13話 遭遇、沼の主!
ギルドでの手続きが終わった翌日、俺たちは早朝からDランククエスト「ペロゴン討伐」に向けて出発した。
目的地は、街から徒歩でおよそ六時間の沼地地帯。初日は途中の開けた野営地で一泊し、翌朝に現地入りする予定だ。
というのも暗い時間の探索は危険だし、ペロゴンが最も活発になるのは朝の早い時間帯だというからだ。
街の喧騒が背後に遠ざかり、両脇にはススキの揺れる野道と、背の高い木立がぽつぽつと点在していた。風は涼しいが、なぜかじんわりと汗ばむ。
沼地までの道中は整備された街道沿いに進むため、比較的危険は少ない。俺たち三人の、のどかな旅路が始まった――いまのところは。
「ふう……結構歩いたな……」
街を出てからどれくらい経ったのだろうか。俺はすでに足が棒のようになりつつあった。
「ふぅむ、まだ半分にも届いておらんぞ」
横を歩くグルメマンは、平然と答える。そして、息一つ乱れていない。二十キロ近い荷物を背負いながら、姿勢すら崩れていないのが腹立たしさを感じる程だ。
後ろを歩くマリネさんは、黙々とフードを被り直している。その額には汗がにじんでいて、顔は少し赤い。あちこち旅してきたそうだけど、体力はないのかもしれないな。
まあ、俺も人のことは言えないけどな……
「……そういえばグルメマンさん、ペロゴンってどんなモンスターなんですか?」
「ふむ。ざっくり言えば――巨大なカエル、だな。 ぬるりとした皮膚に覆われ、長い舌を獲物に叩きつけて捕らえる……いやはや、実にワイルドだぞ」
「巨大なカエルぅ……ちなみち、食材としての価値はどうなんですか?」
「……う、うむ、そうだな……」
おや?急に歯切れが悪くなった。
そいつを食べるという前提がある以上、食味はものすご~く大事な所なんだが。
「……あやつらの肉は、実に香り高い――いや、ものすごぉく悪い意味でな。 独特の生臭さがあって、調理法を誤ると……」
「誤ると……?」
ゴクリッと、音を立てて唾が喉を通る。
「死ぬ」
「はあっ!?」
「いや、冗談だ。 だが、少なくともその匂いで悲劇が起こることは間違いない」
今から食べるもので、悲劇が起こると。
死ぬよりはましだが、メインターゲットにしてはあんまり聞きたくない単語だ。
「……ちなみに、どれくらい大きいんですか?」
「そうだな……ヒツジやヤギ位の大きさは余裕であるな」
「なる程、ヒツジとかヤギ位――え、デカくないっすか?」
「なかなか壮観だぞ? ウサギなんかは丸呑みできるだろうな」
さ、さすがはDランク……まったくもって俺の想定外だ。
すると、俺たちのやり取りを聞いていたマリネさんが、フードからひょこりと顔を出した。
「大きいなら食べ応えがありますね! ぬめぬめで柔らかいなら、火を通せば意外とイケるかも。 例えば、香味野菜と合わせてプリンみたいに蒸して――ふふ、蒸しカエルプリン!」
おえっ。彼女は相当疲れているんだろう。
――いや、もしかして本気か?彼女ならやりかねない。
ほら、グルメマンもゾッとした表情を浮かべている。……コック帽で目元は見えないけれど、あんぐりとした口がそれを現している。
「さ、さすがマリネさん……でも、それだと匂いも閉じ込めちゃうよ?」
「ん~、香草を散らしたら匂いもごまかせるんじゃないですかね? カエルさんは昔食べたことありますけど、淡泊でクセはなかったですけどね」
真顔でそう答える彼女に、俺は静かに歩みを進めた。
……よ~く見張っとかないとな。
* * *
やがて日が西に傾き始めた頃、道端の植物が見慣れないものに変わっていく。
視線の少し先、空気感からしてぬめったような湿地帯が視界に現れた。
まだ距離はあるはずなのに、どことなく重たい空気に、濃く漂う緑の匂い。
耳をすませば、どこからともなく「グエッ、グエッ」という鳴き声――不穏な気配が、肌をじっとり撫でてくるのを感じた。
