3話 マーシュと運命の出会い
そして、冒頭へと話は戻る。
彼女との出会い。
それは夢のような――いや、“悪夢”のような日常の始まりだったのだ。
彼女は、"プリン"という謎の言葉を残して、俺にもたれかかるように気を失った。
さすがにこのまま放っておくわけにもいかず、俺は彼女を背負い、急いで冒険者ギルドへと引き返す。あそこなら、応急処置ができる救務室がある。
二日間の疲労が溜まっていたこともあり、ひいひい言いながらようやくギルドに到着すると、扉を開けて少し大きめに声をかけた。
「すみませーん!なんかこの人、急に倒れちゃったんですけど――」
俺の声に反応して、職員や受付のお姉さんたちがギョッとした表情でこちらを見る。
――いや、正確には俺じゃなくて、この"青い髪の女性"を、だ。
場の空気が一変した。ギルド内に、言葉にできないほどの緊張感が走り、しんと静まりかえる。
何が起きたのか分からず、俺が再び口を開こうとした瞬間――
「ぐ、群青の破壊者だぁぁぁぁぁ!!!!!!」
耳をつんざくような悲鳴が飛び交い、場は騒然とした。怒号が飛び交い、書類は一斉に片付けられ、金庫はガチャガチャと施錠され、カウンターのすべてには「CLOSED」の札。
え、なにこれ。
「あれ……?俺、なんかやっちゃいましたか……」
誰にも聞こえていないであろう独り言が口から漏れる。
そんな俺のもとに、昨日クエストの手続きをしてくれたココットさんが、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「ま、ま、マーシュさん!?な、なんであなたが群青の破壊者を連れてるんですか!?」
「はっ、え!?いや、そんなよく分からないもの知らな――」
「それですよ、それ! あなたが背中に背負ってる人!!」
俺の言葉を遮るようにして、ココットさんが鬼の形相で女性を指差す。
まさか、彼女が噂の「群青の破壊者」……?
こんな華奢な人が?いやいや、いくらなんでもそれはないだろう。
とにかく、この騒ぎをどうにか落ち着けないと――
「お、落ち着いてください。この人はついさっき出会って、俺の目の前で気を失っ――」
パシッ……!
乾いた音が空気を裂き、俺の右頬にじんわりと痺れと熱が広がる。
……ああ、今、俺はビンタされたんだ。そう認識するのに数秒かかった。
「お、落ち着けるわけないじゃないですか!この人は、普段は大人しそうにしてるくせに、突然わけのわからないことを叫びながら、手当たり次第に破壊の限りを尽くす……そういうヤバい人なんです!」
ココットさんの熱弁が、ビンタの衝撃でぼんやりとしか耳に入ってこない。
――いや、だからって、叩かなくてもいいじゃないか。
泣きたいのをなんとかこらえつつ、俺は小さな声で問いかける。
「だ、だったら……俺、どうすればいいんですか……」
「そ、そんなの、私だって知りません!とにかく、その人をここから離してください!今すぐに!」
ピシャリと断ち切るように放たれた言葉に、さすがの俺も反論はできなかった。
ちょっとくらい事情を聞いてくれてもいいじゃないか、と思わなくもないけど、彼女のあまりの剣幕に口ごもるしかなかった。
それに、仲が悪いわけではなかったから、あそこまで言われたショックも相まって俺は唇を噛み締めるので精一杯だった。
結局、俺は彼女を背負ったまま、ギルドを後にすることになった。
俺は彼女を背負ったまま、安宿〔ボロンボ〕まで戻ってきた。もう、正直足腰は限界だ。
ようやく宿の入り口付近までたどり着いたところで、扉が勢いよくガラリと開いた。現れたのは、所々歯の抜けた、恰幅の良いジジイ。
「おっ? 金もないのに女連れとは、やるねぇマーシュ」
このジジイ――もとい、バドさんはこの宿の主人だ。
いろいろと雑用を頼まれる代わりに、敷地内の庭をタダで使わせてもらってる。だから一応は、恩人……と言えなくもない。
たまたま俺を見かけて、面白がって出てきたのだろう。
「バドさん、そんな余裕ないですって……それより――」
そう言ってバドさんの部屋にあげてもらい、ここまでの経緯をざっと説明する。
いかに今日が散々だったかを、できるだけ丁寧に。
「かっかっかっか……! そりゃあ大変だったな、マーシュ!」
「もう、大変どころじゃないですよ……この人のせいで、えらい目にあいました……」
そうぼやきながら、彼女の方をチラリと見る。
彼女はいまだに目を覚ます気配もなく、椅子に適当に体を預けたまま静かに座っていた。
「まあまあ、そんな日もあるわな。……それで、部屋を貸して欲しいんだったな?」
バドさんは古びたロッキングチェアにギィ、と音を立てながらもたれ、目を細める。
――金の話になると、目の色が変わる。この人、ほんとに商人なんだな。
いくら取られるかも分からないが、さすがに気を失った女性と一緒に野宿は無理がある。
何よりこれ以上、面倒ごとに巻き込まれたくない。
「はい、それはもう。とびきり安い部屋でいいんですけど……とりあえず、一晩だけこの人を泊められれば」
「ん~、そうは言ってもなあ……その、なんとかの破壊者とか言われてるんだろ?顔は可愛いのに」
「群青の破壊者、ですね。いや、顔は関係ないと思いますけど」
もう一度、彼女の顔に目をやる。
