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果てに因む  作者: 刀子一
二章 占星族と兆しの星
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 その日、秩序の塔を統べる院長たるハジムは頭を抱えていた。その主な理由は彼の手元にある二通の手紙である。


 一通は、秩序の塔本拠地が置かれているこの国の西側にある小さな田舎町、ナバルファルマから送られてきたものだ。そこに住む者は皆思想を同じくする占星族と呼ばれる人間である。占星族は広くに知られている名であり、彼ら一族のことを指すより正しい名称はイサタナとされる。

 元は星の導きと共に生きる砂漠地帯の移動型民族だったそうだが、紆余曲折を経て砂漠のとある地域に根ざし集落を築くようになった。それが種族としてのイサタナの誕生とする説があるが、その当時砂漠を生きる者は皆イサタナであったという説も同じだけよく聞く話だ。

しかしその後、彼らは乱象の影響により砂漠を離れ、そして長い旅の末にこの国へと辿り着いた。


 イサタナは現在少数民族と呼ばれる民族集団であるが、その歴史は長く独自の伝統や文化も多い。彼らは優れた占星術の使い手だ。彼らの用いる魔術は他の人間に扱うことは出来ず、仔細も不明。

長い時を経て数を減らした影響からか閉塞的な傾向にもあるため、彼らは謎多き神秘的な種族の一つであるとされることも多々ある。



 ハジムの手元にある手紙は、そんなイサタナの、族長からのものだった。

曰く、『新たなイサタナの魂が誕生した。喜ばしいことだが、昨今の我らが故郷、ナバルファルマが抱える問題は大きい。先代の天伻が残した爪痕を軸として新たな乱象さえ確認されている。このような状況で、新たな家族をどう迎え入れようものか』とのこと。

この世界の人間たちは長寿な一方で、子を成すことがひどく難しい。故に彼らにとって新たな生命の誕生というものは、それはもう盛大に、盛大に祝福されるべきものとされている。祝い方は種族によりけりであるが、伝統を重んじる血筋であればそれこそ伝統的な魔法を用い、古くより伝わる祭りや儀式を執り行ってその生命の誕生を深く祝福するのであろう。

 で、あるにも関わらず。ナバルファルマは現在、以前の天伻の影響と乱象の影響により、そういった祝福が困難な状況にあった。これは大変由々しき事態である。

 要は秩序の塔に対し、イサタナの長は『これを何とかしてくれないか』と頼んでいるのだ。


 それは秩序の塔の主な活動内容が『乱象を調査し、対処する』ことであるから、というのもあるし、『本部を構える国の治安維持を実質的に担っている』からというのも理由の一端ではある。この国に限って言えば秩序の塔は困った時に頼れる公的機関といったポジションだ。重ねて言うなら、『天伻の身柄を預かる組織でもある』というのも理由の一つではあっただろう。

 イサタナはこの国の以前の天伻により大きな損害を被った。

天伻とは逃れようのない厄災のようなものだ。とはいえ、天伻の身柄を預かる者がいるのであれば、その者が責任を負わされることはよくある。今回イサタナは秩序の塔へ務めを果たすことを要求しているのだった。


 乱象を根本的に解決することが可能なのは天伻だけであるが、乱象によって引き起こされる問題の数々を解決することは天伻以外にもやりようがある。言わば対症療法であり根本的解決には至らないが、秩序の塔が各地に支部を作り世界的にも有名な組織であることからもその対症療法が如何にこの世界の人々にとって大きなものであるかはお分かりいただけるだろう。

起きてしまった乱象が齎す被害や混乱に対処することは、根源を治療することと同じだけ重要だ。どちらが欠けても困難は生じる。


 ハジムは組織の上に立つ人間として合理的、功利的な判断をすることは多いが、結局のところは人間なのでイサタナに対し負い目を感じる心がないわけでもなかった。

秩序の塔は乱象のプロフェッショナルである。イサタナからの手紙はよっぽど不当な要求をされているわけでもないので、これだけを見るのなら、彼がこうも対応に悩み思い詰めることはなかっただろう。



 しかし問題は、二通目の手紙。それはこの世界に於いて"門"と称される組織から送られてきた手紙だった。

それには『ナバルファルマに天伻を遣わせ乱象に対処するか、世界に新たな天伻の到来を公開するか選べ』といった旨が綴られている。

これは実質、選択肢などあってないようなものだ。けれどその一択がハジムを悩ませることになった。


 秩序の塔は現在、新たな天伻の訪れを秘匿している。故に後者が論外であることはもちろん、前者も彼らにとっては酷く悩ましい要求なのである。

何せ千明の存在を無いものとしたいことはもちろん、秩序の塔は意向として千明自身に『何もしなくていい』と言ってしまっているのだ。現在千明はハジムが望んだ理想の通りに、何も問題を起こすことなく、その可能性すら断つように部屋に引きこもっている。これはとてもハジムにとってありがたいことだった。

