プロローグ
六天歴54年
ドイツコロニー、首都ベルリンのとあるバーで男はだらしなく酒を煽っていた
顔には深い皺が刻まれ白くなった無精髭で覆われた口元は酒で濡れている。生気のない目で空になったグラスとボトルを見ると疲れたようにテーブルに突っ伏す
男は疲れていた。未知の生命体、アルディアと戦い続け多くの仲間を失い屈強と自負していた愛国心はとうの昔に朽ち果て今はただフラッシュバックする戦場の光景から逃げながら酒を飲み続ける
軍人時代に貯めた使い道のない資産を無意味に酒で食いつぶしただ路頭を彷徨い寝るためだけ自宅へ帰る
30年前に先立たれた妻の写真は埃を被り今はそれを見ることさえ苦痛だった
「マスター、おかわりだ」
男は陰鬱な声でバーのマスターに酒を要求する
「ですがお客さん、流石に飲み過ぎでは」
マスターが少々心配そうに男を止めると男は黙ってありったけの紙幣をテーブルに叩きつける
「金ならいくらでも出す」
男の生気のない、しかし有無を言わさない視線にマスターは圧倒され押し黙るとグラスに氷を入れて酒を注ぐ
どうせすぐにのみほすだろうとマスターは呆れ気味にボトルもグラスの隣に置き空になったグラスを下げて洗う
ここはバーである、料理や酒を出して金を受け取る。そんな当たり前のやり取りがこの男の姿を見ていると妙に気怠く思えてくる
マスターは心の中で早く帰ってくれと密かに願った。しかしお大臣様とでも言いたくなるような羽振りの良さに帰れとは言いにくくマスターにとっては人生で最も厄介な客であった
カランとドアについたベルが鳴る
マスターは条件反射で客を迎え入れようと顔を上げると驚きのあまりわずかに口が開いた
ドイツ親衛隊。総統直轄の精鋭部隊である
その厳格な風体は街角でひっそりと営業するバーを営むマスターにとっては浮世離れしたものだった
ああ、今日はなんとツイていないのだろう
マスターは小さくため息をつく
別に悪いことはしていないのに来たということはこの客だろうか?
目の前でだらしなく酒を飲む男を忌々しく睨むと親衛隊が男に近づいた
やはりこの男が原因か。しかしただの殺しや盗みなら憲兵が来るはずだ
親衛隊が来るということはこの男は余程重要な人物なのだろう
下らない予想を立てつつもマスターは平静を装う
「貴様がディートリッヒ・フォン・フリードリヒ大佐か?」
親衛隊の隊長が見下すように男に話しかけた
男は一瞬グラスを傾ける手を止めたが気にせず酒を飲む
「貴様がディートリッヒ・フォン・フリードリヒ大佐かと聞いている!」
隊長は男の態度に苛立ちを覚えたのか語気を強くして男に尋ねる
ディートリッヒと呼ばれる男は横目で隊長を面倒臭そうに睨むとそうだと呟くように言った
「総統閣下から直々に招集命令が下った」
そう言ってディートリッヒに書類を渡す
「興味がないな」
男は興味なさげに酒を飲む
「忘れたとは言わせないぞ!貴様は我々に借りがあるはずだ!」
隊長は遂に我慢の限界に達し拳銃を抜くとディートリッヒの頭に銃口を向ける
「借りだと?戦艦一隻沈んだだけで済んだんだ。むしろ感謝すべきはそちらではないかね」
ディートリッヒは自嘲気味に鼻で嗤う
「どうした、撃たないのか?」
ディートリッヒは静かに隊長を挑発する。それに乗ったように隊長は撃鉄を起こし改めてディートリッヒへ銃口を向ける
「撃つなら撃てばいい、だがその分貴様も銃殺刑だろうな」
男の言葉に隊長は僅かに躊躇う
ディートリッヒは隊長の心境を察したのかグラスをテーブルに置くと体を僅かに隊長に向ける
「冗談だ。いいだろう、連れて行け」
ディートリッヒは立ち上がるとポケットから札束を引っ張り出すとドンと乱暴にテーブルへ叩きつける
「釣りはいらねぇ」
ディートリッヒはマスターにそれだけ言って外へ出た
外は人工の雨が降っていた。見上げれば雨雲ではなく宇宙が広がっている
目の前には親衛隊のエンブレムで装飾された黒い車が停まっている
親衛隊に半ば強引に車へ押し込まれるとディートリッヒは不満げにため息をついた
「火はあるか?」
ディートリッヒはポケットから葉巻を取り出すと親衛隊員にライターを要求する
