13話 遭遇、沼の主!
ギルドでの手続きが終わった翌日、俺たちは早朝から、Dランククエスト「ペロゴン討伐」に向けて出発した。
目的地は、街から徒歩でおよそ六時間の沼地地帯。初日は途中の開けた野営地で一泊し、翌朝に現地入りする算段だ。というのも、ペロゴンが最も活発になるのは朝の早い時間帯なのだという。
街の喧騒が背後に遠ざかり、両脇にはススキの揺れる野道と、背の高い木立がぽつぽつと点在していた。風は涼しいが、なぜかじんわりと汗ばむ。
街道沿いに進むため、比較的危険は少ない。俺たち三人の、のどかな旅路が始まった。……いまのところは。
* * *
「ふう……結構歩いたな……」
街を出てからどれくらい経ったのだろうか。俺はすでに足が棒のようになりつつあった。
「まだ半分にも届いておらんぞ」
横を歩くグルメマンは、平然と答える。そして、息一つ乱れていない。二十キロ近い荷物を背負いながら、姿勢すら崩れていないのが腹立たしさを感じる程だ。
後ろを歩くマリネさんは、黙々とフードを被り直している。その額には汗がにじんでいて、顔は少し赤い。旅慣れしていないのかもしれないな。
「そういえばグルメマンさん。ペロゴンって、どんなモンスターなんですか?」
「ふむ。ざっくり言えば――巨大なカエル、だな。ぬるりとした皮膚に覆われ、長い舌を獲物に叩きつけて捕らえる……いやはや、実にワイルドだぞ」
「食材としては……どうなんです?」
「……う、うむ、そうだな……」
おや?急に歯切れが悪くなった。
そいつを食べるという前提がある以上、食味はものすご~く大事な所なんだが。
「あやつらの肉は、実に香り高い……いや、悪い意味でな。独特の生臭さがあって、調理法を誤ると……」
「誤ると……?」
ゴクリッと、音を立てて唾が喉を通る。
「死ぬ」
「はあっ!?」
「いや、冗談だ。だが、少なくともその匂いで悲劇が起こる」
悲劇。死ぬよりましだが、あんまり聞きたくない単語だ。
「……ちなみに、大きさは?」
「大人の男、二、三人分くらいだ」
「……え、デカくない?」
「デカいぞ、私よりも」
そのやり取りを聞いていたマリネさんが、フードの陰からひょこりと顔を出した。
「でもぬめぬめで柔らかいなら、火を通せば意外とイケるかも。例えば、香味野菜と合わせてプリンみたいに蒸して――ふふ、蒸しカエルプリン!」
おえっ。彼女は相当疲れているんだろう。
いや、もしかして本気か?彼女ならやりかねない。
ほら、グルメマンもゾッとした表情を浮かべている。……帽子で顔は見えないけれど、きっとそうだ。
「さすがマリネさん……でも、それ匂いを閉じ込める料理だよ?」
「ん~、香草を散らしたら匂いもごまかせるんじゃないですかね?」
真顔でそう答える彼女に、俺は静かに歩みを進めた。
……よ~く見張っとかないとな。
* * *
やがて日が西に傾き始めた頃、道端の植物が見慣れないものに変わっていく。
視線の少し先、ぬめったような湿地帯が視界に現れた。
まだ距離はあるはずなのに、重たい空気に、濃く漂う緑の匂い。
耳をすませば、どこからともなく「グエッ、グエッ」という鳴き声――不穏な気配が、肌をじっとり撫でてくるのを感じた。
「さて。今日はここまでにしておこう」
グルメマンはそう言って、荷物を下ろす。
「え、もっと近くに行かなくていいんですか?」
マリネさんが不思議そうに問うと、彼は静かに首を横に振った。
「夜の沼地は、思っている以上に危険な場所だ。下手に近付けば、足をとられて這い出せず――巨大な虫に喰われるか、蛇に巻かれるかだ」
マリネさんはその場にへたりと座り込み、青い顔のまま動かなくなった。
* * *
夕飯は、乾燥肉と乾燥フルーツのスープ、それに乾パンという質素なメニュー。栄養もそこそこあって日持ちもする。……ただ、味はお察しだ。
食後は手早く焚火を消し、寝袋に潜り込む。見上げた夜空は驚くほど満点の星に覆われていた。
あまりの奇麗さで、かえって不安が膨らむ。
このすぐ近く、巨大なモンスター、ペロゴンが潜んでいる。ぬめぬめで、ベロベロで、悲劇の味を秘めたモンスター。
俺は不安を振り払うように、寝袋の中できつく目を閉じた。何かの鳴き声が聞こえる度に、寝袋の中でショートソードを握りしめながら。
* * *
翌日、朝の五時。まだ眠気が残る体を起こして準備を終えると、俺たちはいよいよ沼地へ足を踏み入れた。
そこは、今まで歩いてきた道とは明らかに違う世界だった。
じめっとした空気。地面を這うような霧。鼻を突くような生臭さ。遠くから微かに聞こえる虫の羽音と、水音のリズムが不安を掻き立てる。
そして何より、太陽の光さえも湿地に吸い込まれていくように弱々しく、視界はすべてグレーがかった色に染まっていた。
ふと気づくと、マリネさんが俺の袖を掴んでいた。無言のまま、その指先に微かに力がこもっている。