願ったり叶ったりなこの安寧をどうして自らの手で断ち切れようものか。




「確かに彼女は今、与えられた部屋から一歩も出ないような生活を望んでしているようだが。そんなもの、ハナから仮初の安寧なのでは? 長く続くとは思えん」


 二通の手紙を前に思い悩むハジムへ声を掛けたのは、今しがた任務の報告のために帰還したラディーンだった。

殆ど黒に近い茶髪、臙脂色の虹彩が、対象的な淡い紅碧の目を見つめる。


「既に彼女がトリラニカの狂人と同じであるとは疑っていないが。遅かれ早かれ、という話だろう」

「ええ、ええ。確かにその通りでしょう。ですがその、本来であれば私たちにとっては取るに足らないはずの少しの時間で、異世界人はどれほどの惨劇を生み得るのか、お前だってよく知っているはずだ! もしそれを大した問題でないと宣う様なら、俺はお前を耄碌爺と罵りますよ。この老いぼれ!」

「いつにも増して機嫌が悪いな。心労が多いのはわかるが私に当たるな」

「お前といい前院長といい門といい、長く生きてる連中は性悪ばっかりです!」

「貴君も別に若くはないだろう」

「ニシュリンに縊り殺されてしまえ!!」

「シャレにならん」


 ハジムはくしゃりと自身の髪を掴む。生来彼は感情豊かなタイプだ。ラディーンとは相性が合わない上に何かと揉めることも多いため、彼はラディーンと話していると苛立ってしまうことが多い。それをわかっていて意に介さないラディーンは、性悪と言われても仕方のない部分があるのかもしれない。ハジムは彼を軽率で身勝手だと嫌っているし、彼にはより内省的になることを望んでいる。


「……つべこべ言ったところで仕方ないことはわかっています。いちいち俺の愚痴に反応しないでください。俺は想定されるリスクにどう対処すべきか悩んでいるのですよ」

「当初の主張とは異なる"お願い"をして彼女がどのような反応をするのか。仮にナバルファルマの件が片付いたとして、その後の彼女の生活が変わるかどうか。彼女の異能に関してと、彼女の存在が広まる可能性について」


 ラディーンは門から送られた方の手紙を手に取り、サッと目を通す。


「わざわざこのような書き方をしているということは、大人しく前者を選ぶうちは彼女の存在を隠すことについて門は何も口を出さないと見て良いだろう」

「ふん、喧伝されようものならいよいよ俺はあの秘密主義ぶるふざけた組織に乗り込みますよ」

「然しもの塔でも門には叶わんだろう」

「うるさいうるさい!」

「院長ともあろう者が下っ端の人間に正論を言われて癇癪を起こすものじゃない」


 本気で不愉快そうなハジムに対して、ラディーンは大らかに構えている。だがそういうところが、ハジムとしては癇に障るのである。彼は眉を釣り上げ、今にも舌打ちしそうな表情で言葉を返した。


「ふん、下っ端と言うのであればそれらしくその尊大な態度をどうにかしていただきたいものですね」

「悪いな。厳粛な主導者をしていた時の立ち居振る舞いが抜けないのかもしれん」


 ハジムは魔力をぶつけるようにラディーンへ魔法を行使したが、ラディーンは涼しい顔で相殺した。ハジムは舌を打った。


 ひらひらと手紙を軽く振り、ラディーンは机の上にそれを置き直す。


「それにまあ、クムルダが問題を起こしたんだろう。あれから彼女もクムルダも変わったと聞くが、それは不調に等しい変化のはずだ。これに関しては一石を投じるのも悪くない手だろう」

「悪い方向へ向かったらどうするんです?」

「長く生きるほど私たちは保守的で変化を恐れるようになる。いけないところだ」


 二通の手紙、二つの封筒。ペーパーナイフで几帳面に封を開けられたそれらの封蝋は美しい形を保っていた。

 片方には星をモチーフとした紋章が。片方には、門と輪の描かれた紋章が浮かんでいる。


「異世界人の扱いに慎重になるのはわかる。だが……彼女がもし本当に善き人であるのならば、これはチャンスだと思わないか?」

「……異世界人を、利用するつもりですか」

「人聞きの悪いことを」


 実際問題、完璧に千明の存在を隠すことが出来ていたのであれば今の状況を続けることに固執するのも悪くはない選択肢だっただろうが、少しでも外に漏れてしまった以上当初のハジムの理想を貫き通すことは難しい。

 天伻に何も望まず。軟禁し、死ぬまでただ生かし続ける。

叶うならどれほど良いことだろうかと考えてはいたが、実際には今個人的な感想を述べるのであれば、ハジムは少々後味の悪い思いをしている。


 千明が訪れてもう数ヶ月が経つものの、彼女はどこまでも凡庸なか弱い小娘だった。

豹変する可能性があるにしろ、一見しただけではわからないようなパターンの破綻者かもしれないにしろ、少なくとも今に至るまでに彼女は何も悪いことをしていない。それが関わる人々の多くに多かれ少なかれ負い目を感じさせていた。彼女の繊細さや慎重さが偽りでないことは彼らにとって既に純然たる事実だ。


