15話 希望は、アーリオ・オーリオ
――ぴくり、と指が動いた。
それを皮切りに、少しずつ意識が浮かび上がってくる。ぼやけた視界に、かすかな草の匂いと、誰かのぬくもり。
……誰かが、俺の上に……?
「あ……」
「……あっ」
目を覚ました俺と、俺の胸に倒れ込んでいたマリネさんの目が、ばっちり合った。
「ご、ごめんなさいっ!」
「いや、こっちこそ、俺汚いから……」
どちらからともなく身体を離し、ぎこちない間が流れる。マリネさんの頬がほんのりと赤く染まっているのを見て、思わず俺もそっぽを向いてしまった。
しばしの静寂ののち、遠くから「ゴキッ……メキキッ」と不穏な音が響いてくる。視線を向ければ――
グルメマンが一人、ラージペロゴンの解体に没頭していた。大ぶりなナイフを手に、甲殻を器用に剥ぎ、筋肉の走向を確かめながら手際よく捌いていく。
なんだろう……あの人、やけに楽しそうだな。
「……もう動けるか?」
低く落ち着いた声が、俺たちを現実に引き戻す。顔を上げると、グルメマンが沼の水で丁寧に手をすすぎながら、こちらを見ていた。
「このまま、ここに留まっていてもリスクが高い。少しでも動けるなら、今のうちに脱出すべきだ」
その言葉に、俺たちはうなずいた。まだ体の奥に疲労は残っている。でも、もう立ち上がれないほどじゃない。
「ありがとう、マリネさん。回復、助かった」
「……ううん。私も、助けてもらったから……」
再び視線が合い、またしても沈黙が流れる。だが、今度は少しだけ、あたたかい沈黙だった。
気づけば、飛び散っていた荷物はすべてまとめられていた。グルメマンが、いつのまにか整えてくれていたらしい。
それでいて、解体作業も、もうほとんど終えている。
……相変わらず、すごい人だ。
グルメマンの背中を追って一向はゆっくりと沼地を後にする。
湿った空気の中に、ひときわ澄んだ風が通り抜けた。静かだが、確かな達成感が胸に灯っている。
――生き延びたんだな、俺たち。
そして、その一歩が、また次の冒険へと繋がっていくのだろう。
……いや、俺たちの本当の冒険は今からが本番だ。
* * *
「ふうぅぅぅ……! 生き返るっ……!」
俺たちは沼地を抜け、ようやく清流のほとりへたどり着いた。
全身泥と怪物の匂いにまみれてたんじゃ、料理もへったくれもない。ってことで――まずは風呂だ!
俺はためらわず川に飛び込んだ。
全身の汚れが、冷たい水に溶けて流れていくのがわかる。生きててよかった、ほんと。
グルメマンも無言で上半身を脱ぎ、川岸でごしごしと洗い始めた。
相変わらず、筋肉の密度が異常だ。あれで斧でも投げてきたらどうすんだ。いや、すでに投げてたな。
マリネさんも「私もー!」と言って俺に続いて川へ――って、あの、マリネさん……!?
服のまま入ったせいで、いろいろ透けてる……のに、無邪気に水をぱしゃぱしゃかけてきてる……!
「あ、あの、それ……」 「えっ? ああっ!?」
彼女は一瞬で真っ赤になって、ものすごい勢いで水から飛び出していった。
まあ、俺も人のこと言えないくらい顔が熱くなってるけど。
* * *
服が乾くまで、ひと休み。
そして、ついにこの旅の本命――ペペロンチーノ作りに突入する。
俺たちは川沿いの平らな岩場に、簡易調理セットを広げた。
特にこの、魔石式簡易コンロはすごい。折り畳めるから移動が楽で、火加減も調節できるという優れものだ。
火を着け、鉄板を温めながら、いざ――ペロゴン肉に取りかかる。
見た目はカエルというより、もはや筋肉のかたまり。
赤黒く、ぷよぷよしていて……正直、胃が戦闘態勢に入るタイプのビジュアルだ。
「とはいえ、やるしかない」
まず、筋繊維を断つようにナイフを入れてカット。
塩を振ってしばらく寝かせ、にじみ出た水分を布で拭き取る。
沼地で拾った香草(たぶんミント的なやつ)を揉み込み、臭みを封じ込める。
グルメマンいわく、水分を飛ばさないと「地獄を見る」らしい。
その助言を胸に、俺は慎重に鉄板に肉を乗せた。
「ジュワッッッ!!」
油跳ねが尋常じゃない。
鉄板のまわりに油のバリアができるほどだ。こいつ、本当に生物だったのか?
