9話 マリネの失踪
その日の昼過ぎ。
俺はギルドのカウンターで、昨夜の一件について報告を終えた。
「……以上が昨晩の出来事です」
淡々と語ったつもりだったが、ギルド員の表情が少し引き締まったのを見て、自分の声にも緊張が混じっていたことに気づく。
人知を超えた何かの気配、マリネさんの異変、そして光とともに現れた“存在”――。報告の中では主観をできる限り省いたが、それでも十分に異様な内容だったはずだ。
マリネさん本人の許可はすでに得ていた。今朝、まだ少し具合の悪そうな彼女に確認をとり、「すみません、マーシュさんにお任せします」と、かすかな笑みとともに言われた。
ギルドの担当者は慎重な口調で言葉を返した。
「……対応はギルド内でも協議します。ひとまず、あなた方は休んでいてください。特に、彼女は……」
「はい。無理はさせません。しばらく安静にしてもらいます」
深く頭を下げ、その場をあとにする。
* * *
夕方に差しかかる日差しが、街の路地を斜めに照らしていた。
「……いない……?」
自分の部屋に戻ってきた俺は、思わず声をもらした。
ベッドの上は乱れておらず、部屋はさっきのまま……いや、マリネさんの荷物がない。
――そしてマリネさんの姿がどこにもなかった。
焦りが喉をつかんだ。
急いで部屋を飛び出し、まず向かったのはグルメマンが滞在している宿だ。
彼なら何か知っているかもしれない――そう思って。
「む……? マリネ殿がいない、だと?」
グルメマンは湯気の立つスープをすすっていた手を止め、真剣な顔つきでこちらを見た。
「うむ……あの夜から姿を見かけていない。何も聞いていないな」
「……そうですか」
「ワタシも心配だ。もう一度街を探してみる。何かあればマリネ殿の部屋の前で待っているとしよう」
「ありがとうございます……!」
軽く礼を言い、すぐに街へと駆け出す。
そこからは走り回るような時間だった。
市場、広場、図書館、教会、子どもたちが遊ぶ噴水のある公園……。考えられる場所すべてを巡り、誰彼かまわず声をかけて情報を求めた。
だが、何も掴めないまま、太陽は西へと傾いていった。
……いったい、どこに行ったんだ。
もしかして、“何か”に引き寄せられたんじゃないか――
そんな不安が胸の奥で静かに広がっていく。
……"あれ"をするしかないのか。
――迷いもあった。
スキルで人の居場所を探るなんて、勝手すぎるんじゃないか。
もしマリネさんが、誰にも知られたくない理由で姿を消したのだとしたら――
でも――
「……今、見つけないと」
俺は小さく息を吐き、精神を集中させた。
「頼むぞ……【サーチ】」
視界へ様々な情報が流れ込む飛び込む。だが、俺が望むのは――マリネさん、ただ一人。
――頼む、見つかってくれ。
さらに意識を集中させると、微かな反応を感じ取った。
微かに揺れる気配。強くも弱くもない、けれどどこか“らしい”と感じられる何か。
この反応の薄さ……かなりの距離がある。
きっと、街の外――
俺は反応目指して、一目散に駆け出した。
街の門を抜け、草原を走る。
夕陽が傾き、世界がオレンジ色に染まっていた。
そして、丘の上に――
ぽつんと、ひとり。
「あ……」
そこにいた。
マリネさんが、草の上に静かに腰を下ろしていた。
風に揺れる青い髪が、陽の光を受けてやわらかく輝く――まるで初めて出会った時のように。
「マリネさん!」
俺が声を上げると、彼女は肩を跳ねさせて振り返った。
「……マーシュ、さん……?」
最初は驚いたように目を見開いていた。
でもすぐに、その顔にじんわりと笑みが広がって――そして、沈んでいった。
「……見つかっちゃいましたね」
「……心配したんですよ。何も言わずにいなくなるなんて」
「ごめんなさい……ちゃんと、言おうとは思ったんです。でも……」
マリネさんは、視線を空に向けた。
「……ここ、いい場所よね。 柔らかな草の香りがして……空がすごく広くて……夜になったら、きっと星がいっぱい見えるんでしょうね」
「……ええ。いい場所ですね」
「……ずっと、こんなところにいたかった。誰にも迷惑をかけずに、ひとりで静かに……」
