめがけて飛んでくる
ディートリッヒはこの不意打ちに対処できず立ち止まる
ディートリッヒには全てがスローモーションに見えた
ゆっくりと伸びてくる触手を遮るようにマリアが乗るアルバトロスがディートリッヒの目の前に飛んできて両手を広げ貫かれる
伸びてきた触手はディートリッヒの頬を掠めると地面を抉りその後顔に血のような生温かい液体がかかった
「マリアァァァ!!!」
ディートリッヒは絶叫する
「なぁおい、ウソだろ?マリア?」
ディートリッヒは小銃を捨ててアルバトロスへと向かう
『こないで!』
マリアの力のない叫びにディートリッヒは足を止める
『こないで、あなたも巻き込まれるわ』
「マリア!逃げるんだ!今ならまだ助かる!頼むマリア!戻ってこい!」
ディートリッヒの必死な思いをアルバトロスは振り払うように真っ直ぐとアルディアへ近づいてゆく
“自爆装置が起動されました”
アルバトロスから無機質な女性の音声が流れる
「バカやめろ!帰ってこい!頼むよマリア!」
気づけばディートリッヒの目には涙が溢れていた。ディートリッヒはマリアを助けに走るがアルディアの触手がディートリッヒを突き飛ばしマリアとの距離を広げる
ディートリッヒは強烈な一撃に骨を何本か折ったらしく激痛に耐えながらゆらりと立ち上がると足を引きずりながらマリアへと近づく
アルディアも最後の力を振り絞りマリアに追い打ちをかける
するとアルバトロスからマリアの悲痛な叫びがこだまする
インカムはマリアの悲鳴が鼓膜が破れそうなほどの音量がディートリッヒの耳を貫く
「マリア....今助ける...」
ディートリッヒは足を引っ掛け前へと倒れるが諦めずに這いつくばって前へと進む
『ディート.....聞こえ....る?』
アルバトロスからマリアの消え入りそうな声がインカムから聞こえる。ディートリッヒも朦朧とした意識をマリアの言葉を聞くためにインカムを押さえ気力を奮い立たせる
「ああ、聞こえるよ」
『ごめん.....なさい.....ここまで....みたい....』
「なにいってるんだ、まだやり直せるよ」
ディートリッヒは這いずりながらもマリアを元気づける。理性ではもう助からないとわかっていた。それでもディートリッヒは認められず必死に助かる方法を混濁した意識で模索する
『わか...てるの。もう痛みも....感じない苦しく....もない、死ぬってわかるの....』
「そんなの気のせいだよ。マリアは死なない、ここで死んじゃいけないんだ」
ディートリッヒは力の限り体を引っ張り一歩でもマリアに近づく
『ねぇ...ディートリッヒ』
「なんだい?マリア」
マリアが声にならない声で何かを口にした。ディートリッヒにはそれが理解でき大きく目を見開く
そのときだったアルバトロスは閃光を放ち四散する。アルディアもそれに巻き込まれる肉片を撒き散らす
「おい....マリ....ア?」
今起こった出来事の理解できずにディートリッヒは呆然と目の前の光景を見つめる
手を伸ばすと何か手のようなものを握り目を向ける
銀色の指輪をはめた女性の左手だった。その手は血まみれでぬめぬめしていてまだ生きているのではないかと思えるほどの熱を帯びていた
ディートリッヒにはその手に見覚えがあった
マリアだ
ディートリッヒは近くに落ちていた小銃を杖の代わりにして立ち上がるとマリアの手を抱きしめる
「うおおおおおおおああああああ!!!」
ディートリッヒの叫びが星空に響き渡り夜が明けた
朝になりディートリッヒは再びマリアが亡くなった場所を訪れた
そこには砕け散ったアルバトロスの残骸とアルディアの肉片だけだった
辺りを見回すと僅かに痙攣するアルディアの頭があった
ディートリッヒはよろよろと近づく
「なんで....なんでなんだ....!!なんでマリアが死んでお前はまだ生きているんだ!!」
ディートリッヒは腰から拳銃を乱暴に抜くと引き金を引く
