4話 異邦のグルメ
「うぅ……」
いったい何が起きたんだ……?
容赦なく顔を照らす光にまぶしさを覚え、俺は目を覚ました。
全身が痛む。どうしてだ?ぼんやりしながら太陽の光を手で遮る。
……太陽?なんで?
たしか、起きて彼女の様子を見に行って、何か話して――
――あ。
昨日の出来事が、一気に頭の中に流れ込んでくる。青い光、あの爆発。そして俺は――
とっさに周囲を見渡す。そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。
「……ボロンボが……ない……?」
俺が最後にいたはずのボロ宿は、瓦礫の山になっていた。二階建ての建物は影も形もない。
「……え?……えぇ?」
状況を呑み込めずに呆然としていると、瓦礫を越えてバドさんがやってくる。神妙な顔で。
「マァシュゥ……やってくれたなあ」
「え、ば、バドさん? 何を――」
「二千万ゴルド」
「は?」
「宿、家財道具、宿泊客への補償、近所への迷惑料……ぜんぶ合わせて、二千万ゴルドしっかり払ってくれよ」
何を言っているのか、まったく理解できない。
俺、完全に被害者じゃないの……?ていうか、俺が一番飛ばされて怪我してるみたいなんだけど?
「ちょ、バドさん、冗談でしょ!? 俺だって怪我――」
徹底抗戦の構えで口を開きかけた俺は、バドさんの後ろから顔をのぞかせた青髪の彼女の、申し訳なさそうな表情を見た。
その瞬間、頭の中でカチリと音が鳴る。
『群青の破壊者』『責任とれ』『ヤバい人』『お前が責任』
今までのあれやこれやが、一気に一本の線でつながっていく。
要するに、俺は……全部、察してしまった。
「お、お、お、お前ええぇぇぇぇぇぇっ!!!」
魂の叫びが、辺りに響きわたる。遠くで瓦礫がカラカラと崩れ、気づけば両頬に熱い涙が流れていた。
* * *
しばらくして、ギルド職員も交えて改めて事情説明が行われた。
青髪の彼女の名前は「マリネ」。
小さい頃の記憶を失くして放浪しているらしく、各地で魔力の暴走による被害を起こしているという。
そのせいで「群青の破壊者」などと呼ばれ、ギルドも最大限の警戒をしていたらしい。
発作のように魔力が暴発し、周囲を吹き飛ばしてしまう体質。
今回の宿の崩壊も、例外ではなかった。
そして俺は、「責任を取るって言ったよな?」の一言で、すべての損害賠償を背負うことに。
ギルドは俺への負い目もあるらしく援助はしてくれるというが……それで納得できるかは、また別の話だ。
ああ……これからどうやって生きていけばいいんだ……。
* * *
「……だ、大丈夫ですか……?」
「…………」
宿の跡地を離れ、街外れの夕暮れ道にいた俺の隣に、マリネさんがちょこんと座っている。
彼女の回復魔法で、負傷者は全員無事だったらしい。もちろん俺も、体だけはもうピンピンしている。
けど、心の傷は別だ。
「あ、あのう……」
「…………」
大丈夫なわけがない。でも、それを口に出す気力もない。
「……その、弁償のことですけど……私が返すので、本当に気にしないでください。他の街の借金も少しずつ返してるところなので……」
「えっ」
思わず彼女を見ると、ぱっちりと驚いた顔でこっちを見返してきた。
――やっぱり。マリネさんは債務者だったのか。
俺も昔そうだったから、なんとなくわかる。
「……ちなみに、いくら?」
「……今回の分を合わせて、だいたい一億ゴルドになりました」
「げえっ!……まじ?」
「……ふふっ、まじです」
彼女が、はじめて笑った。
肩をすくめて、頬に小さくえくぼを浮かべながら、はにかむように。
……これが“破壊者”であるマリネさんの、もう一つの――いや、本来の姿なんだろう。
「……とにかく、これは私の責任です。マーシュさんにこれ以上迷惑をかけるつもりはありませんから、ご安心くださいね」
数秒の沈黙のあとにそう言って、彼女は微笑んだ。
その笑顔は、ひどく儚げで、壊れてしまいそうなくらい寂しそうに見えた。
彼女はこれまでも、これからも、自分の体質と向き合いながら一人で生きていくつもりなのだろう。
本当にそれでいいのか――
「…………なあ」
夕日を眺めながら、俺はぽつりとつぶやいた。