俺は彼女に、小さく頷き返した。
大丈夫。――たぶん。
そのときだった。
「グエッ、グエッ……」
昨日も何度か耳にした、濁った鳴き声が、沼の奥から響いてきた。
「……今の、ペロゴンですか?」
「いや。ペロゴンはもっと下品だ」
グルメマンが平然とした顔で答える。
「下品……?」
「うむ。どちらかと言えば、こう――『ゴバアァァッ!!』って感じだな」
彼の再現は、盛大に嘔吐しながら泣き叫ぶような、ひどく形容しがたい音だった。
「……朝っぱらから嫌なもの聞いたな……」
冗談めかして返したけれど、正直、俺の心臓はすでにいつもの二割増しくらいで鼓動していた。湿った風が首筋を撫で、不安が皮膚の裏にじわりと入り込む。
でも、ここまで来たんだ。後戻りはできない。
「あの辺りで探してみよう」
グルメマンが指差したのは、苔むした岩場だった。淀んだ池の近くだけが、他よりは地面もしっかりしていそうだ。
俺たちは岩場に登り、周囲を見渡す。けれど、濃い霧のせいで数メートル先すら見えない。
俺の【サーチ】にも、生命反応はたくさんあるが、ペロゴンのものらしき反応は、まだない。
それにしても、くさい。
鼻腔にまとわりつくような、生臭さい匂い。俺とマリネさんは思わず鼻を押さえたが、グルメマンはまったく動じていないようだ。
「ちょっと場所を変え――」
そう言いかけたとき。
地面が、ぐらぐらと揺れ始めた。
地震?――違う。揺れているのは俺たちの足元だけだ。
「まさか……」
「ゴバアアァァァァッッ!!!!」
地の底から突き上げるような叫び声が沼地に轟いた。
次の瞬間、足場がうねりるように隆起し、俺たちは岩場から跳ね飛ばされた。
――いや、岩じゃない。
俺たちは知らず知らずの内に、やつの背中に乗っていたんだ。
ペロゴンの、岩場と間違うほどの巨大な背中に――
俺とマリネさんは、空中で回転しながら吹き飛ばされ、そのまま顔から泥に突っ込んだ。
「ぶ……っ、ごほっ……!」
視界が真っ暗になる。ぬるりとした感触が口元を覆い、思わず全身をのけぞらせた。立ち上がろうにも地面がぬかるみ、手をつけば肘まで沈みそうになる。
「……最悪だな」
隣でマリネさんも同じように泥まみれになっていた。泥水に濡れた睫毛を振るわせながら、なんとか体を起こそうともがいている。
「マリネさん、大丈夫!?」
「たぶん……!そっちは!?」
頷き合ったその瞬間、ズズッと鈍い音が響く。見れば、グルメマンは見事に着地し、すでに刀を抜いて反撃の構えをとっている。
「少し時間を稼ぐ、立て直すんだ」
彼は静かにそう言うと地面を蹴り、ペロゴンへ向かって駆け出していく。どちゃどちゃという水気の混じった音が遠のいていく。
――と、その直後。
グルメマンの足元から、ぬらりと光沢のある何かが這い上がり、足首に巻き付いた。
それは、だらしなく開いたペロゴンから伸びる、あまりにも長大な舌だった。
舌はがっしりと彼の足を捕らえたまま、ずるずると音を立てて口元へ引きずる込もうとしている!
「グルメマン!」
「おいおい……!冗談じゃないぞコレはッ!」
彼はそう言うと、短く息を吸い、引きずられながらも両の手に長刀を構えた
「ミザン式武刀術、【コルレット】!」
光を帯びたその一太刀は、湿った空気を裂くように鋭く、円のような軌跡を描いた。
ズバンッと小気味いい音を立て、やつの舌は途中から切り落とされた。
断面から粘液が飛び散り、鈍い音とともに舌の先が地に落ち、うねうねと動く。
「ゴブブッ!?」
ペロゴンは怯んだ様子で数歩後ずさり、沼に体を沈めながらこちらを伺う。
「……ふぅ。マナーのなっていないやつめ」
彼が一歩後退し、俺たちもようやく合流できた。
目の前のそれは、怪物――なんて言葉じゃ足りないほど、おぞましい存在だった。
ずんぐりとした体と顔つきは巨大なカエルに見えなくもないが、全身を覆う皮膚は不気味な赤紫なのに頭だけは薄汚れた白色。さらに頭頂部から背中にかけて、まるで岩を思わせるような甲殻に覆われている。異常に大きな目は、常にぎょろぎょろと動き、不気味さをより増長させる。
「……あれが、ペロゴン」
声に出すだけで、喉の奥がざらつくようだった。体を震わせて辺りに粘液をまき散らす様は、まるで腐った泥そのものが形を取って動いているようだ。
「こんなにデカいんですか」
大人二、三人どころじゃない。下手をすれば、小さな家くらのデカさだ。
俺がつぶやくと、グルメマンが一つだけ苦笑した。
「いや……これは特別デカい。ギルドのやつらめ、中途半端な仕事をしおって……こいつは通常のペロゴンではない、明らかに別格――」
「別格?」
「“ラージ・ペロゴン”……Cランクのモンスターだ……!」
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