世界の何処かで私は叫ぶ。
リハビリ作品なので色々突っ込み所もあると思いますが、ご容赦下さい。
先に言っておくなら彼女の名前はマリアンヌではない。
「なぁマリアンヌ。」
「なんですか、ヴィルフリート殿下。」
マリアンヌではないのにマリアンヌと呼ばれた少女の隣に立つ殿下と呼ばれた青年は
たった今思い付いたとばかりの表情で傍に立つ少女を見下ろす。
「お前のアップルパイが食べたいな。」
「アップルパイ・・・『アピエーヌ』でしたっけ・・・後で厨房お借りして作りましょうか?」
「あぁ、頼む。」
金の髪に碧い瞳を持つ青年は殿下と言う継承に相応しい王子然としている。
否、ヴィルフリート・エルネス・ディアストは
ケルネル大陸に於いて大国とされるディアスト皇国の皇太子、
事実王子だった。
女ならば誰もが振り返る容姿を持つ輝かしい皇子の隣に立つ黒髪黒眼の少女は
皇子の容貌に顔を赤らめる事なく返事をする。
まるで皇子に仕える侍女のように振舞う少女だが実際は侍女でもなんでもない。
『本城 桜』、
こちら風に呼ぶなら『サクラ・ホンジョウ』は
現在食客扱いて王宮に滞在する異世界から召喚された異世界人だった。
◇
サクラが召喚されたのは別に世界を救う為や生贄になる為ではない。
ただの神の悪戯、
はっきり言えば運がなかっただけだ。
唯一幸いだったのは、王宮でも神聖とされる庭園で
王族一家が集まるど真ん中に、召喚された事だろう。
突然降って来た少女に近衛騎士が剣を抜こうとする中、
一番最初にサクラに手を差し出したのは皇子であるヴィルフリートだった。
以来、当然行く宛のないサクラは皇子の客人としてヴィルフリートの宮であるティオルト宮にいる。
「エミリアが来てもう三ヶ月だな、不自由はないか?」
再度言うがサクラの名前はサクラであってマリアンヌでもエミリアでもない。
こちらの世界の人間にはサクラの名前が憶えにくいのか、
ヴィルフリートが名前を覚えないのか、
こちらに来てきちんと名前を呼ばれた事は皆無だ。
最初の頃は名前が違うと何度も訂正していたが今ではすっかり諦めている。
「はい、言葉は通じませんけど皆良くしてくれます。」
そう、一番困ったのは言語だ。
サクラが使う言葉はこの世界では古語に当たるらしく扱えるものが少数なのだ。
流暢に使える者と言えば考古学者や上級魔術師で、
古語を勉強する貴族でも片言だ。
サクラと会話をするヴィルフリートは後者の上級魔術師に当たる。
言葉も通じず容貌も違う、もし変な場所に召喚されていれば一体どうなっていた事か、
そんな事を考えれば名前のひとつやふたつ間違えられても気にする事ではない。
「ただ、最近皆の呼び方がまた変わったみたいなんです。
前は『レーセル』だったのに今は『フロルシエル』って呼ぶんですよね。」
怪訝そうに首を傾げるとヴィルフリートは
小さく微笑んで肩に流れるサクラの黒髪を一房掴む。
サクラの世界の男がこんな仕草をすれば、即ビンタが飛んだだろう。
だが、ここは異世界。
目の前に立つのは大国の皇子で、美丈夫だ。
腰を屈め、間近に迫る容貌は、眼福ものだ。
「もうそろそろ現代語の勉強をするのも良いかもしれないな。」
サクラとしては早々に元いた世界に戻りたいが如何せん方法がない。
魔術が発達したこの世界でも異世界からの召喚は神の奇跡に当てはまる。
だがそれでも方法を探してくれると言う皇帝の言葉を信じ日々を過ごしているが、
確かに日々を無為に過ごすより現代語を勉強して
元の世界に戻る際、お世話になった人々にお礼を言うのも良いかもしれない。
三ヶ月もの間、元の世界では一生経験出来ない手入れで
滑らかになった黒髪を弄るヴィルフリートを見上げサクラは微笑む。
「それも良いかもしれませんね。
アマリア達ともこうしてお喋りしてみたいし・・・。」
アマリアとはサクラに充てがわれた侍女の名前だ。
アマリア自身、何処かの貴族の令嬢なのだろう。
サクラと僅かながら言葉を交わすがやはり片言だ。
ヴィルフリート曰く、古語は発音などが難しいらしい。
「現代語が出来るようになったら
私とはこうして過ごして貰えないかもしれないな。」
現状、王宮にいる者でサクラとスムーズに会話出来るのはヴィルフリートだけだ。
何処か寂しそうに笑うその姿にサクラは慌てて首を降る。
「ヴィルフリート殿下は私の恩人です!