「……プリンってやつ、食べてみたくないか?」
自分でも何を言ってるのかわからない。プリンが何かも分からない。
けど、これが彼女にかけられる精一杯の言葉だった。
恐る恐る彼女の様子を伺うと、驚いたように目を見開き、少しの間沈黙した後――
「はいっ……食べたいです……!」
マリネさんは、目尻に涙を浮かべながら、満面の笑みでそう答えた。
* * *
その日の夜、俺とマリネさんは自己紹介も兼ねて、食堂で食事を共にすることになった。
冒険者ギルドからほど近い、「値段は安いが味もそこそこ」で冒険者には馴染みのある《オリジア食堂》だ。
ついでに言うなら、客層の民度は“最悪よりちょっとマシ”くらいというのが俺の感覚だ。
でもまあ、こんな店でも、俺にとっては久しぶりのちゃんとした食事になる。
これはもう、ギルドに感謝しなきゃな。
――というのも、当面の生活費と宿はギルドが負担してくれることになり、しばらくは屋根も壁もある場所で過ごせて、一日一食は無償で食事にありつけるという。
今日は土曜だからか、店内は大混雑。
賑やかというより、騒がしい。
パンくずやら肉片やらがあちこちに散乱していて、マナーの良さは“最低”を基準にすればギリ及第点といったところ。
俺たちはそれらをなんとか踏まないように避けつつ空いている席を探し、ようやく見つけて腰を下ろした。
「ふぅ……」
マリネさんも同じタイミングでため息をついたので、思わず笑い合ってしまった。
……途中、俺たちが通るたびに指さされたり、ヒソヒソ話が聞こえた気もしたが、気にしないことにする。
ボロボロになったメニュー表を開き、とりあえず安い酒と腹に溜まりそうな飯を選ぶ。
「俺はエールと焼きコッコにしようかな。マリネさんは?」
「ん~、やっぱりプリンはないですね……では、お酒が得意じゃないので、お水とパンシチューでお願いします」
「あー……了解。一応、食べるとき気をつけてね」
「?はい……?」
注文を済ませたところで、早速本題に入ることにした。
「まずは改めて、俺の名前はカルトフ・マーシュ。今年で二十一。何ヵ月か前に仕事をクビになって、今は冒険者をやってる。好きなものは……まあ、強いて言えば料理、かな」
「よろしくお願いします。私はマリネと申します。一応、冒険者をしてますが、あまり活躍はできてません。……ちなみに、二十三歳、らしいです」
「えっ、年上だったの!?てっきり同い年かと……ため口で喋ってた……」
「あっ、いえ!ため口で全然かまいません!むしろそのほうが親しみがあっていいです!」
「そっか……分かった。で、ちょっと先に確認なんだけど、この前みたいな爆発って――」
「ああ、あれでしたら二、三か月は起きないのでご安心を。その節はご迷惑をおかけしました……」
「い、いえ……そういう間隔で起きるもんなんですね……」
とりあえず、今日俺が吹き飛ぶ心配はないようだ。
――が、根本的な解決にはなっていないのが気がかりだった。
「あれって、どういう原理で起きてるんですか?」
マリネさんは顎に手をあて、少し考え込む。
「そうですね……まず、前提として、私の中に“欲”みたいなものがあるんです」
「欲?」
「はい。強いて言えば食欲に近いかもしれません。“これを食べろ!”っていう、強烈な意志みたいなものです」
「それが、プリンってやつだと」
「ええ。で、その意志が強まってくると、頭痛がしたり気を失ったりして……最終的には魔力の爆発、魔力暴走が起きるんです」
……つまり、プリンという正体不明の食べ物を“食べろ”という意志に従わないと、あの爆発が起きる――と。
しかし一番不思議なのは、その“プリン”とやらを、マリネさん自身が知らないということだ。
「その発作って、いつ頃から?」
「記憶がある限り、ずっとです。でも……最近は暴走の規模がどんどん大きくなってるかもしれません」
「まじかぁ……」
さらっと恐ろしいことを言うマリネさん。
しばし無言になり、なんとなく気まずくなった俺は、話題を変えることにした。
「……そうだ、プリンってやつについてもう少し聞かせて。マリネさん、あれを“知らない”って言ってたよね?」
