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 王の死から数ヶ月、そして、アゼルレッドが王となって数ヶ月。奇妙な報せが。


「マーシア伯爵から、言伝です」

「……珍しいことも、あるものだ」



 戴冠式さえ顔を出さなかった父親が、一人の青年を遣わした。何と、それはアゼルレッドの弟だと云う。それは婚外子にすぎなかった。そして、トリスタンという名の、寵児だった。


 極めつけは、実子さえも愛さなかった母親が、血の繋がらぬトリスタンを愛したことだった。



 アゼルレッドには、愛が分からなかった。



 何故ならそんなものを与えられた記憶がないからだ。エグバート王は自分を贔屓してくれたが、それは、アゼルレッドを復讐の道具として見ていたからだ。何かを、愛したこともなかった。



 だが、トリスタンはそんな自分に対して()を向けた。純粋無垢な、その姿勢に、アゼルレッドは困惑した。

「トリスタンです。あの、」

 亜麻色の髪が揺れ、その瞳がアゼルレッドを映す。

「兄上と、お呼びしても……いいですか?」

「……お前は予を、兄だと?」

 トリスタンは首を縦に揺らす。


「健気なものだ」

 アゼルレッドは微かに嗤い、ひと言。

「下がれ」




 許したつもりは一切無いが、勝手にトリスタンは己を『兄』と呼称した。


 あれには、影が見えない。裏に隠すものがあるのか、いや、浅い感情の器の中に、正の感情しかなく、負の感情を留める余白が無い……いや、そもそも生まれ出ていないのか。




 アゼルレッドとトリスタンは鏡だった。




 前者は、愛を知らず喜びという感情を持ち得ず、後者は愛に満ち溢れ、怒りや憎しみという概念が無く、その純真さゆえに利用される――欠落した、孤独な鏡像。


 彼の名はトリスタン・ウィッチェとして人々に伝えられた。トリスタンは伯爵の位を授けられ、王弟として公に認められた。多くの人民に慕われ、偉大だが暴君とも称される兄王アゼルレッドよりも、貴賎関係なく一視同仁に接する心優しい弟の方を支持する層が現れた。民衆だけではなく、貴族の派閥にもそんな人間が現れた。



「アゼルレッド王のような暴虐な人間より、トリスタン様のように鷹揚で柔軟な御人の方が我らの王に相応しいに決まっている!」

 愚かにも、王城で語った者がいた。


「……予は、王に相応しくないと申すか」

 背後にアゼルレッドの姿。

「ひ、あっ……! あ、ええ、あ……」

「予は、先代の王から尊い王座を継ぎ、正統なる王として君臨したのだ。これほど、思慮の欠けた者がまだ居たとは、剣がもっと錆びてしまうな」

「ああ、お、お許しくださ……う……っ」



 アゼルレッドは王の座に就いてから、荒々しい気性が顕になった。無駄口を叩く者、言葉を遮る者、嘯く者、全てが斬られた。意見されることを嫌悪していたのではない。煩わしいことを排除していたに過ぎない。



 やがてトリスタン派は粛清、相次いで処刑された。



 トリスタンも、例外ではなかった。王座の前に連れてこられたその姿。殴られ、傷だらけになったトリスタンを見下ろした。

「誰だ、この者を殴ったのは」

「......看守ら、かと」

「それらを我が面前に来させよ。ああ、後でいい」

 弟を害したことに怒ったのではなかった。本来己の領分である権威を下賤の者が害したことに怒ったのだった。


 だが、トリスタンは錯覚に満ちていた。兄が自分に対して憐れみをかけたのだと、そう思い込んだ。


「お前、哀れだな。馬鹿な人間に囲まれ、此処まで来たか」

 まだ無邪気に笑っているトリスタン。


「言い残すことでもあるか」

 トリスタンは胸に手を当て、アゼルレッドを見上げた。

「......兄上がお望みなら、この命、喜んで捧げましょう。私の死が、兄上の権力の礎となりますように」

「全く、図々しい者だ、とんだ物好きだな」




「連れてゆけ」

 その言葉に呼応して、トリスタンは深くお辞儀した。憎しみも怒りも映さぬ瞳。




 最初から最後までそれは一貫していた。



 いつもなら、人々は罵声を上げたり、嘲笑ったりしていた。何故なら、彼らは人の破滅が好物だからだ。処刑というのは、民衆にとって最大の娯楽だった。


 だが、今日のアリアンロッド広場は静かだった。聞こえるのは、啜り泣きだけ。



 トリスタンは辺りを見回す。しかし、王の姿は無い。




「……兄上、愛しています」




 その言葉は、風に消える。


 齢、二十。その儚き人生の多くを、彼の想いの大部分を、その兄が占めていた。



 鮮烈な赤い瞳。


 黒髪に、切創の痕が刻まれたその顔。久しく見ていなかった()()を前に、彼らは目を見開いた。


 マーシア伯爵と、その夫人。アゼルレッドの父と母。その目は、憎悪と悲嘆を帯びていた。


「何てことをしたのだ、お前は!」

 衛兵を振り払って、父親はアゼルレッドの玉座の前に乗り出した。

「弟を殺すとは……血の通わぬ外道が!」

 顔を真っ赤にして怒る目の前の人間を、アゼルレッドは鼻で笑った。

「お前は弟を殺しただけではない、私たちの魂をも、殺したのだ!」

「……魂。はて、それは何だ?」

「大切なもの、愛する人、生きる糧」

 母親が答える。

「愛………愛、か」

 舌打ちが空間に響く。

「あなた方は、あのトリスタンだったか、その、奴を愛していたと?」

「当然のこと。トリスタンは愛されるべき子だった、天使のように、わたしたちを包み込むような暖かさがあった。その温もりを、お前は奪ったの!」

「『愛されるべき』。では、私は愛されるべき子では無かった? そういうことか、ああ、くだらない」

 父親の目の前で剣を握り、睨みつけるようにじっと見る。

「愛? ふっ、何だそれは。聞いたこともない。見たこともない、触れたこともない。……与えられたこともない。あなた方は、いつかは私の親だったはずだ。なら、その愛とやらを私に教えれば良かったのでは? 子が無知なのは、殆ど親の所為だ。違うか?」

 怯えて腰が抜けた二人の人間を、嘲笑いながら見据える。

「予に非などあるものか。貴様らが招いた末路だ。全て、全て、貴様らの所為なのだ」

 その瞬間、母親が右手を振り上げて、震えながら向かって来る。途端に衛兵に羽交い締めにされ。

「おや、素手で立ち向かってくる人間は初めてだ」

「覚えておきなさい……っ、アゼルレッド!」


 長い溜息が流れる。


「恐れ多くも、王の身体に触れようとは」

 アゼルレッドは冷徹に、連れて行かれる人間達を見ていた。


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