16話 ペペロンチーノと不安の種
色々あったが、ようやくこの時がきた。
二人が頑張って入手してくれたマンドラゴラ。オリーブの実から絞った黄金色のオイル。ラージペロゴンの肉。
それに、乾燥させたチイノの実──。
このすべての素材をもって、俺たちの「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」を完成させるんだ。
さっきの調理で嫌というほど分かった。
ペロゴンの肉は、徹底的に水気と臭みを抜くこと。そうでなければ、どれほどの香味を重ねても台無しになる。
だから、一番効果的な方法──オイル煮を選んだ。
低温の油でじっくり火を通せば、肉の奥に残った余分な水分もゆっくり追い出され、臭みも抑えられる。
同時に、オイルに抽出された成分で肉の臭味を抑え、ニンニクの風味をまとわせる。
鍋には、まず刻んだマンドラゴラと、砕いたチイノの実を入れる。
火はあくまで弱く。じわりと泡が立ち、油に香りが移っていく時間が好きだ。
マンドラゴラは熱しすぎると風味が飛ぶから、香りが立ったらすぐに取り出す。
──オイルに宿ったのは、森の土を思わせるような、深くて強い香り。
ニンニクを思わせる香ばしさもあり、少し鼻にツンとくるが、あとを引くような甘さもあった。
「……よし、とりあえずここまでは良さそうだ」
思わず腹が鳴る。だが、ここからが本番だ。
次に、厚めに切ったラージペロゴンの肉を投入。
もちろん、塩で下処理し、しっかり水気をきったやつだ。
ジュワ……という音が、空気に張り詰めた緊張をほどいていく。
やがて泡がゴボゴボと立ち上り、それはだんだんと細かく、静かになっていく。
表面がほんのりきつね色に変わり、油の中で肉がふっくらとしていくのが見える。
ときおりスプーンで油をかけ回しながら、音と香りに集中する。
気泡が小さくなり、やがて出なくなる──それが、完成の合図だ。
「……いいぞ、これは」
思わず呟いた。
香り、音、手ごたえ。すべてが揃っている。
この時のために、俺たちはここまでやってきたんだ。
取り皿にとりわけ、仕上げに先ほどのマンドラゴラとチイノの実を添える。
仕上げの塩をさらりと振れば、空腹をさらに刺激する香りが立ち上がる。
「……できたっ!」
「うわぁ、すごい……」
「これが、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ……!」
感嘆の声が漏れ出す。
懸念していた嫌な香りはまったくしない。
俺はさっそく口に運ぶ。
「んん……!」
マンドラゴラは口の中でとろけるようにしてなくなり、香ばしさと甘味の余韻を残す。
ペロゴンの肉は表面はカリッと仕上がり、噛めばホロホロと崩れる。
しっかりと味が染みていて、噛みしめるたびに旨味があふれるようだ。
さらに、途中でピリッと辛みが走るチイノの実が、全体を引き締め、鮮烈なアクセントになる。
「おお、これはウマイッッ!!!焼きともオイル煮とも違う……唯一無二の調理、そして味……!」
「すごい……あんなに臭かったお肉とは思えないほど、素敵な味!マンドラゴラも、とろっとしてて甘くて……幸せ……!」
その瞬間、マリネさんの体がフッと光る。
「あ……この感覚……分かる。ペペロンチーノ欲が、満たされた……!」
「よっしゃあぁぁぁ!!」
三人共が立ち上がり、それぞれハイタッチを交わす。
今回も、無事に成功だ……!
この料理、完成度もさることながら、妙な中毒性を感じるほどに旨味が強い。
口に入れるたび、またすぐに次のひと口が欲しくなる。
もちろん、二人にも大好評のようだ。
──後はただ、何も起きずに、無事に終われば良いのだが……。しかし、俺の懸念は的中することになる。
草がざわざわと逆巻くように揺れ始め、鳥たちが一斉に飛び立った。
突如として空気が重くなる。風が止み、虫の声も、鳥のさえずりも消えた。
空が、揺れた。まるで世界そのものが息をひそめるかのように――。
「……なんだ……?」
空がみるみるうちに陰り、稲妻を帯びた灰色の雲が空中に渦を巻き出す。
それはまるで、前回のあの出来事の再演のようだった。
「これ……この前と同じ……!」
俺とグルメマンは即座に剣を構え、辺りを警戒する。
だが、決定的に違うことがひとつあった。
マリネさんの様子――あの時のように倒れたり、意識を失ったりしていない。
「……マリネさん、大丈夫?」
「は、はい……でも……」
彼女は怯えたように俺の袖をつかんだ。
表情は不安げだが、意識ははっきりしている。
ただ、空を見上げる瞳に、何かを探るような、引っかかるような色が浮かんでいた。
「なんだろう……でも、怖い……変な感じが、します……」
やがて、渦巻く雲は一つの塊となり、重く垂れ込めながら俺たちの頭上へと降りてくる。
空気がひんやりと冷え、地面がわずかに揺れた。
それは、蛇のようにぐるぐるとうごめきながら球体を形成し――
ぴたりと俺たちの目の前で静止した。
そして一閃、雷のような閃光が走ったかと思うと――
「むあぁぁぁぁっ!!!」
奇妙な叫び声と共に、光の中からぽんっと現れたのは、なんとも言えない生き物だった。
四本の小さな角。
金縁のモノクルをかけ、大きな目がギョロリと動く。
そして、ふわふわと宙に浮かぶ、ずんぐりとしたフクロウのような見た目。
「な、なんだお前はっ!」
俺とグルメマンが反射的に剣を向けると、そいつはまるで気にも留めず、眠そうな目でこちらを一瞥した。
「そっちこそ、なんじゃ。こちとら寝起きだというのに、騒々しいやつじゃ」
その声は妙に愛嬌があるのに、どこか人を食ったような響きがある。
背筋をなでるような、得体の知れないものに触れる感覚――。
「ワタシはグルメマンだ。お主の名は、何と申す?」
グルメマンが問いかけると、フクロウは口角をぐにゃりと上げ、愉快そうに笑った。
「ほう、グルメマン、とな。良い名だ。お主の礼儀に免じて、ワシも名乗ろうとしよう――」
バサァァン!!
大げさに翼を広げると、その存在が一瞬だけ風を巻き起こした。
「ワシの名は、《オルフ》。知識を司る叡智の神であり――」
そこで、オルフはちらりとマリネさんに目をやる。
その目が、妙に鋭く光っていた。
「マリネの子じゃ」
「えぇぇぇーーーーーっ!?!?」
俺、グルメマン、そしてマリネさん――
三人の絶叫が平原にこだまする。
マリネさんは目をぱちぱちと瞬かせ、口をパクパクさせながら言葉を探していた。
「……え、え? わ、わたし……子どもなんて産んでないですよ……?お付き合いだってしたこと……あれ、ちが……何の話……?」
彼女の混乱をよそに、フクロウ――オルフはくっくっと喉を鳴らして笑った。
新たな騒動の始まりだった。
読んでいただきありがとうございました!ブクマ、感想等いただけたら励みになります。
よろしくお願いしますm(_ _)m