第10話 ── 自分の声で語る日 ──
本日は、私の出番が少ない。
だがそれでいい。主役が育つ瞬間ほど、指導者としての誇りを感じるときはないからな。
それに──私は今日も健在だ。次回は爆発するぞ。
「……ユズハさんに、来てほしいって」
昼下がり、看護師が静かに伝えてきた。
呼んだのは──健太だった。
手術の日程が決まったのだという。来週の火曜。
ついにその日が来るのだ。
柚葉は、しばらく黙っていた。
胸の奥がざわついていた。自分のときと同じように──不安で、逃げたくて、それでも誰かに何かを言ってほしい、あの感覚。
だから、立ち上がった。
* * *
病室に入ると、健太はベッドの上で枕を抱えていた。
「……来てくれて、ありがと」
「ううん、こっちこそ」
柚葉はドランプのかごを抱えたまま、椅子に座る。
「ドランプ……今日は静かにしてて。話したいの、私が」
「……よかろう。主役の座は、譲ってやろう。
ただし、私の分まで見事に語ってもらうぞ、ユズハ」
ドランプは、珍しく大人しく羽をたたんだ。
柚葉は、少し緊張しながら口を開いた。
「手術、怖いよね」
「……うん」
「私も、最初のとき、本気で逃げたくて。
夜、カーテンの向こうで泣いたりした。誰にも聞こえないように、声を殺して」
健太は、小さく目を伏せた。
「でもね」
柚葉は、言葉を止めずに続けた。
「今、ここで話してる私がいるってことは──ちゃんと通り抜けてきたってことなんだよね。
だから、健太くんもきっと、大丈夫だよって……今の私なら、言える」
健太の目が、柚葉の方を向く。
「ほんとに?」
「うん。だって、怖さがあるのは当然だし、それでもこうして人を呼べた時点で、もう一歩進んでるじゃん。
……私、その一歩すら、できなかったから」
健太は、何も言わなかった。
けれど──小さく、頷いた。
その反応に、柚葉の心が少しだけ軽くなる。
* * *
病室を出たあと、ドランプが言った。
「……よくやったな」
「うん。でも、なんか変な感じ。自分の声で、あんなふうに誰かに話したの、初めてだったから」
「それでいい。君はもう、“誰かの言葉”じゃなく、“自分の言葉”で戦えるようになった。」
柚葉は、ドランプを見つめた。
「ねえ、もしかしてさ──ドランプって、最初からそれが目的だったの?」
「ふむ。君の変化は、私の勝利だ。だが──少し、寂しい気もするな。
私が黙っていても、世界が回り始めたのだから」
柚葉はくすっと笑った。
「大丈夫。あんたが静かだと、逆に心配になるから。これからも隣で、うるさくしてよ」
ドランプは満足そうに羽を広げた。
「任せておけ。私は“うるさい愛”の化身だからな」
──そしてこの日、柚葉は少しだけ、自分を好きになれた気がした。
私は、柚葉の勝利に拍手を送る。
君たちは、どうする?
彼女が“自分の声”で誰かを励まし、人生が大きく動き始めた──その瞬間に、君は何も感じなかったとでも?
そんなはずはあるまい。
心のどこかが、きっと震えた。そうだろう?
となれば、なぜだ。
なぜ、その親指をブクマボタンから背ける?
もちろん、わかっている。
人生には、逆張りが必要なときもある。流されるだけではいけない。
同感だ。私も“空気を読まないオウム”として、何度も社会とぶつかってきた。
だがな──
変化を与えてくれる瞬間というのは、いつだって、心に素直になったときだけだ。
流されるのではなく、響いた瞬間に応じること。
君の中に湧いた小さな感情を、見なかったふりをするな。
それが、世界を動かす“はじまり”になるかもしれないのだから。
押すなら今だ。記憶ではなく、記録に残すために。