嫌な予感とともに、しっかりと両面に火を入れる。
表面がこんがりと色づいたあたりで、一旦完成。
俺は一皿、焼き上げたペロゴンのソテーをそっとグルメマンに差し出す。
「さて、こちらが……ペロゴンのソテー・ラージ風です」
言った直後に「ラージ風ってなんだ」と我に返る。まあ、雰囲気重視だ。
「むおっ……ふむ、香りは……大丈夫そう、だな」
グルメマンはフォークを手に取り、焼けた肉を一口。
噛むたびに眉間が寄っていき、鼻をフンフン鳴らしながら、しばらく黙り込む。
「……これは――ジューシーというより、水っぽい……?
いや、噛めば噛むほど、ほのかに……湿地の思い出が……」
「うわ、何その言い回し……」
恐る恐る俺も一口。
たしかに、口いっぱいに広がるのは“肉汁”ではなく“ぬるめの水分”。
そして後から、うっすらと香るのは沼地の……気配。
普通のカエルがトリ肉に近いなら、こいつは……トリの“成れの果て”かもしれない。
俺は無言でマリネさんに皿を向ける。
彼女はぎゅっと眉を寄せて、ゆっくりと首を横に振った。
「……絶対ヤバいやつ、って顔してたもん、最初から」
俺は残りをかき込み、調理方法の再検討に入る。
素材の味を生かす――無理。論外。
生かすべき特徴は「水っぽい」「臭い」「筋張ってる」。
何か、何かないか……
そのとき、マリネさんがぽつりと呟いた。
「……ねえ、アーリオ・オーリオは?」
「あっ」
そうだった。
この料理、フルネームは“アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ”だった。
忘れてたわ! 長すぎて! というか覚えられるか!
「グルメマンさん、確か、荷物の中に――」
そう言いかけたところで、俺は思わず言葉を飲んだ。
なぜならグルメマンが、イタズラをして怒られた子犬のように小さく肩をすぼめていたからだ。
「ぐ、グルメマンさん……?」
「すまぬッッッ!!!」
唐突に、地面に額を擦り付けるほどの土下座を決めるグルメマン。
全身の筋肉が、土下座のポーズのまま震えている。な、なんかすごいフォームだ。
「えぇっ!?ど、どうしたんですか!」
「アーリオ……つまり、我々がそう呼んでいるニンニクだが……宿に忘れてきてしまったようなのだ……!」
泣き出すのではと思う程、ひどく意気消沈するグルメマン。
「だ、大丈夫ですって!宿に帰れば――」
「無理だッッ!」
力強くも悲しみに満ちた否定。
グルメマンは、地面に手をついたまま首だけ横に振った。
「この肉を常温で持ち帰れば、確実に腐敗する……無理だ……無理なのだ……」
「そ、そんな……!」
マリネさんも言葉を失う。だけど、何とかフォローしようと声を絞り出す。
「ほ、ほら……代わりのものとか、試してみたらどうですか? 例えば~、えっと、香草を刻んで……とか……」
けど、語尾はだんだん小さくなっていった。
その気持ち、よく分かる。ニンニクが放つあの香り、唯一無二の物だからな。
うーん、ニンニク……ニンニク、か……。
――ひとつ、だけ。ある。
俺は顔を上げた。
「なあ、マンドラゴラって知ってるか?」
* * *
俺たちは、足早に沼地の近くまで引き返した。
幸いなことに、マンドラゴラの群生地はこの辺りに集中している。
マンドラゴラは、実はニンニクの仲間だ。特有の強烈な香りを持ち、滋養にも優れていて、薬としても重宝されている。
そんな万能素材なら、なぜ誰も採りに来ないのか――答えは単純。危険すぎるからだ。
根っこの部分には、まるで人の顔のような形があり、引き抜くと「声」を発する。
その悲鳴のような音を近くで聞くと、正気を失ってしまうのだ。
「……俺のスキルで、だいたいの場所は分かった。……で、誰が行く……?」