「さて。 今日はここまでにしておこう」
グルメマンはそう言って、荷物を下ろす。
「え、もっと近くに行かなくていいんですか?」
マリネさんが不思議そうに問うと、彼は静かに首を横に振った。
「夜の沼地は、思っている以上に危険な場所だ。 下手に近付けば、足をとられて這い出せず――巨大な虫に喰われるか、蛇に巻かれるかだ」
マリネさんはその場にへたりと座り込み、青い顔のまま動かなくなった。
はは、グルメマンさんも冗談がうまいな。
……いや、冗談だよね?そんな危ないヤツら冗談と言って欲しいんだけど。
それから俺たちは簡単に野営の準備を済ませた。
夕飯は、乾燥肉と乾燥フルーツのスープ、それに乾パンという質素なメニュー。栄養もそこそこあって日持ちもする。……ただ、味はお察しだ。
食後は手早く焚火を消し、寝袋に潜り込む。見上げた夜空は驚くほど満点の星に覆われていた。
あまりの奇麗さで、かえって不安が膨らむ。
ここからすぐ近く――巨大なカエルモンスター、ペロゴンが潜んでいる。ぬめぬめで、ベロベロで、悲劇の味を秘めたモンスター。
俺は不安を振り払うように、寝袋の中できつく目を閉じた。何かの鳴き声が聞こえる度に、寝袋の中でショートソードを握りしめながら。
* * *
翌日。まだ日が昇るより早くにグルメマンさんに起こされた。まだ眠気が残る体をなんとか起こして準備を終えると、俺たちは松明を手にいよいよ沼地へ足を踏み入れた。
そこは、今まで歩いてきた道とは明らかに違う世界だった。
じめっとした空気。地面を這うような霧。鼻を突くような生臭さ。遠くから微かに聞こえる虫の羽音と、水音のリズムが不安を掻き立てる。
ようやく差してきた陽の光りさえも湿地に吸い込まれていくように弱々しく、視界はすべてグレーがかった色に染まっていた。
ふと気づくと、マリネさんが俺の袖を掴んでいた。無言のまま、その指先に微かに力がこもっている。
俺は彼女に、小さく頷き返した。
大丈夫――たぶん。
そのときだった。
「グエッ、グエッ……」
昨夜も何度か耳にした濁った鳴き声が、沼の奥から響いてきた。
一つ違うのは、その声の主に明確に近付いているということだ。
「……今の、ペロゴンですか?」
「いや。ペロゴンはもっと下品だ」
俺の小さな不安をは裏腹に、グルメマンが平然とした顔で答える。
「下品……?」
「うむ、どちらかと言えば……こう――『ゴバアァァッ!!』って感じだな」
彼の再現は、盛大に嘔吐しながら泣き叫ぶような、ひどく形容しがたい音だった。
いったいどこからあんな声を出したんだろう。
「うん、朝っぱらから嫌なもの聞いたな……」
「心臓がキュッてなりました……」
苦笑いを浮かべるマリネさん。
俺は冗談めかして返したけれど、正直俺の心臓はすでにいつもの二割増しくらいで鼓動していた。湿った風が首筋を撫で、不安が皮膚の裏にじわりと入り込む。
でも、ここまで来たんだ。後戻りはできない。
「ふぅむ、あの辺りで探してみよう」
グルメマンが指差したのは、苔むした岩場だった。淀んだ池の近くだけが、他よりは地面もしっかりしていそうだ。
俺たちは岩場に登り、周囲を見渡す。けれど、突如立ち込めてきた濃い霧のせいで数メートル先すらまともに見えない。
俺の【サーチ】に生命反応はたくさんあるが、ペロゴンのものらしき反応は、まだない。
――それにしても、くさい。
なんだろう、鼻腔にまとわりつくような生臭さい匂い。俺とマリネさんは思わず鼻を押さえたが、グルメマンはまったく動じていないようだ。
ここにきて、今までにないほどの悪臭に言いようのない緊張感。
直感が告げる、”すぐにこの場を去れ”――と。
「なあ、ちょっと場所を変え――」
そう言いかけたとき瞬間、地面がぐらりと揺れた。
地震?――俺はすぐさま辺りを見渡した。
いや、違う。揺れているのは俺たちの足元だけだ……!