その言葉の奥にある感情に、俺は何も返せなかった。
マリネさんはゆっくりと息を吐き、静かに語り出す。
「私……たくさんの街で問題を起こして、何度も人に迷惑をかけてきました。気づいたら物が壊れてたり、周囲がざわついてたり……。でも、自分には何も覚えがない。何が起きたのかも、どうしてなのかもわからない……」
風が、ひときわ強く吹いた。
「……もう、誰かを巻き込みたくないんです。あなたや、グルメマンさんにまで……これ以上、私のせいで怖い思いをさせたくない……失いたくない……」
俺は一歩、彼女に近づいた。
「なら、俺が責任を取る」
「え……?」
「君が何かに苦しめられてるなら、それを一緒に見つけ出す。その苦しみも、俺が一緒に引き受ける。だから、もう一人で抱え込まないでください」
マリネさんは、小さく首を振った。
「……どうして、そこまで……」
「どうしても、です」
それ以上の理屈はなかった。ただ、そうしたいと心から思ったから。
しばらくの沈黙のあと、マリネさんの肩が震えた。
そして、ぽつぽつと、涙が頬を伝ってこぼれていく。
「……私、本当は……」
絞り出すように、マリネさんが言った。
「本当は……マーシュさんや、グルメマンさんともっと一緒にいたい。ご飯を食べたり、話したり、笑ったりしたいんです……!」
その言葉は、どこか痛ましくて、けれど美しかった。
彼女の心の奥にある、本物の願い。
「一緒にいましょう。俺もそうしたい。たくさんの料理を作って、食べて、笑って……それが君にとって救いになるなら、何度でもそうする」
マリネさんはもう何も言わず、泣きながら、そっと顔をうつむけた。
その肩が震えるたび、こらえてきた想いの重さを感じた。
沈む夕陽が、ふたりの影を長く伸ばしていく。
草の音と、静かな風だけがその場を包み――
しばらく、俺たちは何も言わず、そこで時を過ごした。
夕焼けが、静かに藍色へと染まり始める。
空にはぽつぽつと星が灯りはじめ、草の香りが夜の風に溶けてゆく。
マリネさんは、ふっと息を吐くと決心したように膝をぽんと叩いて立ち上がった。
「……戻ろう、マーシュさん!……私、お腹空いちゃった…!」
その声はまだかすかに震えていたけれど、目には確かな光が宿っていた。
俺はただ、それに静かに頷き返す。
そしてふたり、並んで草原をあとにした。
* * *
街へ戻る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
宿の明かりがぽつぽつと灯り、遠くから賑やかな笑い声が聞こえる。
まず荷物を整えてから食事に出かけようとしたその時――
「……あれ?」
宿屋の入口に、なにかが倒れている。
「……グルメマンさん!?」
近づいてみると、床に座り込むような姿勢のまま、ぐっすりと眠る彼の姿があった。
肩には毛布、手にはランタン。
――やべぇ、完全に忘れてた。
「……そういえば、一緒に探してくれて、とりあえずここで待ってるって……」
「……えぇ……」
俺は頭を抱え、マリネさんはあきれたように声を漏らした。
「……ぐ、グルメマンさーん……」
「む……んぅ……!」
俺が呼び掛けると、グルメマンがもぞもぞと動き出した
「む……マーシュ殿、マリネ殿……ふむ。無事であったか……」
「一応、無事です。……というか、ずっとここで……?」
「うむ……そう言ったではないか……」
「……本っ当すいません」
「いや、無事で見つかったのならよいのだ」
グルメマンはそう言うと、ぐーっと伸びをする
「あ、あの、グルメマンさん!すみません、私のせいで色々ご迷惑を……」
「うむ、気にすることはない。戻ってきてくれて嬉しいぞ」
そういうと彼はおもむろに立ち上がり、荷物をまとめた。
「さて、ワタシは帰って寝かせてもらおう。今度色々話は聞かせてもらうとして、二人は晩御飯でも食べて来るがいい」
彼は俺たちの目の前で一際大きなあくびをすると、鼻歌交じりに帰っていった。
「……すごい人だね」
「……ですね」
マリネさんと目を見合わせ、ふたりして苦笑する。
「……じゃあ、行きますか」