6話 草原の小競り合い
その後、無事にグルメマンを捕まえた俺は、ギルド酒場の隅の席で昼飯を共にすることになった。
彼は豪快な見た目とは裏腹に、椅子に静かに腰を下ろすと、こちらの話に全神経を向けているようだった。
俺は、マリネさんとの出会いから、突然の症状、借金のこと、プリンを作る必要がある理由――
そして、プリンのイメージが一致していたことまで、一つひとつ丁寧に話した。
「――と、いうわけなんです」
話し終えて息をつくと、グルメマンは黙ったまま両肘をつき、拳を口元に当ててじっと考えていた。
「…………なるほど」
ようやく口を開いたその声は、先ほどまでの豪快さが嘘のように落ち着いていて――
それだけに、なんだか妙な説得力があった。
グルメマンは数秒の沈黙のあと、静かに顔を上げた。
「……プリンとやらは知らん。だが、その“甘くてぷるんとした”という響き、そしておぬしの話を聞いていると……なんというか――」
彼は拳をぎゅっと握りしめる。
「ワタシの心が、猛烈に興味を示しておるッ!!そう、私のグルメなる魂がッ!!これはそう、未だ誰も味わったことのない"秘密のグルメ"だッ!!」
どーん!と胸を叩くその音に、まわりの客が一斉にこちらを振り向いた。だが、本人はお構いなしに続ける。
「このグルメマン、うまいモノを求めて旅をしておる! 未知なる味を、未開なる料理をな……!そのプリンとやら、もしこの世に存在しないものだとするのならば――自らの手で辿り着く価値があるということだ!」
「……ということは、つまり?」
俺が恐る恐る確認すると、彼は立ち上がって仁王立ちになり、親指を俺たちに向けて突き出した。
「ワタシも、共に行こう!そのプリンなる食の秘宝を求める旅へ!!」
グルメマンはニカッと笑って言った。
(食の秘宝って、そこまでは言ってないんだけどな……)
「うまそうな話に、乗らぬ理由があるものか!いざ行かん、秘密のグルメを目指す旅へ!」
もう、俺たちよりも楽しみにしてるんじゃないかと思ったその瞬間、マリネさんがぴくりと肩を震わせた。
驚いたように、でもどこかうれしそうに、彼女はゆっくりとグルメマンを見上げる。
「……ありがとう、ございます」
最初の一言は、ほんの囁きのようだった。
けれどそれは、彼女の中でずっと積もっていた不安が、少しだけ溶けた証拠だと思った。
「私、誰かに協力してもらうのって、少し怖かったんです。でも……」
彼女はこくんと頷いて、ほほ笑む。
「マーシュさんがいてくれて、グルメマンさんもいてくれて……今は、頼ってもいいんだって、思えました」
俺はその横顔を見ながら、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「マーシュさん、心強い仲間が増えましたね!」
その言葉には、さっきまでになかった明るさと少しの勇気がにじんでいた。
うん、ほんとにそうだ。頼もしさと、ちょっとした不安を半々に抱えつつ――
俺たちの、プリンへの道はまた一歩、前に進んだ気がした。
* * *
街を出てしばらく、俺たちはのんびりとした草原を進んでいた。
今日のクエストは、初心者向けのE級依頼――草食モンスターである〔ホーンラビット〕五体の討伐。
ホーンラビットの危険度はEランク……つまりFランクのスライムでさえ苦戦する俺にとっては、史上最大の強敵となるわけだ。
プリンを作るにしても何をするにしても、金が必要になることには違いないから、やむを得ない選択だ。
それにしても、グルメマンはついさっきまでクエストしていたとは思えない体力だ。
彼は先頭に立ち、元気よくズンズンと草原を突き進んでいく。
初めて三人で挑む実戦。緊張感はありつつも、妙に空気は穏やかだった。
「……それにしても、改めてプリンとは一体何なのだろうな」
グルメマンが空を見上げ、神妙な面持ちで呟いた。
「私も、見たことも食べたこともないんですけど……甘くて、ぷるぷるしてる気がする、って……なんとなく、そう思うだけで……」
マリネさんが少し恥ずかしそうに言葉を添える。
ぷるぷるして甘いっていうくらいだから、お菓子とスイーツの類なのかもしれないが、それ以上の情報はない。
……連想ゲームにも程がある。
「ちなみに、マリネさんは新しいイメージとかはある?俺も考えてはいるけど、スイーツなのかなってことくらしか……」
「うーん……ゼリー状のものとか……かな?」
マリネさんは眉間にシワを寄せて考え込む。
無意識なのか、手をむにむにと動かす様子が見ていて可愛らしい。
「ゼリー、か。確か、スライムの乾燥粉末を砂糖水で溶かして冷やしたものであったな。だが、“甘くてぷるぷる”という表現――それに当てはまるものかどうか……」
グルメマンは腕を組み、真剣な表情で首をかしげた。
気付けば俺は彼と全く同じポーズをとっていた。
その姿にマリネさんがくすっと笑う。
「やっぱり……みんな、知らないんですね。なんだかちょっと安心しました」
「そりゃそうだよ。俺も料理屋でいろいろ手伝ってきたけど、プリンなんて聞いたことないし」
「ワタシも、長きに渡るグルメの旅においてその名を耳にしたことはない」
「……」
「でも、逆に……全員ゼロからって思えば、気が楽になるかもよ?」
少しの沈黙の後、マリネさんはそう呟いて微笑んだ。
「ふふ、そうかもな」
俺もつられてふっと笑ったその瞬間、俺のサーチスキルがモンスターの反応を捉えた。
「――しっ。向こうの茂みの奥、ホーンラビットだ」
前方二十メートル先、茂み付近にいくつかの群れを確認した。
ホーンラビットは全長一メートル程の巨大なウサギで、特徴は額から生えた鋭い一本角だ。
体の半分程の長さのある角は、真正面で受けたらただではすまないだろう。
俺はすぐにショートソードを構え、マリネさんは月桂樹の杖を手に、詠唱の構えを取った。
グルメマンは背中に携えた大小それぞれの刀をスラリと抜き、臨戦態勢に入る。
「プリンのためにも、まずはこの戦いに勝たねばなッ!」
そう叫ぶなり、グルメマンは単身、茂みに向かって突撃していった。
「「えぇっ!?」」
俺とマリネさんは同時に声を上げる。
一人で突っ込むなんて、正気か……!?