「お前は昔から人でなし過ぎます。世界の為と謳いながらエフサール各地に天伻を呼ぶ門の連中とよく似ている」

「私の古巣は帝都だぞ」

「つまらない返しはよしてください」

「貴君こそ少々頭が固いのでは?」

「お前たちの世代の"ユーモア"は昔から本当に気に入らない」

「私たちの若い頃は、事実をストレートに伝えることを趣味がいいと言ったんだ」

「ああ言えばこう言う!」


 院長室をラディーンは一切の遠慮なく歩き回る。棚に並べられた資料の多くは彼にとって見慣れないものだが、その中には見慣れたものも混じっている。

乱象の報告書、調査結果、統計、研究記録、考察。歴代天伻に関する筆録。判例集に、法に関する書籍、市民に関わる活動報告書、秩序の塔が関わった重要事件の記録書、治安状況レポート。秩序の塔に属する官吏の資料も丁寧にまとめられてはいるが、当然ながらそういったものには保護の魔術がかかっており院長以外が見ることは原則不可能だ。倫理規範のマニュアルやガイドラインの類は定期的に新たにされている為、それに関しては馴染みが薄くとも違和感はない。


「……あのなあ。貴君はこの組織の上に立つことを許された器だ。私だってそれを認めている。だが、時に感情的すぎるところは玉に瑕だ。貴君は常々よりよい選択をし、最善を尽くすが……もう少し、しゃんとしろ」

「お前などに言われずともわかっています!」


 秩序の塔上級官吏の殆どにとってハジムとラディーンの不仲は有名な話だ。一部は冗談や寧ろ気安い仲である証と思っている者もいるが、ハジムはそういった者たちを節穴だと軽蔑している。少なくとも彼は本気でラディーンが嫌いだった。

付き合いは長くはあるが、良いように見積もっても相性の合わない、仲の悪い知人といった距離感というのが限界である。


「……ナバルファルマに向かうのであれば、いい加減クムルダにも顔を出させるべきでしょう。ですが……」

「おや」


 未だ思い悩んだ様子のハジムに意外そうな顔をするラディーン。彼は緩く口角を釣り上げて言う。しかし全くそれとわからない様子ではあるが、彼の仕草の奥には少々皮肉的なものがあった。


「例の件は想定の範囲内だったろう、今更何を躊躇う? イサタナであるクムルダは同行させた方がいいはずだ。恐らく相手方の要求の中にはそれも含まれている。連れて行かなければ角が立つだろう。それにいい加減、あれも帰郷すべきだ」

「…………確かにお前の言うことは正しい。ですが、だからと言ってそれが自分の責任に無頓着であっていい理由にはなりません」


 決断とは常に責任が伴うものである。ハジムはそれを理解し、背負うことを選んでいる。そういう性分なのだ。

彼は起こり得るリスクを正しく想像し、人々の気持ちを丁寧に考えられる。それらをきちんと理解した上で、何かを切り捨てられる人間なのだった。大きな物事ほど万人の納得する落とし所を作ることは難しい。必ず誰かは、思い通りにならなかったり、割を食ったりしてしまう。

 ハジムはそういった『選ばれなかった人間』を受け止めることを、上に立つ者の務めの一つであると認識している。何の救いにもならず、自己満足にも満たない独善的とも取られる考えであることをも熟知した上で、だ。


「明日、午後に時間を取り御館に向かいます」

「律儀なことだ」

「不可避性を受け入れ、最小限のリスクに抑えられるよう努めること。それが今の俺のすべきことです」


 再評価とリスクヘッジ。責任を果たすこと。未来のために、動くこと。

院長として彼は、不変ではなく可変を望まなくてはならない。そんな彼にラディーンは緩く目を細めた。



 プラチナブロンドに薄い青紫の瞳。どこぞの貴族のようでいて、それにしてはやや淡すぎる印象のある色合い。容姿だけを一見すると儚げで浮世離れした雰囲気を感じられる中性的な男だが、実際には人並み以上に表情の変化に富み、その様子からは生き生きとした生命力を感じられる。

 言葉を交わせば激情ではなく正直さが見えてくる、心根の真っ直ぐな素直な男。それが、秩序の塔を統べる者。ハジム・ファリード・アルブアメイルだった。


「で。そんなに機嫌が悪いということは、異世界人の帰還に関する調査は芳しくないのか」

「……一番腹が立ったのは、こちらからの問いかけには応答しなかった門が何食わぬ顔でこの手紙を送ってきたことです!!」

「ああ、なるほど……」


 ラディーンは片方の口の端を少し下ろして困った笑みを浮かべた。


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