19話 思わぬ贈り物
応接室を出て、アベルさんの後に続くようにして、俺たちはギルドの裏手へと足を運んだ。
昼間の喧騒が嘘のように、裏手はしんと静まり返っていた。風が吹き抜けるたび、木の葉の擦れる音と、どこか遠くで荷車の幌がはためく音がかすかに耳に届く。
俺は自然と背筋が伸びるのを感じていた。隣を歩くマリネさんは黙ったままだったが、横顔にはどこか決意めいたものが浮かんでいた。緊張というよりも、何かをしっかりと心に刻もうとしているような……そんな表情だった。
やがて裏門を抜けると、開けた敷地が広がっていた。地面は石畳と土の混ざったようなざらついた感触で、ところどころに荷車や木造の倉庫が点在している。空が広く、日差しが敷地全体を明るく照らしていた。
「君たちに渡したいものは、これだ」
アベルさんが足を止め、懐から取り出したのは、黒地に青い刺繍が施された筒状の容れ物だった。
金属のようにも見えるが、どこかしっとりとした革のような柔らかさも感じられる不思議な質感。青の刺繍は複雑な曲線で構成され、まるで魔法陣のような模様を描いていた。
「これは……?」
「魔導荷車の権利書だ」
アベルさんは、重みのある声でそう告げた。
魔導荷車……?
俺は思わずマリネさんを見た。彼女も小さく首を振り、「知らない」と唇だけで伝えてくる。俺だけじゃなかったらしい。
アベルさんは、そんな俺たちの反応を見越していたように、淡々と続ける。
「簡単に言えば、移動もできて、調理もできる。お前たちにはまさにうってつけの旅の相棒だ」
「そんなすごいもの、どこにあるんですか?」
俺が思わず聞き返すと、アベルさんはわずかに口元を緩めて、にやりとした。
「だから、ここだよ」
彼は筒の上部を俺のほうへ向けた。そこはガラスのように透き通っていて、中には藍色に輝く宝石がひとつ埋め込まれている。その光はまるで呼吸をしているかのように、ゆるやかな脈動を繰り返していた。
「ここに触れながら、力を込めろ」
俺は言われるままに、指先でそっと宝石に触れた。意識を集中すると、筒全体がふわりと光り、「カチリ」という音と共に蓋が開いた。
中から現れたのは、巻物のように丸められた真っ白な紙だった。
「ここに名前を書いて、血をひとしずく落とせ。それで登録は完了だ。以後、念じれば荷車は呼び出せるようになる」
「念じれば……?」
半信半疑のまま、俺は言われたとおり、紙に『カルトフ・マーシュ』と書き、指先を小さく切って血を一滴、紙に押しつけた。
すると紙が淡く光り、書いた文字と血の跡が煙のようにふわりと消えていく。
同時に――頭の奥に、何かがすっと流れ込んでくるような奇妙な感覚が走った。まるで、初めての言葉を教えられた時のような……そんな感覚だった。
思わず、その言葉を口にしてみる。
「……出でよ、荷車」
次の瞬間、目の前の空間がまばゆい光に包まれた。思わず顔をそむけるほどの輝きがあたりを照らし、やがてゆっくりと収まっていく。
光の中から現れたのは――確かに荷車だった。けれど、ただの荷車じゃない。
御者席の後ろには、大人三人が入っても余裕がある広々とした調理スペースが広がり、しっかりとした幌が張られている。天井には網と棚が設けられ、吊るされた鍋や道具が揺れていた。火を起こすための小さな炉まである。
御者席には2つの車輪、後方にはさらに大きな4つの車輪が取りつけられ、安定性と機動性を兼ね備えているようだった。
「す……すげぇ……!」
心の底から湧き上がった興奮が、思わず口からこぼれた。
けれど、ふと気になることが浮かんで、俺は問いかける。
「でも……これ、馬は?」
アベルさんは俺の問いに、少し肩をすくめながら答えた。
「魔導荷車は、馬車と違って馬は必要ない。念じれば収納もできるし、半永久的に動き続ける。操縦といっても、進む、止まる、曲がるくらいの簡単な操作だけだ。慣れるまでは多少練習がいるが……まあ、自分で工夫しろってことだな」
馬がいらない? 出し入れ可能? ……それ、もう魔道具っていうより、ほとんど魔法じゃないか。
「すごい! 広い! 見て見て、マーシュさん!」
マリネさんが奥の調理スペースまで駆けていく。幌の下には、棚や引き出しのついた作業台がずらりと並び、端には排気用の小さな煙突までついていた。彼女は瞳をきらきらさせながら、引き出しを開けたり閉めたり、くるくるとその場を回っている。
「はしゃいでるな……」
思わず漏れた俺の声に、アベルさんも少しだけ口元をゆるめた。
「そこには、あらかたの器具が揃っている。調味料や食材、あとは細かい道具は、自分たちで揃えるといい。あの荷車は、旅の移動に加えて、あくまで"現地での調理販売"を想定して作られてるからな」
充分すぎる設備。しかも出し入れ自由で、馬もいらない。これはまさに、旅する料理屋のための装備だ。
「でも、こんな……まるっきり高価そうなもの、いただいてもいいんですか?」
俺が恐る恐る尋ねると、アベルさんは意味ありげに微笑んだ。
「ギルドが決めたことだからな。私はそれに従って渡してるだけさ」
その言い方が、どこか引っかかる。けれど、今は深く考えている余裕がなかった。
「それと、さっきのお前の登録手続きだが……」
アベルさんは、まだ調理器具をいじっているマリネさんをちらりと見やって言った。
