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 数ヶ月後、アゼルレッドに子が生まれた。



 即位した年に結婚した、ポーウィス家出身の王妃との男児。国を継ぐ第一王子が、誕生したのだ。



 王国は喜びに包まれた。



 王妃も、漸くアゼルレッドの寵愛が確立される――そう思った。



 だが、子の誕生が、アゼルレッドを変えることは無かった。当然と言えば当然。両親、ひいては父親から愛情を受けず、拒絶され、憎まれた彼が人並みに父親になれる筈がなかった。アゼルレッドが向けられた愛に気づいたのはたった一度であったし、その愛は純粋で歪んでいたのだ。


 この事で最も落胆したのは、言うまでもなく、王妃だった。哀れな王妃。傍に居たというのに、アゼルレッドが見る世界に入ることを許されなかった彼女は、段々と荒み、心を病んでいった。



 そうして、我が子パーシバルの物心がつかぬ前に亡くなった。



 それでもアゼルレッドの心は動かなかった。





 数年後。


 グレンセラはフリーシアと条約締結。長く戦争状態にあった両国が漸く和睦し、フリーシアは婚姻外交に踏み切った。仕組まれたのかと思うほどに、丁度王妃の座が空白になった今、アゼルレッドの妻にフリーシアの貴族令嬢が嫁ぐことになったのだ。


