第74話
司の脳内に真っ先に浮かんだのは誘拐の二文字だった。元リバーシ候補生が誘拐の被害に遭うなど恥晒しと言われても反論できない失態だ。
「んー! んー!」
司は抵抗するが相手もなかなかに力が強く、離れられない。
「落ち着いて。少なくとも今はあなたに対して敵意は無いから」
夜に近付いている時間帯である事、暗がりの路地裏である事、そして相手に背を見せているという状況により、司は襲撃者の正体を掴めずにいた。
取り敢えず声と背中に伝わる柔らかい感触により性別が女性である事だけは容易に分かるが、それだけでは選択肢を絞った内には入らない。
「 (こいつ誰だ……何で僕を……) 」
「大人しくするって誓ってくれたら離してあげても良いわよ」
「 (とにかく情報収集する為には相手の言う通りに従った方が良さそうだ) 」
冷静になるのに時間を要さない所は、元リバーシ候補生の片鱗を見せている。司は抵抗を止め、呻きのような声も出さず、彼女の要望通り大人しくする事にした。
「うん。賢明な判断ね。賢い人は好きだよ」
琴葉やマキナにしてみれば聞き覚えのあるセリフを吐いた彼女は、司から手を離して彼から距離を置く。
「……」
行動に自由を与えられた司はゆっくりと後ろを振り返る。そこに立っていたのは薄水色のストレートロングの髪が美しい綺麗な女性だった。
「初めましてね。まずはいきなり襲った事を謝らせて」
「悪い事をしている自覚はあるんだね。取り敢えず名前を名乗ってくれないかな」
「うん。分かったわ」
急にスンッと冷めた様子になった女性は表情を一切変えずに会話を進めようとした。その急激なクールダウンには恐怖に似たものを覚える。
コハクやロアとは違う意味で脳内や本心が読めない女性だ。発言の全てが適当か嘘か冗談か打算で構成されていそうだ。
「初めまして。私の名前はクオリネ。お会いできて光栄よ、天賀谷司くん」
「クオリネ……。 (この名前どこかで……。……。あ……! 『シュレ』が言ってた界庭羅船の……!) 界庭羅船の一人か……」
司の目の前に立っていた女性は先日琴葉とマキナに接触した、あのクオリネだった。
界庭羅船について基礎知識があった司は名前を聞いただけですぐに脳内の引き出しを開ける事に成功し、彼女の所属組織名を口にする事ができた。
当然彼女らが普段犯罪者の味方に全力を注ぎ、その被害に遭った人たちが何人も居る事を司は把握している。その情報を知っているせいか司は完全警戒モードに入り、クオリネの一挙手一投足に注目し、いつでも最善の行動を取れるようにした。
アルカナ・ヘヴンでは來冥者であろうとも來冥力は使えない。どれだけクオリネが手強い相手だろうと、今の状態の彼女はただの少女と同じだ。しかし彼女たちはこの世に存在するあらゆる異世界へと簡単に転移可能な技術を持っている。もしも來冥力が使用可能な世界へと転移すれば強さ未知数の化け物へと変貌する訳だ。
能力を使えない今この瞬間であっても警戒するに越した事は無いだろう。
「ふーん、私の事知ってるんだ。嬉しい」
「さっさと本題に入ってよ。僕の名前を知ってるみたいだし、こうして無理やり接触して来たんだ。何か話があるんでしょ?」
「ええ、それはそうなんだけれど……」
クオリネは一旦話すのを止めると司の事をじろじろと見始めた。まるで品定めされているかのような視線に司は内心良い気持ちがしなかった。クオリネは外見こそかなりの美人なのだが、正体が正体なだけに何のときめきも生まれない。
「うん。やっぱり圧倒的に私側に有利な場面じゃないと落ち着かないかな」
「は?」
司がその発言の意味を理解するよりも早くクオリネは司に手を向け、彼と共にこの世界から消失したのだった。




