31話 オルフ、再来
海辺の景色は、なだらかな砂浜からゴツゴツした岩場へと移り変わっていた。切り立った崖のような岩が波に削られ、まるで露出した巨大な牙のように並んでいる。潮の香りと、熱を孕んだ風が肌を刺してくる。
照りつける太陽と海面の反射で、顔や背中がジリジリと焼かれるようだった。気づけば、額や首筋に汗が流れている。マリネさんは頬を赤らめ、はあはあと息を漏らしていた。グルメマンのコック帽は、汗で重たそうに傾いている。
「スパイダークラブは、こうした岩場の影……特に、深い裂け目に巣を張ることが多い。まるでクモの巣のようにな」
周囲を見回しながら、グルメマンが呟く。
俺も視線を巡らせると、少し先――海面から十メートルほどの高さがある岩場が目に留まった。崖のような斜面に、ぽっかりと影が入り込んでいる。
「あそこ……怪しくないですか?」
指をさすと、マリネさんが顔をしかめる。
「あれは……むり……疲れました。ちょっと待ってくだひゃい……」
「確かに怪しいが、あの崖はかなり険しい。ワタシでも登れるかどうか……」
グルメマンが申し訳なさそうに言ったので、俺はニヤリと笑った。
「しょうがないなあ。……この中で一番身軽な俺が見てきますよ!」
冗談めかして肩をすくめながら、足元を確認する。新調した〔グリムワーカーブーツ〕が、キュッと音を立てて岩肌に吸い付いた。このブーツ、どうやら魔法効果があるらしい。鋭い岩場でも、まるで平地を歩いているような感覚だった。
崖を登る途中、カニの抜け殻や、名前も知らない小さな甲殻類がちらほら見えた。
――そして、あった。
「……うわ、マジでクモの巣じゃん……」
切り立った岩と岩の隙間、日陰になった裂け目の奥に、白く細い糸が幾重にも絡み合っていた。まるで絹糸のような輝きで、風もないのに微かに震えている。
周囲に警戒しながら、そっと【サーチ】を使う。
視界には『スパイダークラブの巣』と表示された。
ホッと息をついたその時、視線の端に動かない影がいくつも映る。縮こまったまま、殻が割れているスパイダークラブの亡骸たち。きっと、巣を作る過程で力尽きたのだろう。ありがたく、使わせてもらおう。
「さて……これ、どう取るか……」
考え込んでいた時、ふと、懐かしい光景が脳裏をよぎる。
――祖父母の店で、クモの巣を掃除した日のこと。
「……たしか、あの時は……こうして……」
俺は辺りを探し、ちょうど良さそうな枝を拾い上げた。そして、白い糸をぐるぐる、ぐるぐると巻き取っていく。ぴんと張った糸が、吸い寄せられるように枝へ絡みついていく。
「……これ完全に、ただのクモの巣じゃん。ほんとに食えるのか、これ……」
嘆きながらも、もさもさになった枝をじっと見つめた。見た目は地味に気持ち悪いが、グルメマンが旨いって言うんだから、あとは彼に任せるしかない。
慎重に岩場を下り、二人の元へ戻ると、グルメマンが満面の笑みで親指を立てた。
「見事だ、マーシュ殿!」
「ありがとうございます。……ほら、これ」
俺は枝を突き出した。絡みついた糸は白くふわふわしていて、見る人によっては芸術的かもしれない。……が。
「……うわぁ……」
マリネさんは思わず引き気味に目を細め、じとーっとした視線を俺に送ってくる。
「なんか……想像より……すごい見た目ですね……」
「……だろ? 俺もそう思う……」
苦笑しながら、俺はもさもさの枝を掲げた。
さて、次はいよいよ料理だ――本当にこんなもん、食えるのか……?
俺は不安感を拭えぬままガストラを呼び出した。
* * *
「よし、これで準備は整った。マーシュ殿、任せてもらってもいいかな?」
ガストラの調理台で、グルメマンはカチャカチャと器具をいじっている。
まるで遠足前の子どもみたいに、鼻唄まじりでご機嫌だった。
「……なんか、楽しそうですね」
「ふむ? 当然だろう。お主たちにとっては未知の、しかも美味なる食材との邂逅だぞ。食の探究者として、この瞬間に立ち会えるのは名誉なのだ!」
この変人ぶり。やっぱり食に取り憑かれてる。でも、ちょっとだけ、その情熱がうらやましい。
「……ところで、これってどうやって食べるんですか? まさか、生で?」
俺は、もさもさと糸が絡んだ枝を指す。磯っぽい匂いと、ほんのり甘い香りが混じっていた。
「イヤァァァッ!!」
マリネさんが叫び声を上げて、ばたばたと手を振りながら三歩下がる。まあ、気持ちはわかる。
「案ずるな、これは加熱して食べる。茹でてから糸を引き締め、汚れを落として調理するのだ。まずは湯を沸かそう」
「そうじゃそうじゃ。ウマいグルメにありつくには、気長に構えるのが一番じゃて」
突如、空中に現れたのは――ずんぐりしたフクロウ。
もふもふの羽毛、大きな目、金縁のモノクルをつけて、空気を読まずにふわりと着地した。
「オルフ!?」
「オルちゃん!?」
俺とマリネさんが同時に叫び、グルメマンが目を見開く。
「まったく、騒がしいやつらじゃのう……」
オルフは羽をピクリと動かし、ため息をついた。
「いやいや、いきなり出てきたら驚くだろ! そもそも寝てたんじゃないのか?」
「寝てたとも。じゃが、誰かさんがウッキウキで海の準備をするもんじゃからのう。感情がうるさくて、目が覚めてしもうたわい」
マリネさんが顔を赤らめ、視線をそらす。
「そ、そんなことないし……」
「確か“水着”とかいうやつを買うかどうか、ずっと悩んでおったよな?」
「わーっ! やめてやめてやめてーっ!!」
マリネさんが慌てて手を伸ばすが――
「無駄じゃ無駄じゃ。ワシには触れんぞ? ほれ」
オルフがふわりと片翼を差し出すと、それはマリネさんの胸元をすり抜けた。
「オルちゃーーーん!!」
マリネさんの絶叫が海辺に響き、顔を真っ赤にしてオルフを追いかけ回す。
……やっぱり、騒がしいじゃねえか。
俺はグルメマンの方に目をやり、ため息まじりに言った。
「……続き、やっちゃいましょう」
「うむ。我らの使命を果たすとしよう」
俺たちは再び鍋の前に戻り、静かに準備を進め始めた――。
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