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<長女5歳、11月18日>

 月曜の朝、いつものようにチヒロを保育園に送り届け、職場に向かった。職場は、医薬品や食品などの製造メーカーを主な顧客とする分析センターだ。登園後の時差出勤で、通常の始業時刻より30分ほど遅く出勤になる。同僚たちは、すでに防塵衣に着替え、分析機器を立ち上げて、試料や溶媒の調整を始めている。デスクでPCを立ち上げ、割り当てられた試験の内容とサンプルを確認した。

 今日の分析に使うqPCR装置が順調に立ち上がることを確認し、立ち上げた時間、試験室の温度と湿度を記録する。決められたプロトコル通り、作業を漏らさず進めていくだけだが、サンプルの取り違えのような単純なミスをしないよう集中しなければならない。


 PCRは、DNAの複製機構を模して、人工的に目的配列だけを増幅する技術だ。遺伝子の記録媒体であるDNAは、生物の体温付近では2本の鎖がより合わさった安定な二重螺旋構造をとっている。DNAを複製する酵素:DNAポリメラーゼは、結合したDNAの鎖を鋳型にして、対となるDNAの鎖を伸ばす。特定の反応条件化で、DNAポリメラーゼがDNAの鎖を伸ばす過程を反復させることで、ねずみ算式に特定の配列のDNA断片を増幅することができる。

 qPCRの場合、DNAポリメラーゼは、DNAのモノマーの代わりに、蛍光色素で標識された代替のモノマーを捕まえて、DNAの鎖を伸ばす。この過程を蛍光を検出する装置で測定することで、DNAの増幅速度を追うことができる。もし、サンプルの中に、検出するべき危険な病原性細菌に特有の遺伝子配列が混ざっていれば、どのサンプルに、どの程度の量の混入があるのかを調べることができる。


 今日も、基準を超えるレベルでの病原性細菌は検出されなかった。この部署での仕事のほとんどは、調べる検体に問題がない事を保証するためのルーティン・ワークだ。もう少し込み入った技術開発を担う部署も社内にあるが、そちらの業務を担当するには時間外の作業対応が必要で、育児との両立は少し難しくなる。大学院で学んだ知識を生かしきれていないもどかしさもあるが、今の部署での仕事を続ける方が家庭と仕事のバランスをとりやすい。もう一度、妊娠出産をするのであれば、新しい仕事に移れる時期はさらに遠のくだろう。そこは、明確にデメリットだ。


 昼休みは、会議室を兼ねた休憩室で、持参した弁当で昼食を済ます。昼食を済ませたら、弁当箱をすすいだり、歯を磨いたり、短い午睡をとったりする。子どものいる女性ばかりで構成されるこの部署の同僚たちは、概ね同じようなルーティンで動く。

「あのー、午後、ちょっと試験結果のレポートで、相談に乗って欲しいんですけどー」

声をかけてきたエンドウ君は、この部署には珍しい、20代の男性スタッフだ。「いいよ、会議室を予約しておいて」と返すと「うっす、ありがとうございます」と言って、去っていった。

 ルーティンの分析がほとんどの部署ではあるが、取引先に提出するレポートは、業務経験の長い部員が若い部員に指導することもある。もう1人、私のところによく相談に来るのは、イトウさんという20代の女性スタッフだ。彼女は、溌剌と話し、よく笑う。少々そそっかしく詰めの甘いところがあるが、素直に謝って手数で挽回するタイプなので、部署内でも可愛がられている。彼女は開発案件の部署に合いそうなタイプだと思う。2人のように、若いうちからレポート作成を任される子たちは、この部署で基本的な分析技術や書類作成のノウハウを身につけた後、別の部署に異動していく事が多い。少なくともどちらかは (あるいは2人ともが)、私より先に”経験を積む”ために異動していくだろう。

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