整った目鼻立ち、美しい髪。俺と年はあまり変わらないだろうが、やや幼く見えるその顔は、街中で見かけたら振り返るレベルの可愛さだ。
……ただ、目が半開きになってるのが妙に不気味だけど。
「……そんな危ない人には見えないんですけどね」
「う~~~ん……」
バドさんは、ロッキングチェアをきしませながら顎をザリザリとさする。
そして、意を決したように前のめりになり、俺にひとつの提案をしてきた。
「マーシュ、何かあったらお前が責任取るってんなら、一日五百ゴルドで部屋を貸してやるぜ」
「げえっ!?」
……まったく、この女性はとんだ疫病神だ。
二日間の稼ぎがこんなことで全部吹き飛ぶなんて。
それに、厄介ごとを避けようとしていたのに、また新しい種が増えてしまった。
責任って言われても、具体的に何をすればいいんだか。
とはいえ、この宿の最安値が千ゴルドだということを考えると、五百ゴルドは破格ではある。
それがバドさんの情けなのか、それとも別の計算があるのかは分からないが……ありがたいと思う。
ただ、「責任」という言葉が妙に重たく感じて、つい尻込みしてしまう。
「う~ん…………じゃあ、五百ゴルドでお願いします……」
全財産をここで使って問題をひとまず解決するか、あるいは新しい策を考えるか――
その二つを天秤にかけた時、俺は疲れきった体と心に抗えず、前者を選んでしまった。
今日の晩飯が抜きになるのは覚悟のうえ。とにかく、今はもう何も考えずに寝たかった。
……けれど、今となっては、もう少しだけ考える余裕があればよかったと、すぐに後悔することになる。
* * *
翌朝。
いつもより遅く、十時過ぎに目が覚めた俺は、さっそく彼女の様子を見に行くことにした。
昨夜は、全財産をはたいて借りたボロ部屋に彼女を運び、ベッドに寝かせた後、自分の寝床に戻って泥のように眠ってしまった。
重たいまぶたをこすりながら、頼むから何も起きてませんように――と心の中で何度も祈りつつ、俺は部屋へと向かう。
ギシギシ、ミシミシ……
歩くたびに軋み音を立てる階段を恐る恐る上り、ついに彼女がいる部屋の前にたどり着いた。
俺は一度、深く深呼吸してからドアを数回ノックする。
「すいませーん……」
「…………」
……何か、かすかに聞こえたような気がする。
もう一度、さっきよりも少し大きな声で声をかける。
「すいませーん! 入ってもいいですか?」
「…………ヌィ……」
一応、起きてはいるらしい。
入室の拒否はされなかった、ということにして、俺はそっとドアノブに手をかけた。
「は、入りまーす!」
ギイィ、と軋む音と共にドアが開いていく。
――『手あたり次第に破壊の限りをつくす、ヤバい人なんです!』
ココットさんが言っていた言葉が、俺の頭にフラッシュバックする。
思わず目をギュッとつむったが、意を決してうっすらと開ける。
まず目に入ったのは、昨夜と変わらぬ室内。
そして、ベッドに大人しく腰かけている、あの女性の姿。
……ん? 俺は一体、何をあそこまでビビってたんだ?
「破壊者だ」「ヤバい人だ」と騒がれていたが、それはきっと人違いか、噂が一人歩きしていただけだ。
まったく、集団心理ってやつは本当に恐ろしい。
俺はひと安心して、彼女に近づいた。
髪はボサボサ、目はきつく閉じ、口はへの字に曲がっている。
事情を知らなければ、ひどい二日酔いにでも苦しんでいるようにしか見えない。
……いや、俺も事情は知らないんだけど。
「あの、すいません。大丈夫ですか?」
「…………ウェ……」
返事ともつかない声を漏らしながら、彼女はのらりと立ち上がった。
ふらりふらりと、俺の方へ歩いてくる。
「あ、えっ、立ち上がって大丈夫ですか?もう少し休んでいたほうが――」
「……プ…………は?」
いつ倒れてもいいように、俺はとっさに腕を差し出す。
その時、彼女はボソボソと何かをつぶやいた。
「え?」
「……プリンは?」
……プリン?
彼女は、確かにそう言った。
耳慣れない単語だが、そういえば昨日出会った時も同じことを言っていたような……?
「え、なんです――」
俺が聞き返すのと、ほとんど同時だった。
彼女がカッと目を見開き、髪をゾワゾワと逆立てながら、俺に迫ってきた。
「ねえっ!! プリンはどこっ!?!?」
「ひっ……!」
その気迫に、俺は咄嗟に後ずさる。
あまりの恐怖に、ちびりそうになる――いや、もしかしたらもうちびっていたかもしれないが、そんなこと気にしている余裕はなかった。
「ああああぁぁぁぁ!!!!」
彼女は頭を抱えて激しく髪を振り乱すと、その周囲に青い光の粒が現れた。
まるで魔力の塊のようなそれは、やがて彼女のまわりをギュンギュンと回転しはじめる。
そしてその回転は次第に速度と光量を増し、部屋の空気が一気に張り詰める。
「こ、これって……魔法!?」
何が起きるかは分からない。
だが、ろくでもないことになるのは、誰の目にも明らかだった。
「ちょ、待っ――!」
どうにか止めようと、俺が手を伸ばした瞬間――
光の収束は頂点に達した。
次の瞬間、まばゆい閃光とともに衝撃が走る。
俺の体は宙に浮き、気づけば部屋の入り口まで吹き飛ばされていた。
そして、そのまま勢いよくドアに叩きつけられ――
俺の意識は、そこで途切れた。