「ワタシだッッ!!」
グルメマンが、これまで見たことのないほど勢いよく手を挙げた。
言うと思ってた。でも――
「グルメマンさん、耐性とかあります? あの声、近くで聞いたら、ほんとにやられますよ?」
「否っ! だが問題はない。我はこれまで、数多のモンスターと刃を交えてきた者。いかなる脅威とて、ここで退くことは――できぬッ!」
言い切ると、彼は俺の指し示した方角へと歩みを進めていく。
不安はあったけど、その背中はどこか哀愁を漂わせつつも、妙に頼もしく見えた。
――そして、数分後。
静寂を切り裂く、凄まじい音が響き渡った。
「ニイイィィィィィンッ!!! ニイイイィィィィィンッ!!!」
「うっ……くっ……!」
俺とマリネさんは、思わず耳をふさぐ。
かなり距離があるはずなのに、それでも頭の芯が痺れるような響きだ。
やがて音が止み、数秒後――
林の間から、グルメマンが現れた。なんとか、無事生還といったところか。
「おーい」
俺が呑気に手を振っていると、ふと気付いた。
なにか、様子がおかしい。
両手に刀を持ち、全力疾走でこちらへ向かってきている。
しかも、その口元には――狂気じみた笑み。
「うわっ、うわうわ、ヤバいっ!!!」
「キャアァァァッ!!」
俺は咄嗟にマリネさんの腕をつかんで、進行方向から逸れる。
「わ、わはっ! ワハハハッ! うわはははははっ!!!」
狂ったような笑い声をあげながら、グルメマンは俺たちの横を突っ切っていき――
少し先で、パタリと倒れた。
「グルメマンさんっ!」
俺たちは急いで駆け寄り、彼の介抱をした。
幸いすぐに正気を取り戻したが、その手には粉々になったマンドラゴラが。
「……」
「……」
「もう一度行って参るッ!!」
「ダメダメダメダメ!!!」
俺とマリネさんは二人がかりでなんとか彼を制止した。でなければ、本当に命の危険があるからだ。
「でも、こんな状態じゃなあ……」
「……では、次は私が行きましょうか?」
「えっ!? マリネさん!?」
俺の驚きをよそに、彼女は小首をかしげながら、靴を脱ぎはじめた。なぜ靴を脱ぐのかはわからない。
「ほら、グルメマンさんがあんなことになっちゃいましたし……代わりに。でも、なんか……行けそうな気がします」
「いや、気がするって……!」
焦る俺の制止を聞かず、マリネさんはスルスルと沼地へ踏み込んでいく。その背には、不思議な安定感があった。
(……この子、やっぱり普通じゃない)
数秒後――
「ニイイィィィィンッ!!!」
あの悲鳴が再び空気を切り裂く。続いて、二度、三度と悲鳴が轟く。
「えぇっ!?何してんの!?」
しばらくすると音は止み、林から笑顔で駆け寄ってくるマリネさん。
「とれました!」
その手には、まだふるふる震えている立派なマンドラゴラが三本。
「ど、どうして無事なんだ……?」
「なんとなく……気合ですっ」
……いや、そんなわけがない。
「恐らく、"耐性"だろうな」
未だに頭を抑えるグルメマンがポツリと呟く。
「マリネ殿は魔法に精通しておる。そういう人は、心身の異常に対しての耐性値が高い人が多いのだ」
「あぁ~、確かに、昔そう言われた気もしますね……まあ、とりあえず無事に採れたので!はいっ」
「お、おう……」
マリネさんは、マンドラゴラを俺に渡すと優しく微笑んだ。
「私だって、役に立つでしょ? ウェヒヒ」
「っ!?!?」
(今の……笑い方、ちょっと変じゃなかったか?)
けれどそれ以上、マリネさんの様子におかしなところは見られなかった。
本当に……本当に、良かった。
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