18話 ギルド長アベルの謁見
グランオリジアの街に戻ったのは、すでに日が傾き、空が紫がかった藍色に染まりはじめた頃だった。
街の灯りがひとつ、またひとつと灯っていく中、俺たちはまっすぐ冒険者ギルドへと向かった。
ドアを押し開けて中へ入ると、いつもは騒がしいロビーがやけに静かだった。カウンターの前――そこに、ひとりの男が立っていた。
背筋の伸びた細身の体格。黒の頭髪には少しの銀が混じっているが、年老いているという印象は全く受けない。白いシャツに、深い紺のスーツ。その姿はどこか“この場にいるはずがない存在”のように見えた。
男は無表情でこちらを見つめている。目つきは鋭く、まるでこちらの心の内を見透かしてくるようだった。いや、それどころか、体温すら測られている気がした。
「……誰?」
俺が、警戒の声を出す。
するとグルメマンが、はあ、と深くため息を吐いた。
「ああ……こりゃ、面倒なのが来たな」
「面倒……って?」
「このあたりのギルドを統括してるギルド長、アベル・ディンセント。厳しいが優秀、そして口うるさい。報告書の誤字すら許さないし、数字の端数が合ってないとキレるタイプだ」
ぞわりと、背中が冷える。そりゃあ確かに面倒だ。
そんなことを思っていると、男――アベルと目が合った。
その瞬間だった。
「……マーシュ殿、あとは任せた」
グルメマンが素早く手に持っていた素材の包みをマリネさんに渡し、俺たちの質問も、困惑も無視して、するりとギルドの扉を抜けていった。
「え、ちょ、待っ……!」
思わず手を伸ばした俺を制したのは、アベルの低く落ち着いた声だった。
「君たち。応接室へ来たまえ」
その言葉には、感情らしきものがまったく乗っていなかった。ただ事務的な命令。それなのに、妙に逆らいがたい圧があった。
その目は、何かを“見定める”ように俺たちを見ていた。
「…………」
俺とマリネさんは、顔を見合わせた。何が起きるかわからない、けれど、逃げ道もなかった。
俺たちは黙って、アベルの後に続いて歩き出した。
* * *
応接室の扉が、ゆっくりと音を立てて閉じられる。
金属の留め具が静かに噛み合う音が、妙に大きく響いた気がした。
革張りの椅子に腰を下ろした俺とマリネさんは、無言のまま向かいの男――ギルド長アベルの視線を受けていた。
まるで、冷たい光を放つ刃物のような眼差し。よく見ると、蒼と黒、それぞれ色の違う男の目は、こちらの心の奥底までを見通してくるようだった。
「君が――“群青の破壊者”マリネと、“Gの男”マーシュか」
皮肉のようにも聞こえるその言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
(……なんだその名前。聞いてないぞ……“Gの男”ってなんだよ)
うっすらと胃が痛む。ちらりと隣を見ると、マリネさんもまた、あの物騒な二つ名に目を伏せていた。
苦笑いひとつできないような、あまりに静かな曇り。
「単刀直入に言おう」
アベルの声が、部屋の空気を一瞬にして冷やす。
「マリネ、君の力は――世界を崩壊させかねない」
静かだった部屋に、重い石のような言葉が落ちた。心臓がきゅっと縮む。冗談ではなさそうだった。
「……え?」
マリネさんのかすれた声が漏れる。目を見開いたまま、思考が止まっているようだった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺は思わず声を上げた。「崩壊って……何ですか、それ!」
けれどアベルは、あくまで冷静だった。まるで予定通りと言わんばかりに、静かに言い返す。
「君も目の当たりにしたはずだ。宿屋での、魔力暴走を」
その一言で、あの夜の光景がよみがえる。
空間がぐにゃりと歪み、マリネさんが苦しみ、すべてが消し飛んだ。俺の記憶の中でも、あれは“ただの事故”では済まされない異常だった。
「彼女の力は、年々増している。我々の監視下にあるとはいえ、もはや制御できる範疇かどうか……」
マリネさんはうつむいたまま、じっと手を見つめていた。小さな震えが、指先に走っている。
「でも、今はちゃんと対応していて……」
そう言いかけた俺の言葉を、アベルの手が机を打つ音がさえぎった。
「さらに、だ。最近この街、いや、君たちが滞在した地域一帯にて、異常な魔力の波動が観測されている。今朝もだ」
「きょ、今日……?」
全身から血の気が引く。心臓が跳ねた。
「……ち、違います! あれはオルフが――」
思わず口走りかけたその時、マリネさんが俺の袖をそっとつかんだ。
静かに、けれどはっきりと、首を横に振る。瞳が「言わないで」と訴えていた。
アベルは、そのやり取りにわずかに眉を動かしたが、それ以上の詮索はしなかった。
「ギルド上層部の一部では、マリネの身柄を一時的に拘束すべきだという意見もある」
その言葉に、俺は反射的に立ち上がりかけた。
「そ、そんな……! 彼女は、わざとやったわけじゃ……!」
「――君はそう言えるかもしれない」
アベルの声は低く、しかし凍てつくような強さがあった。
「だが、崩れた宿にいた人々、突然空に呑まれた街の住民たちはどう思う?」
返す言葉が見つからなかった。俺の喉の奥に、重くて固い何かがつっかえていた。
「……だが」
アベルの声が、ほんのわずかだけ和らぐ。
「君たちが状況を理解し、対策を講じていることは、ギルドとしても把握している」
その言葉に、マリネさんがゆっくりと顔を上げた。頬にかかる髪の下で、目元が少し潤んでいた。
「宿屋以降、暴走は起きていない。精神的にも安定しているようだ。ギルドとしては、それを素直に評価したい」
アベルの口調に、ようやく人間味が感じられた気がした。俺もマリネさんも、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「私としても、ギルドとしても……これ以上の被害が出ない限り、支援を続けたいと思っている。君たちが真摯に取り組む限りは、な」
アベルは立ち上がり、こちらを見て軽くうなずいた。
「――ついてきてくれ。支援品の受け渡しがある」
まだ胸の奥に緊張は残っていたが、俺たちはその言葉に黙ってうなずき、彼の背についていった。
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