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異界のグルメとメシ道中  作者: スギセン


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32話 糸の調理

 湯気がコポコポと立ちのぼる鍋の前で、俺はグルメマンの指示に従って慎重に動いた。


「塩を一掴み。あんまり入れすぎると風味が悪くなってしまう」


 俺は小さな布袋から塩を取り出し、ぱらりと鍋の中に落とした。


「よし、では糸を入れるぞ。量は控えめに、最初は三房分くらいでいい」


 白い糸を束ねたようなそれを、そっと湯の中に沈めると、ふわりと甘く、磯のような香りが立ちのぼった。鍋の底からぶくぶくと気泡が上がり、お湯がぐらりと揺れる。


「火加減に気をつけて。吹きこぼれぬよう、お玉でやさしく混ぜながら……そうそう、いいぞいいぞ」


 なんだか調理実習の先生みたいな口ぶりだな……と思いつつ、指示どおりに火を弱め、お玉で丁寧にかき回す。


 数分後、グルメマンがうむ、と頷いた。


「よし、引き上げよう」


 ザルに糸を取ってあげると、まだ熱々のそれを冷水にくぐらせる。


「ぬめりと汚れを丁寧に落とすのだ。これが一気に味を整える」


 その言葉に従い、冷水で何度も糸を丁寧にこすり洗いすると、少しずつ質感が変わっていく。ふにゃふにゃだった糸は、だんだんとピンと張りを感じ、しっかりとした弾力を帯びてきた。