突然現れた私を助けてくれましたし、
保護して下さるどころかお忙しいのに今もこうして話相手にもなって下さって・・・」
ヴィルフリート相手に顔こそ赤らめないが、
ヴィルフリートの見目が良いとはサクラ自身理解している。
直接顔を合わせる事はないが、時折回廊で見かける貴族の子女も大変見目麗しい。
だが、元の世界ではこうして会話をするどころか
知り合う事すら出来なかっただろうその容貌はあくまでも鑑賞用だ。
そんなサクラの言葉にヴィルフリートは掴んでいた黒髪を離し、
そのままサクラの頬に触れる。
「・・・私がフロルシエルと共にいる事は当たり前だろう。」
ヴィルフリートはよくサクラの名前を間違えるが、間違えた名前は二度と使わない。
にも関わらず、聞き慣れたその呼び名を口にした事に
サクラは違和感を覚え、また首を傾げる。
「以前言っていたな、何故名を間違えるのかと。
お前の名前が憶えにくいわけではない。」
その言葉にサクラは目を丸くする。
今でこそ何も言わないが、
最初の一ヶ月は口が酸っぱくなるほど訂正したのだ。
だが、ヴィルフリートはサクラの名前を最後まで呼ばなかった。
一体何故、と言葉が出ないサクラに
ヴィルフリートは頬に手を添えたまま更に顔を近付け微笑む。
「お前は最後まで俺を男として見てはくれなかったからな。
外堀から埋めさせてもらったが、悪く思うなよ。」
先程まで浮かべていた柔らかな笑みとは明らかに違う、
鋭さを感じさせる笑みにサクラは思わず一歩下がる。
が、それも腰にいつの間にか添えられた手によって塞がれる。
「・・・え・・・?」
男として、と言うが、サクラは己の身を弁えているつもりだ。
平々凡々の自分が何故ヴィルフリートのような皇子を男として見なければならないのか。
そもそも、サクラの好みはヴィルフリートとは全く違う
自分と同じような平々凡々が好みだ。
だからこそ、鑑賞用なのだ。
だが、外堀とは一体どう言う事なのか。
ヴィルフリートは何処か楽しそうに笑いながら
怪訝そうに眉を寄せるサクラの眉間に口付けを落とす。
そしてサクラには聞き取れない現代語で呟いた。
『―――Ediel ill lade.《絶対逃がさない》』
◇
ヴィルフリートの言葉が腑に落ちず、
一週間と言う超短期の猛勉強の末に判明した事実にサクラは絶叫した。
侍女が当初呼んでいた『レーセル』とは『お嬢様』と言う意味で、
後に変化した『フロルシエル』は『フロル』と『シエル』と言う二種類の単語の組み合わせに当たり、
『フロル』は皇太子・・・つまりヴィルフリートを示す。
そして『シエル』と言うのは妃と言う意味を持つと言う。
「つ、つまり何!?皇太子妃って事!?
誰が!?」
サクラの叫びに、傍らに控えていたアマリアがまだ使い慣れていない古語で応える。
「貴女様が、です。
先週、内定しました。
来月、結婚式です。」
「いやいやいやいや!
意味わからないから!
って言うか私の名前、覚えてないのに結婚って」
「覚えてますよ。」
間髪入れないアマリアの言葉に、サクラは動きを止めてゆっくり振り返る。
「・・・え?」
「殿下が、他の者に名を知らせたくなかった、と・・・おっ、おっしゃ・・・?」
アマリアはそう言いながら首を傾げる。
尊敬語に関してはまだ勉強中なのだろう。
「・・・仰られていました?」
「そうです、おっしゃられていました。」
舌足らずな発音だが、アマリアは言えた事が満足なのだろう。
ニコニコと笑顔を浮かべてサクラの発した言葉を反芻する。
サクラより長身だが、何処となく幼さを感じさせるアマリアの仕草に思わずときめきそうになるが
今はそれどころではないと首を大きく振る。
「私は帰るんだぁぁあぁっぁぁぁぁ!!!」