「ここは禁煙だ。そんな安い葉巻の臭いを充満させては親衛隊の評判が落ちる」
「それは総統からの評判ということか?」
ディートリッヒは嫌味っぽく親衛隊員に突っかかると親衛隊員は閉口する
「まったく、こんな飲んだくれの老いぼれジジイを総統閣下はどうして我々に連れてこいと頼んだのだ」
車の運転をする若い親衛隊員の呟きをディートリッヒは見逃さなかった
「聞こえてるぞ若造」
ディートリッヒの言葉に若い親衛隊員は舌打ちした
「よく来たな、ディートリッヒ大佐」
総統が右手をディートリッヒへと差し出す
ディートリッヒはその手を握ることなくそっぽを向くと総統は笑って残念だと手を引っ込めデスクに腰を下ろす
「今はただのディートリッヒですけどね」
ディートリッヒは噛み付くように総統に言う
「そうだな、しかしだ。最近はアルディアとの戦闘が激化している。熟練の兵士たちの数もだいぶ減り今ではほとんどが君からすれば新兵みたいなものだ、そこで君の力を借りたいと思っている」
「お言葉ですが総統閣下。私は既に退役の身でございます。何もできません」
「残念ながら君に拒否権はないのだよ。友軍殺し」
友軍殺し、総統の一言がディートリッヒの弱点を抉る。ディートリッヒは大きく舌打ちをし顔を険しくする
「やらせたのは貴様らだろうに....!!」
ディートリッヒは総統に聞こえない程度の小声で呟く
総統は立ち上がりディートリッヒに書類の入ったファイルを差し出すとデスクへ戻る
ディートリッヒは無表情でファイルを受け取るとさらりと目を通す
「君には新型駆逐艦の艦長を務めてもらう」
「私に艦長を?冗談でしょう?大体この船が駆逐艦だなんてバカげている。どうみても重巡洋艦クラスだ、大体作りも明らかに船と言うには不格好すぎます。可変機構?ハッ!馬鹿馬鹿しい。この開発者は昔の日本のアニメの見過ぎだ、非効率にもほどがある。総統閣下はこんな産廃兵器を承認なされたのですか?私ならこんなもの作るくらいなら居住スペースをもう少し豪勢にしますがね」
ディートリッヒは駆逐艦の資料を叩きありったけの文句を言うと総統は確かにと苦笑する
「正直私もあまり期待していなかったりする。そもそもこの時代において機動兵器メタルナイトや戦闘機を多く格納出来る航空母艦の方が効率がいい、戦艦などの主砲は精々アルディアの母艦を撃ち落とすくらいなものだろう。ましてや駆逐艦など今となっては完全に不要だ。だがな、船からではなくメタルナイトから見た視点で見てはどうだろうか?高い防御力と火力、機動性に優れた要塞のようなメタルナイトだ。そう考えれば無駄ではないと思うがね」
「お言葉ですが的が大きすぎませんかね?」
「そこは大丈夫だ。タキオンフィールドと呼ばれるタキオン粒子を防御用に転用した特殊兵装も備わっている」
総統の自信に満ちた台詞にディートリッヒは頭を抱える
はっきり言って戦場にはもう戻りたくないし明らかに産廃な駆逐艦の艦長を任されて死んでこいと言われますます嫌になる
こんなことなら酒に入り浸って借金抱えたまま死ぬ方がマシに思える
「それで、ここまでさせて見返りはあるのですか?」
ディートリッヒ皮肉っぽく総統に尋ねると総統はふむと口角を上げて顎を撫でる
「君は名声には興味がなさそうだし延命にも興味はないだろう。そこでだ」
総統はディートリッヒに一枚の写真を見せる
それを見たディートリッヒは驚愕のあまり目を見開く
「君の妻を生き返らせる、と言うのはどうだろう?」
「フン、馬鹿馬鹿しい。今の科学力ではそんなこと出来ないことくらいわかっているでしょう?オカルトでも使うのですか?」
「オカルト、か。確かにある意味オカルトだな。君はアルディアの再生能力がどれほどのものかは理解できているね?」
「ええ」
ディートリッヒはなんとなく総統の言いたいことが理解できた
「ヤツらの再生能力を利用し彼女を蘇らせよう」
馬鹿げている。ディートリッヒは反論することにも疲れギュッと拳を握りしめる。手のひらに指が食い込み漏れ出す血液が赤い点となり大理石を穢した
退役して何年だろうか?