 やがて糸はうっすら白を帯びた半透明になり、グルメマンは満足げにうなずく。


「ふむ、完璧な仕上がりだ! これで、食べられる状態にはなったぞ!」


「ふぅ……見た目は本当に"細い糸"って感じだな。まずは素材の味を……」


 俺は糸を一本慎重につまむと、思っていたよりも弾力があることに驚いた。この感じだと、もう少し多めにとったほうがよさそうだな。


 つまめる位の量を一気に口に運ぶと、ふわっと優しい香りが鼻をぬける。磯臭さはなく、初めての食感だが抵抗なく受け入れられた。


 もきゅもきゅとした独特の歯ごたえは、噛み心地も良く食材としてのポテンシャルを感じる。


 そのとき、ちょうど背後から足音がして、マリネさんが戻ってきた。


「おかえりー。あれ、オルフは?」


 俺が尋ねると、マリネさんは頬をふくらませ、ぷいっと目をそらした。


「……私の中に消えちゃいました」


「……おつかれさま。ほら、ちょうどできたところだよ」


 そう言って、俺はザルの中の湯引きされたスパイダークラブの糸を見せた。


 マリネさんは眉をひそめて、それをじっと見つめる。


「うぅむ……」


 その低い声は、どこかで聞いたことのあるような……って、それグルメマンの口調じゃん。


「これ、本当に……食べるの?」


「もちろん、本当だとも!」


 グルメマンが勢いよく答え、腰のポーチから小瓶を取り出した。中には、黒くてとろみのある液体が揺れている。


「これがな……“ソイソース”と呼ばれるものだ。豆から作られる秘伝のソースでな!」


「ソイソース……」


 マリネさんはきょとんと首をかしげたが、俺は目を見開いて反応した。


「おぉ! 久しぶりに見たなぁ。これ、なかなか手に入らなかったんじゃないですか?」


「うむ、そのとおり! 一日中市場を歩き回って、ようやくこれだけ見つけたのだ!」


 グルメマンは小瓶を掲げ、満面の笑みを浮かべた。祖父母の店でも使っていたけど、作っている所が少ないから流通量が極端に少ない。


 かといって、全員が普段使いするかというと、少しクセがあるためある程度の料理の腕がないと使いこなせないだろう。


「この小瓶一つで、二千ゴルドもしたのだ……!」


「すごい執念ですね……じゃあ、それをベースにタレを作るってことですか?」


「ワタシがかつて味わった料理は、このソイソースに、甘さと酸味が絶妙に調和していた。あの味を再現すべく、市場で珍しい食材を買い漁ってきたのだ!」


 彼が布袋から取り出したのは、茶色い果実や黒酢の瓶、もぞもぞと蠢く布、蜜の壺に、香辛料の束――まさにごろごろと、調味料の宝石箱だった。


「うわぁ、また色々と……。それじゃあ、ちゃちゃっと作っちゃいますね」


 俺はまな板と小鍋を手に取り、調味の準備に取りかかった。


 グルメマンの言っていた甘さは、ハチミツで良いだろう。そこにアクセントとなる黒酢をほんの一滴。


 ソイソースと混ぜ合わせ、軽く煮たたせる。仕上げに、爽やかな酸味を出すために緑色のツヤツヤとした柑橘系の果実、クワサの果汁をたっぷり入れる。


「よし、これで完成……さっぱり甘くて、ほんのり酸味が香る、特製ダレだ!」


タレが完成すると、待ちきれなかったのか、グルメマンが鍋のそばにすっと近づいてきた。


「どれどれ……少し味見を……んっ」


 スプーンで一口すくって口に運ぶと、次の瞬間、グルメマンの目がカッと見開かれた。


「おお……ウマイッッ!!」


 思わず叫ぶようなその声に、マリネさんと俺はびくっと肩を跳ねさせた。


 その後、俺たちはガストラの荷台から折りたたみ式のテーブルと椅子を下ろし、野外レストランのように料理を並べていった。大皿に盛られた糸は、まるで繊細な手まりのように美しく、タレは小皿に分けて添えられる。


 マリネさんは、最初こそどこか疑わしげな目をしていたが、料理が目の前に置かれると、ふと息を呑んだ。


「……きれい」


 その一言が、とても小さく、でも素直で――俺は思わずふふっと笑った。


「それでは、お先にどうぞ」


 俺はタレの器と糸の大皿を、そっとマリネさんの方へ差し出した。


 マリネさんは、少しだけ顔を引き締めてフォークを手に取る。


「うぅむ……では、いただきます」


 緊張した様子で、糸のひと房にフォークを刺す。細くて繊細なそれが、フォークにふわりと巻きつくように持ち上がった。


 マリネさんは、それをそっとタレにくぐらせてから、一口でぱくり――


 もきゅっ。


 静かに咀嚼し始めた彼女の目が、徐々に丸くなっていく。そして――


「……美味しい……! なにこれ、初めての食感っ!」


 思わず両手で口元を押さえながら、喜びと驚きの混ざった声を上げる。


 俺もすぐに糸をすくってタレにくぐらせ、口に運んだ。


「うん、これはうまい! クセもなくて、するする食べられるな」


 もちもちとした食感に、ソイソースベースの甘酸っぱいタレがよく絡む。素材のやさしい風味が、噛むたびにじわっと広がっていく。


 そんな俺たちの様子を、グルメマンは満足そうな顔で見つめていた。


「グルメマンさんも、どうぞ! これ、めちゃくちゃ美味しいですよ?」


 俺が笑顔で勧めると、グルメマンもにこやかに応じた。


「ふふ、では……ワタシも、いただこう!」


 フォークを手にした彼は勢いよく糸をすくい――


 ずぞっ、ずぞぞぞっ!


 音を立てながら一気に吸い込むように食べはじめた。


「ウマイッッ!!」


 テーブルを叩きそうな勢いで叫び、口元を拭いながら、熱っぽく語る。


「ソイソースのクセを見事に抑えつつ、風味を活かしておるな……! さすがマーシュ殿! 絶妙なバランスで仕上げておる!」


「はは、ありがとうございます」


 俺は照れくさく笑いながら、もう一房、糸をフォークに巻いた。


「ほほう、うまそうじゃのう」


 ――またもや、唐突に現れたのはオルフだった。


 驚いた俺は思わずむせて、糸が喉に詰まりかける。


「……っ! ゲホッ、ゴホッ……オルフぅ!?」


「なんじゃお主、落ち着いて食わんか」


 冷ややかな目でこちらを見下ろしながら、そう言う。


「オルちゃん……」


 マリネさんは、呆れとも怒りともつかぬ顔でオルフを見つめた。


「もう、さっきのこと許してないんだからねっ!」


 ぷいっとそっぽを向く彼女に、オルフはくくくと笑いながら言った。


「いや、すまぬと思っているぞ? 先ほどのわびとして、一つ教えてやろうと思ってな」


「わび?」


 きょとんと首をかしげるマリネさん。


「……おぬしら、うまそうにそんなものを食べているが、それは“綿のような菓子”か? わしにはどうしても、清涼感あふれるただの食事にしか見えんのじゃが」


 その言葉に、俺の頭に稲妻が走った。


「あぁ! そうだった! 本命は“ワタガシ”作りだった……!」


「そ、そうでしたね……美味しすぎて忘れてました……」


 マリネさんも思わず頬を赤らめる。


「うむ、これぞスパイダークラブの魔力だな」


 グルメマンが、満足げに頷いた。


 まさに俺たちはクモの巣にかかってしまっていた、というわけだ。いや、全然うまくないな。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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