「返せ....!返せよ....!マリアを返せよ!!」
ディートリッヒは何度も引き金を引く
「死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!!」
カチッカチッと渇いた音が鳴る。それでもディートリッヒはしばらく引き金を引き続けると銃弾を浴びて原形をとどめていないアルディアの頭に拳銃を投げつける
「ごめんよマリア!私は、私は君を守れなかった!」
血の池となった戦場の真ん中でディートリッヒは崩れ天を仰ぐ
次第に意識が遠のき目の前が真っ暗になった
ディートリッヒが目を開けたとき白い天井が視界に広がっていた
「気がついたか?」
聞き慣れた声が聞こえる
ディートリッヒは声の主を呆然と見つめる
「オットーか?」
「そうだ、腐れ縁のオットーだ。ったく心配させやがってよ」
「ここは?」
「宇宙船の医務室だよ。無事で良かったぜまったく」
今までずっと看病していたのかオットーの膝には毛布がかけられていた
ディートリッヒは呼吸器を取り付けられ手足にはギプスが巻かれている
ゆっくりと起き上がろうとするが体は重く鉛のようだった
「無茶なことはするな、腹の傷が開くだろ」
オットーに抑えられディートリッヒは仕方なく諦める
「なぁオットー」
「なんだディートリッヒ」
オットーが優しい口調で返事をする
「マリアは?マリアはどうなったんだ?」
ディートリッヒの質問にオットーはハッとすると俯き肩を強張らせる。唇からは血液が線を引いて床に落ち花となって広がる
「なぁマリアはどうなったんだよ、オットー」
「死んだよ」
オットーは絞り出したような声でマリアの死を告げた
「状態は最悪。まともな原形を保っていたのはお前が後生大事に抱きかかえていた左手だけだった....」
それを聞いたディートリッヒは一気に現実へと持ってかれる
背筋が凍り激しい罪悪感がディートリッヒを襲う
「なぁディートリッヒ、なにがあったんだ?どうしてマリアが死ななきゃならなかったんだ?」
「う....ああ....」
ディートリッヒの腹から胃液が込み上げゴミ箱へ吐き出す
オットーが優しくディートリッヒの背中をさすり落ちるかせるがディートリッヒは吐き続けた
ようやくおさまるとオットーは水をディートリッヒの口につけ飲ませて落ち着かせる
「すまん、思い出したくなかったよな。俺一本吸って来るから待っててくれ」
オットーはディートリッヒに表情を見せずに廊下を出て行った
ディートリッヒは左に頭を傾けると棚の上にマリアの指輪が星の光に反射して輝いていた
ディートリッヒはマリアの指輪に手を伸ばすとうまくつかめず床に落としてしまった
ディートリッヒは力なく手を垂れ下げると天井を眺めた
「おうディートリッヒ、またせたな」
ディートリッヒはオットーに対してしばらくなにも語らなかった
「マリアはアルディアに殺されそうになった私を助けて....死んだ」
ようやくディートリッヒの重い口が開く
「そうか、あいつらしいな」
オットーは表情を見せずに言うがやがて膝を握る手の甲に涙が落ちた
「あいつらしいよ....まったく!」
「オットー....」
涙を流すオットーの背中にそっと触れる
葬式はディートリッヒとオットーだけで静かに行われた。目の前の冷凍カプセルにマリアの左手だけが入った小さな箱を入れると液体窒素に満たされ保存される
オットーは涙を堪えながら俯きディートリッヒはただ無表情に冷凍カプセルを見つめる
追悼の言葉はなく神に祈りもしない無味乾燥なものだった
ディートリッヒはその場で跪き花を添えると口を開いた
「なぁオットー、決めたよ。アルディアを殺す、一匹残らずな」
ディートリッヒの目が怒りに燃える
「ディートリッヒ?」
「オットー、手伝ってくれ。アルディアの殲滅に」
「ああ、わかった」
オットーは約束したもののその表情は晴れず曇ったままであった