 王族でなかったのは、今のフリーシアに王女がいなかったからだ。九つ歳下の、侯爵家の娘だという。



 回廊で顔を合わせるなり、彼女は目を伏せ、優雅な礼をしてみせた。

「国王陛下に、お初にお目にかかります。マーナガルム侯爵が娘、セレネと申します」

「……アゼルレッドだ」



 僅かに見えた青い目に、叡智を(まと)い聡明さを漂わせるその姿に、漸く心に波紋が生じた。


 アゼルレッドは、クラレントという古くも美しい宮殿をセレネに与えた。第一王子パーシバルの住むサングリアル宮と同じ大きさの建物だ。




 数度の、形式的な夜這い。


 しかし、初めの時と比べたら余程、夫の務めを果たしていたのかもしれない。セレネは子を宿し、十月十日の後に第二王子が誕生した。




「……名前は、どうなさるんですの?」

「好きに決めたらいい」

「冷たくなさらないで。わたくしは、貴方さまが名付けた方が良いと思うのですけれど」

「ならば……」



「――アルスノ」



「アルスノ?」

 セレネが聞き返す。

「伝説の、グレンセラの王の名前だ」

 グレンセラという国の系譜。王家は一度、その地筋が途絶えている。その後に成立した王家、その初代王の名前がアルスノだ。遥か昔の、英雄と称される偉大な王。

「……陛下は、王位継承争いに、この子を加えようと?」

「それは資質次第だ。力のある者が王となれば良い。適性が無いならば、それまでだ」

「……アルスノ。良い、名前ですわ」





 パーシバル同様、アゼルレッドは子供には興味が無かった。生まれたての赤子を見て、感想を引き摺り出したとしても、よく出来た人形、としか思わないほどに。


 物心ついてから、アルスノの姿をアゼルレッドは見なかった。その時代は戦争が活発化しており、殆ど年中、戦場に身を投じていた。





 ()()()も、アゼルレッドは王城に居なかった。




 アゼルレッドが留まっていたのは、ゲラハ城。




 突如、若い女が乗り込んで来た。どうしても、どうしても王に会わせて欲しい、と煤だらけで兵に捕まっていた女。

「……入れてやれ。まさか、予を殺そうと来たのではあるまい」

 その女は入るなり、酷く恐れた様子でその場に跪いた。そうして、震える手で、紙片を差し出した。

「こ、これを……セレネ様が……っ」

 兵が受け取り、アゼルレッドがそれを開いた。




『親愛なる国王陛下


これが届く頃には

わたくしは死に臨んでいるでしょう


わたくしの願いはただひとつ

この死を 事として荒立てないように

それだけなのです


わたくしは ただ 平和を』




 そこで、途切れている。紙は赤色の染みが占めていた。洋墨(インク)が酷く滲んで、文字も揺れて。


「貴様、名は?」

「……っ、シンシア・ネヴィル、と、申します……」

「そうか、下がれ」

 その女は、啜り泣きながら去っていく。



 アゼルレッドは何か言うことも、悲しんだり嘆いたりすることも無かった。



 ただ、沈黙を以て遂行した。その願いを。



「王妃は病で、そうだな。流行り病で死んだ。そう国中に、ああ、他国に公表し、特にフリーシアには懇ろに書簡を送れ」

 最もらしい理由。最もらしい死因。誰も、彼女の死を疑わなかった。



 初めて、アゼルレッドが他人(ひと)の願いを聞いた瞬間だった。



 沈黙、そして苛烈。



 そんなアゼルレッドの王政が幕を開けた。


 アゼルレッドはやはり戦いにしか興味が無かった。他のことは全て、以前より一つの家門に任せていた。その家門の名は()()()()。ゴドガル家が政治を以て王国を掌握。その魂胆を、その野心を、アゼルレッドは見抜いていたが、それを差し引いてもゴドガルは都合の良い道具だった。


 楯突くことなく、王の前で目立つこともない。しかしながらその野心は際限が無く、公にはなっていないが第一王子パーシバルの殺害を企み、それを実行していた。アゼルレッドの無関心を良いことに、第二王子アルスノさえも、命を狙い続けている。



 ゴドガルの望みは、王の座。



 実のところ、ゴドガルも王家の血を継ぐ、ひいてはあの()()()()()を輩出した家門である。それ故、突き詰めれば王権を手に入れることが出来るかもしれない。アゼルレッドの死後、跡継ぎがいなければ、計画を遂行できる、と。大きな野心を隠して、王国の影として牛耳る者であった。


 段々と、腐敗が及んだ。ゴドガルは圧政を敷いた。他の貴族を抑圧し、富める者は更なる豊かさを得、貧しき者は更に貧していく。それでも、沈みゆく王国を気にかけぬアゼルレッド。人々の忍耐が永続するはずが無い。



 皆が王国の影に、挑む者を欲していた。



 運命の日。


 王都に月光の降り注ぐ。今宵、叛乱の夜空。美しい空とは裏腹に、地上は阿鼻叫喚の光景が広がっていた。



 ゴドガル邸が、襲撃されたのだ。



「……な、何だ……あっ、お、お前は……っ!」

 ゴドガル公爵は目を疑った。姿を消したはずの、奴が、どうして――。



 遺体は残らなかったが、間違いなく死んだと、聞いていたというのに!



「ご無沙汰している。ああ、恐らくは……幼子の時、以来か」



 そう、アルスノ王子。



 ゴドガル公爵が抹殺に執心していた、彼が目の前に立っていた。公爵は腰が抜け、震えながら後退る。

「は、話をしようじゃないか。そうだ、私は力になれる。君が王位を求めるのなら、私の力を以てして……」

「貴様、己が何を言っているのか、分かっているのか?」

 冷徹な視線が降り注ぐ。

 