ディートリッヒは自宅に帰るとロッカーを開きため息をつく
虫食いや戦闘でボロボロなり埃を被った軍服が静かにハンガーに下げられている。胸には勲章が窮屈そうに並べられディートリッヒの武勲の数々を静かに物語っている
ディートリッヒは乱暴にロッカーを閉めるとどかっと椅子にもたれ葉巻を取り出し火をつけ深く煙を吸い込む。肺の中で葉巻の煙が満たされ独特の安心感に浸る
フゥーっと息を吐くと紫煙が天に向かって力なく浮上する
倒れていた妻の写真立てを手に取ると上着の裾で埃を落とす
妻の笑顔は何年経っても朽ちることなくディートリッヒには眩しすぎた
「マリア....」
ディートリッヒは意を決したように写真立てから写真を取り出すと懐にしまい軍服に袖を通す
使い古され穴だらけになったコートに包まれかつての英気が腹の底で煮えたぎる
帽子を手に取り一瞬動きを止めると深々と頭に被り深く息をする
「マリア、私はまた戦場に行くよ」
それだけ言うとディートリッヒは自宅を出た
外は今日も雨だった。目の前には親衛隊の黒い車が駐車されている
ディートリッヒは車の後部座席もドアを開くと静かに腰を下ろす
「出してくれ」
運転手にそれだけ伝えると車は基地へと向かった
「本日ヒトマルマルマルより新型駆逐艦、Z-1の艦長を務めることとなったディートリッヒ・フォン・フリードリヒ大佐だ。皆よろしく頼む」
デッキに並ぶ船員たちを見ながらディートリッヒは自己紹介を終える
船員たちは厳かに敬礼する
「よろしい、休め」
ディートリッヒが号令をかけると船員たちは休めの体制に入った
「久しぶりだなディートリッヒ!」
屈強な肉体を持つ老兵が親しげにディートリッヒへ声をかける
「おぉ、オットーじゃないか!」
ディートリッヒは友を懐かしむように両手を広げ抱擁する
「はは!まさかお前さんが戦線復帰を果たすとはな!」
「まだ現役だとは聞いていたがまさか同じ船を共にするとはな、この死に損ないが」
ディートリッヒも現役時代に戻り冗談をかます
「お言葉ですがお二人は一体?」
日系人の顔をした男、ヨハン・中島がキョトンとした顔でディートリッヒとオットーを見る
「おいおいしらねぇのか?彼らはフォルクス宙域戦などで大活躍した英雄の二人だぞ。今じゃ教科書にも載るほどの有名人だってのに」
角刈りの男、ゲオルグがヨハンに教えるとヨハンは慌てたように失礼しましたと敬礼をする
オットーがそれを見てガハハと豪快に笑う
「気にするな、俺たちはそんなに偉いもんじゃあねぇっての」
「すみません」
ヨハンがペコペコ頭を下げる
「かーっ!日本人の遺伝子が入るとそんなにペコペコするもんなのかねぇ」
オットーがヨハンの腰をバシバシ叩く
「おらシャキッとしろ、軍人なんだしよ」
オットーはヨハンに喝を入れる
「オットー、仲間をいじるのはそこまでにしてくれないか」
ディートリッヒがオットーを止める
オットーはすまねぇとヨハンに軽く謝る
「まさかフォルクス宙域の英雄とご対面できるとは思わなかったぜ」