――いや、彼はそれだけの実力があるのは間違いない。
けれど、懸念していることが一つあった。
ホーンラビットの近くに、また別のモンスターの反応が現れたということだ。
「グルメマンさん!ちょっと待ってーー!」
俺は叫ぶと同時に駆け出した。
* * *
――草原が、騒然としていた。
俺のサーチスキルに反応した“もう一つの気配”――それは、《コッコ》という鳥型モンスターの群れだった。
危険度はFランクとはいえ、スライムよりも遥かに好戦的で、まとまって行動する性質がある。俺にとっては十分強敵だ。
あたりには、コケコケ、キューキューと耳障りな鳴き声が響いている。
「な、なんで鳥とウサギが喧嘩してるんですか!?」
マリネさんが裏返った声を上げる。
ホーンラビットとコッコは、確か生息圏が重なる場所があると聞いたことがある。
きっと、たまたま鉢合わせて縄張り争いでも始めたのだろう。
……そしてそんな修羅場に、グルメマンはまっすぐ突っ込んでいったのだ。
「コッコが思ったより群れてる……まずいな。マリネさん、グルメマンさんに補助魔法を!」
「え、あ、はいっ!」
慌てながらも、マリネさんは急いで詠唱を始める。
「――いけます、【クイック】!」
緑の光が弾け、グルメマンの体が淡く輝いた。
「おおっ、すまない!」
モンスターたちのど真ん中――最も危険な場所にグルメマンは立っていた。
……どうして、そこに行くんだよ!
「グルメマンさん、今ならいけます!そのパワーとスピードで――!」
「むっ……もちろんだッ!!」
こちらに親指を立てて笑うその顔は、まるで少年のように嬉々としていた。
「なんでそんなに楽しそうなんだよ……」
俺が思わずこぼすと、マリネさんがオロオロと俺の袖を引く。
「マーシュさん、私は何をすれば……!?」
「いや……もう、多分大丈夫」
そう言った瞬間、俺の目の前で光が炸裂した。
グルメマンが長さの異なる二本の刀を交差させ、天高く掲げる。
刃が青白く光り始め、稲妻のようなエネルギーが刀身を走る。
「ミザン式武刀術――【アッシェ】!!」
グルメマンの叫びとともに、雷の如き連撃がモンスターたちを襲う。
ビシャアッ――!!
轟く雷鳴のような音。グルメマンはその場から一歩も動かずとも、一振りごとに敵が弾けるように吹き飛んでいく。
「……うわぁ……」
その圧倒的な光景に、俺はただ目を見張るしかなかった。
グルメマンの姿が、時折ぶれるように残像を残して動いている。
クイックの効果もあるとはいえ、あの動きは尋常じゃない。
――結果的に、俺たちはホーンラビット五体と、コッコの群れをすべて撃破した。
俺たち、というか……その九割以上はグルメマンだったが。
「うぅ……まだ耳がビリビリしてる……」
マリネさんがうずくまって耳を押さえる。
……スキル発動の瞬間、小さな悲鳴が混じっていたのを俺は聞いていたけれど、それには触れないでおくことにした。
そんな中、グルメマンがじっと茂みを凝視している。
そしてその陰で何かを見つけたようだ。
「む……これは……」
拾い上げたのは、五、六センチほどの小さな白い卵だった。
その近くにはコッコの巣らしきものがあり、中に数個の卵が残されている。
「天然のコッコの卵か……」
「うむ。ちょうど繁殖期だったようだな。家畜化されたものよりサイズは小さいが――」
「「――濃厚でウマイッ!!」」
俺とグルメマンが同時に叫び、思わず笑い合った。
「そんなにすごいんですか?」
マリネさんが興味津々といった顔で卵を見つめる。
「そりゃあ、天然の卵は高級品だからな。みんな自分で食っちまうからなかなか流通しないんだよ」
「へぇ、この卵にそんな価値が……」
マリネさんは卵を手に取りまじまじと見つめる。
「栄養豊富なのはもちろん、独特の甘みも人気の一因だな。ハチミツのような風味、とでも言うべきか……」
その時、グルメマンの瞳がギラリと光った――ように感じた。
「マーシュ殿……これ、“使える”ぞ」
「使えるって、何に?」
「決まっている。プリンだ!」
グルメマンは口元を吊り上げ、得意げに笑う。
――なるほど、その発想はなかった。
卵を使ったお菓子なんて山ほどあるし、ケーキのような高級スイーツには必ずと言っていいほど使われている。
「グルメマンさん……!」
「うむ。プリンの正体、その核心に、一歩踏み込んだ気がするぞ……!」
「えっ、えっ!?ちょっと待ってくださいよ、どういうことなんですか!?」
マリネさんが興奮気味に顔を寄せてくる。
「それはね――」