 この瞳を受けることなど、自分は無いと思っていた。どうしようもなく、アゼルレッド王に、似ている――。



「な、何でもする、せめて、命だけは! 助けてくれ、お願いだ……っ」

「命が惜しいのか。貴様は、()の命を蔑み、奪うことには少しも躊躇いを見せず、それにもかかわらず己の命を助けてくれと?」

「い……いや、そのようなことは無い! 私は、政治を担う者として、全ての民に忠誠と愛を抱いて……」

「ならば何故! 兄を殺した。何故だ。母を殺したのも、お前達だろう。命の代償は命だ。命を奪った者は己もまた」

「や、やめてくれ、ああ、そうだ。私が居なければ、政務が滞る。そうしたら、民の不満は膨れ上がり、王政はとどめを刺されてしまう。君にそんな力が」

「先程から貴様は分かっていないようだな。貴様の立場を」

「君はまだ若い、私のように老練な」

「『君』?」

 アルスノはゴドガルの髪を鷲掴み、顔を近づけて問う。




「私の名は何だ。私が一体何者であるのか、口があるのならば言ってみろ」




「……え?」

「まだ分からないか。私の名を言え」

「……あ、アルスノ殿下、で、ございます」

「そうだ。そして、私はこの王国の、何だ?」

「王子、殿下……」

「そうだ。私はこの王国の王子。そして貴様は一家臣に過ぎぬ者。先程から貴様は、一体誰に向かって口を聞いているのだ」

「も、申し訳ございません……っ、ああ、その」

「私の命を狙っていた者が、私の苦しみの根源が、こんなくだらない人間だったとは。哀れなことよ、幼き日のアルスノ!」

 光が首を貫いた。一直線に、突き刺した剣が、血を吹き出した。

「……っ、あ……」

 思い切り抜き、ゴドガルは倒れた。アルスノは肩を掴み起き上がらせ、今度は胸を切り裂いた。


 




「貴様の栄華は、終わりだ。あとは、死のみ……」



 夜更けの城は悲鳴も憎悪も覆い隠し、静寂に満たされていた。



 此処は、玉座の間。



 窓際、アゼルレッドは独り、立っていた。

「……来たか」




 返り血を浴びたその姿。その青い瞳が、此方を見ている。

「王都を制圧したと聞いたが。お前がこれほどの事を成すとは思いもしなかった。分からないものだな」

「……誰の所為で、こんな事しなきゃならないと思ってる」

 アルスノは低く、呟くように、だが、確かな敵意を向けた。

「母親によく似ている」

 ふっ、と王は笑った。懐かしさに、不似合いな笑みを浮かべているのだ。

「誰が口を開いていいと言った?」

 その物言いに、王は破顔する。


「余を、殺すのか」

「分かりきったことを。お前がこの名を与えた時から、お前の運命は決まっていたのだ。お前は愚かにも自らを破滅へと導いたのだ」

「破滅、か。……はははっ、愉快だ。この上なく愉快だ」

「は……?」

 アルスノは狼狽えた。剣も銃も持たず、敵意も向けないアゼルレッドの姿に。

 


「……何故抵抗しない。お前ならば私を、殺すことは容易だろうが。何故だ!」

 アルスノの激声に、王は無機質に反応する。

「もう余は戦わぬ。お前は、お前の欲する事を為せばよい。それでよい……」

 瞠目して、暫く唇を震わせる彼。剣を握る力が弱まる。





「独りで死ね。せめて王としての尊厳は、守ってやる」

 アルスノは言い捨てた。まるで、降参するかのように。





 扉が勢いよく閉まった。





 アゼルレッドは、僅かに笑みを浮かべた。

「殺さない、か。詰めが甘いのか、若いのか……」

 鞘に触れる手。





 途端、擦れるような鋭い音が響いた。そのまま、アゼルレッドは剣先を己に向ける。




 鈍い音が炸裂する。




「くっ……はっ、う……」

 僅かに、呻く声。



 剣が己の意志で胸に突き刺さっている。その所作はあまりにも潔く。


 途端にアゼルレッドの身体は傾いた。剣が更に深く捻り込む。身体は床に平行、剣は、垂直に真赤な血を滝の如く流している。



 まるで、墓標のようだった。



 死の痛みに耐えながら、アゼルレッドは嗤う。

「興が、乗って、きた、な……」





 かくして、アゼルレッドは孤独に囚われたその生涯に、重々しく幕を下ろした。




 その死は、ひとつの時代を閉ざし、ひとつの影を落とした。その影は王国に付き纏う、深淵にも似た暗黒。これは、自己の破滅を以て、終に愉悦を得た男の、独りの王の物語である。






 そして、やがて王国の狼となるその子アルスノの物語が、幕を開ける――。


ご覧いただき誠にありがとうございました。

次の外伝は、リウガルト共和国が舞台になります。


宜しければ併せてご覧ください。

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