「ま、まさか……!」
「皆、気を付け――」
「ゴバアアァァァァッッ!!!!」
グルメマンの叫びを遮り、地の底から突き上げるような叫び声が沼地に轟いた。
次の瞬間、足場がうねりるように隆起し、俺たちは岩場から跳ね飛ばされた。
――いや、岩じゃない。
俺たちは知らず知らずの内に、岩場と間違うほどの巨大な生物の背中に乗っていたんだ。
俺とマリネさんは、空中で回転しながら吹き飛ばされ、そのまま顔から泥に突っ込んだ。
「ぶ……っ、ごほっ……!」
視界が真っ暗になる。ぬるりとした感触が口元を覆い、思わず全身をのけぞらせた。立ち上がろうにも地面がぬかるみ、手をつけば肘まで沈みそうになる。
「……ブヘェッ!! さ、最悪だ……!」
隣でマリネさんも同じように泥まみれになっていた。泥水に濡れたまつげを振るわせながら、なんとか体を起こそうともがいている。
「マリネさん、大丈夫!?」
「た、たぶん……!そっちは!?」
「なんとか……!」
頷き合ったその瞬間、ズズッと鈍い音が響く。
沼地から這い出た巨大な怪物は、泥と粘液にまみれた体をゆっくりと動かした。
そしてその怪物に相対する影が一つ――
グルメマンだ。
恐らく彼は着地と同時に、反撃の構えをとっていたのだろう。
既に刀を抜いて臨戦態勢に入っている。
「少し時間を稼ぐ! なるべく早めの援護を待っているぞ!」
彼はそう言うと地面を蹴り、怪物へ向かって駆け出していった。
ドチャドチャと、水気の混じった音が遠のいていく。
「……まったく、敵わないなぁ……!」
俺はグルメマンの雄姿に負けじと、泥をかき分け俺も加勢に向かおうとした――その時だった。
グルメマンの足元から、ぬらりと光沢のある何かが這い上がり、あっという間に足首に巻き付いた。
「ぬっ!?」
右足を拘束され、動けなくなったグルメマン。
何かの正体は、怪物から伸びる……あまりにも長大な舌だった。
大人の腕程もあるやつの舌は、がっしりと彼の足を捕らえたままずるずると音を立て、ぱっくりと開いた口元へ引きずる込もうとしている!
「グルメマン!」
俺は思わず叫んだ。
「おいおい、冗談じゃないぞコレはッ!」
彼は引きずられながらも、長刀を両の手で握り――
「ミザン式武刀術、【コルレット】!」
ズバンッ――
光を帯びたその一太刀は湿った空気を裂くように鋭く、円のような軌跡を描いた。
直後、怪物の舌はすっぱりと切り落とされ、グルメマンの足元でぐねぐねと力なく蠢く。
「ゴブブァッ!?」
舌を斬られた怪物は怯んだ様子で数歩後ずさり、沼に体を沈めながらこちらをギロリと睨みつけた。
「……ふぅ。 マナーのなっていないやつめ」
グルメマンは刀についた粘液を一振りで払い、足元で動かなくなった舌先を蹴り飛ばした。
「大丈夫ですかっ!?」
少し遅れて、俺とマリネさんもようやく合流。
「むっ、問題ない! それよりも――」
グルメマンはそう言って刀を怪物にスラリと向ける。
俺たちが今から戦う相手。
目の前のそれは、怪物――なんて言葉じゃ足りないほど、おぞましい存在だった。
ずんぐりとした体と顔つきは巨大なカエルに見えなくもないが、全身を覆う皮膚は不気味な赤紫なのに頭だけは薄汚れた灰色。
さらに頭頂はまるで岩を思わせるような甲殻に覆われ、異常に大きな目は常にぎょろぎょろと動き、不気味さをより増長させる。
「……あれが、ペロゴン」
今回のクエスト目標、俺たちのメインターゲット。
声に出すだけで喉の奥がざらつくようだった。やつが体を震わせて辺りに粘液をまき散らす様は、まるで腐った泥そのものが形を取って動いているようだ。
「こ、こんなに大きいんですか……?」
「全くだ。 聞いてた話と違うんですがねぇ……」
ヤギやヒツジどころじゃない。
大の大人を優に超える背丈……下手をすれば小さな家くらのデカさだ。
俺とマリネさんが思わずつぶやくと、グルメマンが一つだけ苦笑した。
「いいや……これは特別デカい。 ギルドのやつらめ、中途半端な仕事をしおって……こいつは通常のペロゴンではない、明らかに別格――」
グルメマンは険しい表情を浮かべながら、その口角だけはこれからの戦いが待ちきれないかのように吊り上がった。
「べ、別格?」
「ああ――奴は《ラージ・ペロゴン》……Cランクのモンスターだ……!」
グルメマンの声がごぅんと耳の奥に響く。
Cランク――それは一流の冒険者が、ようやく相手できるようになる程の危険度のモンスターだ。
思いがけない強敵、まさに”沼地の主”との遭遇だ。
Dランクですら戦ったことがない俺が、いきなりCランクだって……?
まったく、俺の冒険者生活ってやつはどうにも一筋縄ではいかないようだ。
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