10話 酒場とニンニク
俺たちはそれぞれ準備を済ませ、待ち合わせて酒場へと向かった。
「ノルン」という名の、隠れ家的なお店だ。人通りの少ない路地にひっそりと構え、落ち着いた曲が店内に流れている。
そんな雰囲気の良い店だが、なにより料理の評判もいい。
席についたマリネさんは、ちょっと照れくさそうに笑った。
「……こうして、また一緒にご飯が食べられるの、嬉しいです」
「……俺も。……さあ、何か頼んじまおう」
照れ隠しのようにメニューに目を落とす。
この店では自家製のハーブ酒や果実酒が楽しめるが、酒が飲めなくても料理だけで十分に満足できる程だ。
――もちろん、俺は飲むけど。
「うわぁ、美味しそうなメニューがいっぱい……!」
マリネさんは目を輝かせ、まるで子どものようにメニューを見つめている。
――ほんと、食べるのが好きなんだな。
しばらく悩んでようやく注文が決める。ここの店は二人だけで切り盛りしていて、テーブルに備え付けの注文表に記入してカウンターに渡すスタイルだ。
「じゃあ俺は、自家製ハーブ酒に自家製ソーセージ、旬野菜のオイル煮……っと。マリネさんは?」
「私は……キノコシチューに白パン、それから……スモモ酒で」
「スモモ酒?ジュースじゃなくて?」
「ふふっ、私だって、まったく飲めないわけじゃありませんよ」
「りょーかい」
注文票をカウンターへ持っていく途中、誰かの料理が運ばれてきて、香ばしい香りにクラクラした。
注文を終え、先に酒を受け取って席へ戻る。
「はい、スモモ酒」
「ありがとう!……わぁ、きれいな色……」
スモモ酒はほのかに甘く香り、淡い赤紫色が照明を反射してキラキラしている。
一方、俺のハーブ酒は若草色。森の中にいるような香りが鼻を抜け、爽やかな気分にさせてくれる。
「じゃ、乾杯」
「乾杯っ!」
心なしか、マリネさんはいつもより明るく見える。
無理をしてる感じはなくて、自然に楽しんでいるようだ。
「……ふう。うまいな、これ」
ハーブの香りとほのかな苦味、旨味が複雑に絡み合って身体に染みる。
「マリネさん、そっちは――」
顔を上げると、マリネさんは熟れたリンゴみたいに顔を真っ赤にしていた。
「……んぇ?おいしいですよ~」
間延びした語尾。やたら明るい声色。
――これは……酔ってるな。出来上がる一歩手前位くらいに。
「ちょ、ちょっと水も飲んどこ?」
「うん、分かった~」
両手でグラスを持ち、こくこくと水を飲む彼女。
……ちょっと心配だ。
「お待たせしました」
やがて料理が運ばれてくる。
見た目もさることながら、匂いも良い。どれもこれも抜群にうまそうだ。
「さっそく食べようか」
「いっただっきま~す」
ソーセージはカリッと焼けていて、ふんだんに使われているであろうハーブが香る。
一口かじると、パリッという音に続いてハーブの香味と肉の旨味が口いっぱいに溢れる。
充分に堪能したらそれをハーブ酒で流す――最高だ。
一方、マリネさんのキノコシチューも凄い。この店は水ではなくクリームで煮ていて、濃厚なキノコとクリームの香りに、黒胡椒のアクセントが効いて実にうまそうだ。
「マリネさん、どう?」
「……もう、最高ですっ!このシチュー、濃厚でドロッとしてるのに全然クセが無いんですよ!パンとの相性もバッチリです!」
「……大きめのタオル貰ってこなくてもいい?」
「……?……っ、もう!」
一瞬きょとんしたあと、すぐに察して照れ笑いを浮かべる。
気付けば、彼女の酔いの気配はすっかり抜け落ちていた。
……すごいな、食欲。
「マリネさん、これ食べてみてよ」
「ん?」
そう言って俺が差し出したのは、旬野菜のオイル煮だ。
その時期ごとの食材を、香りの良いオリーブオイルでじっくり煮込んだ一品で。俺はこの店に来るたびに必ずこれを食べていた。
「わあ、すっごく良い香り……!」
「だろ?今日の具材はキャベツとニンニクだよ」
「へぇ、これが……ニンニクなんだ」
マリネさんは、スプーンですくったニンニクをまじまじと見つめる。
「えっ、ニンニク食べたことないの?」
「うん、私、〔ガンダラ地方〕の出身なんだけど、あっちでは見たことなかったな~」
――ガンダラ地方。
その名前を聞いた瞬間、胸の奥がひやりと冷えるのを感じた。
あそこは、俺が幼い頃に住んでいた場所。……そして、両親が命を落とした土地でもある。
「……?マーシュさん?」
「ん、ああ、いやなんでもない……向こうは暑いから、ニンニクは育ちにくいんだよ」
「へえ~、詳しいですね!」
「……まあね。――ほら、冷めないうちに、早く食べてみて」
動揺をごまかすように、俺はグラスのハーブ酒をぐびりと口に含んだ。
――さっきより、少しだけも苦く感じた気がした。
「じゃあ、お言葉に甘えて……いただきますっ!」
マリネさんはニンニクをぱくりと口に運ぶと、目を閉じて頬に手を当てる。
「んんっ!すごい……口の中でとろけていくっ!香ばしくて、甘い……いくらでも食べれそう!」
嬉しそうにぱくぱくとニンニクを平らげていく彼女の姿に、思わず笑みがこぼれる。
「実際、ニンニクには食欲増進とか滋養強壮とか、色々いい効果があるんだよ。栄養たっぷりでさ。それから――」
俺が言いかけて口ごもると、マリネさんが不思議そうに首を傾けた。
「それから……?」
「食べると、めちゃくちゃ口が臭くなる」
「ええっ!?」
慌てたように口を押さえるマリネさん。……まあ、すでに遅いんだけど。
「ちょ、ちょっと、マーシュさん!?そういうのは先に言ってくださいよぉ……!」
口元隠したまま、もごもごと文句を言う彼女の顔は、さっきよりさらに真っ赤になっている。
「いや、言おうとは思ったんだけど……その前に食べちゃったから」
「うそうそ!”早く食べなよ”って言ってたじゃないですか!」
「ばれた?」
「ばれてますっ!私だけ口臭いなんてイヤです!マーシュさんも早く食べてください!」
マリネさんはぷりぷりしながら、オイル煮の入ったお皿をずいっと俺の方に押しやった。
「……でも、マリネさんが全部食べちゃったみたいだけど?」
「…………っ!!!!」
彼女は、耐えきれなくなったように両手で顔を覆ってしまった。
……さて、泣いてしまう前にそろそろネタバレをしなければ。
「――まあ、ここの店のは”無臭ニンニク”っていって、匂いが残らない優れモノなんだけどね」
「…………え?」
マリネさんは、指の隙間からじとーっとこっちを見てくる。
「…………マーシュさんっ!?知ってて驚かせたんですねっ!?」
「うん、ごめん」
「ごめん、じゃないですっ!すっごく恥ずかしかったんですからねっ!!」
怒ったように手をぶんぶんと振ってくるマリネさん。
――その姿を見て、俺は胸のつっかえが取れたような気がした。
「じゃあ、これでおあいこってことで」
「……おあいこ?」
「うん。――急にいなくなったこと。いいかな?」
「う……それは…………じゃあ、おあいこで……」
「よし」
俺たちはその後も料理を堪能し、心ゆくまで食べ、飲み、笑い合った。
静かで落ち着いた雰囲気の中、どこか心が解けていくような、そんな夜だった。
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