「あそこではしゃいでる彼女と、もう一人。声のデカい大男にも、同じ手続きをやらせておけ」
「……声のデカい大男?」
思い当たる人物は、一人しかいない。
「……グルメマンさんのこと? あの人と、知り合いなんですか?」
俺が問い返す前に、アベルさんは俺の肩を軽く叩き、ふっと目を細めた。
「じゃあ、頑張るんだな、マーシュ」
それだけを言い残し、くるりと踵を返す。
「ありがとうございました! 頑張ります!」
マリネさんの明るい声が背中に届いたのか、アベルさんは振り返ることなく、片手だけをひらりと振って去っていった。
* * *
夜の街は、昼間とはまるで違った顔を見せていた。
街灯代わりの魔石が灯る石柱が、等間隔に静かに並び、石畳の道をふんわりと照らしている。
その光はどこか温かく、喧騒を包み込んで、心の疲れをそっと癒やしてくれるようだった。
三人で向かったのは、〔ウィッチクラフト〕という名の酒場だった。
「森のグルメあります」と洒落た文字が描かれた木製の看板には、乾いた木の実とツタで編まれたリースが下がっている。
まるで森の入口みたいな、その佇まいに、思わず足を止めてしまいそうになる。
「わ、すごい……!」
マリネさんが小さく息を漏らした。
店の扉を開けると、木の梁から吊るされたランタンが、琥珀色のやわらかな灯りを落としている。
壁にはキノコや木の枝を模した装飾が飾られ、店内全体がまるで森の中を切り取ったような空間になっていた。
鼻をくすぐるのは、清涼感のあるハーブの香りと、香ばしく焼かれた肉の匂い。
どこか懐かしく、どこか新しい。そんな香りに、自然と心がほぐれていく。
「ここは、各地の森で採れた食材を売りにしているらしいぞ」
グルメマンさんがぼそっと呟くと、ちょうど奥の席からスモークハーブの香りがふわりと流れてきた。
その言葉が、まさに事実であると告げているかのようだった。
「ペペロンチーノ完成祝いってことで、今日はちょっと贅沢しようか」
そう声をかけると、マリネさんがぱっと顔を明るくして頷いた。
テーブルにつき、まずは魔導荷車の登録をグルメマンさんにお願いする。
ギルドから渡された書類を広げて説明すると、彼の表情がぱっと輝いた。
「……ほぅ、馬がいらず、出し入れ自在とは。これは、実にロマンがある! 調理スペースまで完備とは……まさに、移動する夢の厨房だな!」
まるで少年のような眼差しで書類を眺めながら、グルメマンさんは迷わず登録印を押した。
「でも、あんなすごいもの、よくギルドがポンとくれましたね。やっぱり、資金はたっぷりあるんですか?」
ぽつりとつぶやいた俺の言葉に、グルメマンさんの表情がほんのわずかに揺れる。
「……いや。ギルドにそんな余裕があるとは……」
何かを察したようだったが、それ以上は語らず、グラスを手にしてふっと笑った。
「まあ、そういうときは素直に感謝しておくのが礼儀というものだ」
「そういえば……」
ふと思い出し、俺は昼間のことを尋ねる。
「あの人、グルメマンさんのことを知ってるようでしたけど……知り合いなんですか?」
「うむ。まあ、昔な。ほんの短い間だけ、一緒に冒険者をやっていた頃があってな」
いつもと変わらない口調だった。
その語り口に、深く踏み込むのはやめておこうと思った。
「そうなんですね」
そう答えたところで、木皿にのせられたくすんだ緑色の瓶が運ばれてくる。
ラベルにはキノコの焼き印が押されており、いかにもこの店らしい趣だ。
マリネさんの前には、香ばしく湯気を立てた特製キノコ茶が置かれた。
どこか甘く、草のようなやわらかな香りが、テーブルいっぱいに広がる。
「何はともあれ――ペペロンチーノ完成、おめでとうございます! 乾杯!」
マリネさんの声がはじけ、三人でグラスを合わせる。
カラン、と心地よい音が、今この時間を鮮やかに刻みつけた。
グルメマンさんは、キノコのバター炒めと串焼きを三十本。
豪快に頬張りながら、ひときわ大きな声をあげた。
「おぉ、これはウマイッッ!! 旨味と歯ごたえ、まさに病みつきだッッ!!」
俺は、イノシシの背脂を塩漬けにしたものと、乾燥キノコを練り込んだパンを注文。
背脂をフルーツソースに軽くくぐらせ、パンと一緒に口に運ぶ。
じわりと広がる甘い脂に、塩気と酸味が絶妙に混ざり合い、パンの香ばしさがその味を引き立ててくれた。
マリネさんは、イノシシのホロホロ焼きと、森の果実のパイを交互に食べている。
おかずとデザートを分けることなく、自由に楽しむその様子が、彼女らしくて思わず微笑んでしまう。
「んん~! 本当に口の中でホロホロ崩れる! お肉の味も濃くて美味しい!」
次にパイを一口。
「んん! このパイも美味しいっ!! リンゴにベリー、クルミとかナッツとかも入ってるね……色んな組み合わせなのに、こんなに美味しいなんて……!」
嬉しそうに目を輝かせるマリネさんに、思わずこちらも笑みがこぼれた。
あたたかい食事と、気のおけない仲間との時間。
それはきっと、ほんの一瞬のことかもしれない。
だけど今だけは、すべてを忘れて笑っていられる。
その夜、俺は確かに――「旅の始まり」を感じていた。
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