「うーん……“知らない”というより、“分からない”って感じなんです」
「どういうこと?」
「頭の中にイメージというか、断片的な情報が浮かぶんです。でも、それが何なのか、どう作ればいいのかまでは分からない。とにかく“食べろ”って気持ちだけが強くなるんです」
……つまり、レシピの一部だけを見せられて、「はい、作って。早く、そして食べて」って言われ続けてるようなものか……
うん、地獄。
俺が以前働いていたブラック食堂ですら、そこまで無茶な指示はなかったぞ。
「それは……大変だねぇ……」
「まあ、そうですねぇ……」
再び沈黙に入りそうになったところで、ちょうど料理が運ばれてきた。
「お待たせしましたー。エール、焼きコッコ、水にパンシチュー、タオルです」
やってきた大柄なウェイターが、注文した料理を乱雑にテーブルへ並べていく。
「……じゃあ、ひとまず食べようか」
「……ですね」
到着した料理は、まあ、“微妙”という評価がぴったりだ。
まずエール。
水で薄めたんじゃないかというレベルで味が薄いのに、やたらとアルコール臭だけが強い。
焼きコッコは、羽と内臓を抜いてじっくり焼いた野生のコッコ。
ボリュームだけはあるが、かぶりつけば――
バキッ、ムッシ、ムッシ、ムッシ……
焼きすぎで皮はガチガチ、身はパサパサ。塩気も物足りない。
そして、マリネさんのパンシチューは……見るからにひどかった。
売れ残った硬いパンをザクザク切り、野菜の端材を煮込んだスープに突っ込んだだけ。
パンの表面は浸してもガチガチのまま。
なのに――
ブジュッ!
「んんっ!?」
中身はスープを限界まで吸い込み、噛むと大量の液体が溢れ出すというトラップ。
案の定、マリネさんの皿の周囲はスープでビタビタになっていた。
「んーひおう!んーひおう!」
恐らく「どうしよう!」と言っているのだろうが、パンをくわえたまま慌てているせいで、余計に周囲が汚れていく。
「くっくっくっくっ……!」
俺は耐えきれず、吹き出してしまった。
マリネさんは顔を真っ赤にして、こちらを睨んでくる。
「もうっ!マーシュさん!?知ってましたよね!?」
「いやいや、気をつけてって言ったじゃないか。ほら、これ」
俺はウェイターが置いていった大判のタオルを渡す。
「……なに、これ」
「ちょっと汚いかもしれないけど、ここではそれが普通なんだ。だから最初から、でかいタオルが付いてくる」
マリネさんはタオルを握りしめ、何かに納得いかないような表情で呟いた。
「……タオルで対策じゃなくて、もっと小さくパンを切ればいいじゃない……」
そのまま、ぶつぶつ言いながらテーブルを必死に拭きはじめた彼女を見て、俺はまた笑ってしまった。
「いや~、楽しかったね!」
食堂を出て帰路につく俺たち。
ちなみに、料金は二人で千三百ゴルド。まあ、そんなもんだ。
「何がですか? パンですか? それともタオルですか?」
マリネさんは頬を膨らませながら、スンスンと歩く。
「全部楽しかった!」
「……もうっ!」
ついに俺は肩を小突かれた。
「あいて、ごめんごめん!でも誰かと食べるの、久しぶりでさ。緊張したけど、楽しかったのは本当だよ」
「それは……私もですけど……」
マリネさんはぷいっとそっぽを向いたまま歩き出す。
「まあ、ここらへんの飯屋は基本こんな感じだし、ちょっとずつ慣れてもらえたら嬉しいなって」
「……まあ、確かに今までとはちょっと違うタイプでしたけど」
ほんの少しだけ、彼女の声のトーンが上がる。
納得いかないような、それでいてどこか楽しそうな響きだった。
「……昔はもっといい店もあったんだけどな」
「いいお店?美味しいご飯屋さんですか?」
「まあ、そんな感じ。……さ、それより明日に備えないとだな」
「明日?何かありましたっけ?」
「プリンだよ、プリン。俺も気になってきたし、食べてみたくなった」
「……ふふっ、そうですね」
「とりあえず、明日は朝から作戦会議ってことで!」
「おーっ!」
マリネさんは笑顔で拳を突き上げた。
心地よい夜風を浴びながら、俺たちはギルドが用意してくれた宿へと向かっていく。
まだ見ぬ料理、未知なるプリンへ、それぞれの想いを馳せながら――