ゲオルグはディートリッヒとオットーに握手を求める
二人は快く握り返す
「ゲオルグ砲撃長、君の活躍も聞いている。お互い力を合わせようじゃあないか」
「こちらこそ」
ゲオルグは嬉しそうに返す
「お言葉ですがそろそろ訓練に移行していただけると助かります」
金髪の凛とした整った顔立ちに女性が苛立たしげに腕を組み訓練の開始を促す
「すまなかった、ヘンリエッタ伍長。では諸君、訓練に移ろう」
ディートリッヒは帽子を整え新型駆逐艦、Z-1の船体を見上げると少し頬が緩む
「実際に見ると中々美人じゃあないか」
鉄色の船体はデッキの光を鈍く反射し佇んでいた
「おぃ!そこの若いの!23番のパイプが緩んどるぞ!しっかり締めろ!」
つなぎ姿の老人が整備士を一喝し指揮をとる
「バカもん!動力弁が締めすぎだ!もっと丁寧に扱え!せっかくの美人が出かける前にぶっ倒れたらお前のせいだからな!」
老人はディートリッヒの気配を察すると振り向く
「お前さんが艦長か!」
老人が喧嘩腰でディートリッヒにレンチを向ける
「そうだ、私はディートリッヒ。アドルフ機関長、これからよろしく頼む」
「よろしく頼むだぁ?まぁ精々船体に傷をつけないように丁寧に扱っとくれよ。デブリの一つでも傷がつくほどの敏感肌なんだからな!」
アドルフは無愛想に吐き捨てると仕事場へ戻る
「やれやれ、手厳しいな」
ディートリッヒは苦笑しメインブリッジへと向かった
「待たせたな諸君」
ディートリッヒはメインブリッジに入ると席に座る
Z-1クルーたちがディートリッヒに向けて敬礼すると配置につく
「エネルギー100%、各種エンジン及びシステム異常なし」
ヘンリエッタがモニターを操作しヨハンが操縦桿を握る
「Z-1、発進!」
ディートリッヒの号令とともにZ-1のバーニアが火を吹いた
少女はハッと目を覚ますとアルディアの巣から外を覗く
目の前にはドイツコロニーが星々に照らされ微かに光を放つ
「ねぇねぇ、あれなに?」
少女が無邪気に尋ねる
“あれは人類の巣だ”
アルディアの声が少女の頭に響く
「ふーん、綺麗だね」
だが少女の感想にアルディアは答えない
「まぁいいや、人間の巣かー。行ってみたいな」
少女は宝石のように輝くコロニーを見てそう呟いた
どうも、うなにゃぎ兄妹です( ̄▽ ̄)
今回はコネクト氏改め矢代大介氏が執筆する新連載作品、流星のイクシオンの外伝を務めさせていただきました
許可をいただき誠にこの場を借りて深く感謝を述べたいと思います
本作主人公のディートリッヒは53歳という結構年のあるキャラとなっております。一度でもいいから老兵を主人公にした作品を描いてみたいと思い挑戦してみました
他の登場キャラも比較的高齢のものが多く半分くらいがおっさんじゃないでしょうか?
(キャラ設定は妹が担当しました。もしかしたらガンダムイグルーやポケットの中の戦争を見せた影響かも?)
上手く定期的に更新できればいいのですが正直少し不安でもありますw