押しかけ旦那さまは葛籠のなか
「葵さん。此方に大きい葛籠と小さな葛籠があります。今日の記念にどちらかお選びください」
亜麻色の柔らかい髪に漆黒の瞳。見目だけは良い異形に問われて、緊張の為か、葵は喉の渇きを覚える。此方と彼方の境を区切るため、本来ならば、彼に問われても『いらない』と固辞するべきだろう。しかし、葵が申し出を断れば、彼は自分を元の世界へは帰してくれない気がする。
耳になじんだ民話になぞり葵が大きい葛籠を選べば、この娘は業突張りだと怒って、自分のことを見限ってくれるだろうか? 妖の顔を盗みみるようにしても、彼は笑みを深めるだけだ。
どうしてこうなったと葵が過去を悔やんでも遅かった。
ハンドルを握りながらも何時間か経過すると、都会では見られない続く田んぼの鮮やかな緑色に葵の目は奪われる。少しだけ、気分転換をしたくなった葵は車を停車させると道なりに歩き出す。自分が住んでいる都心部よりも空気が美味しい気がして、何度か深呼吸をしていた葵は、どこか見覚えのある作業着の老女に声を掛けられたことで気恥ずかしさから、少しだけ耳が赤くなった。
「もしかして、吉川さん家の子じゃねぇか?」
「はい。東京に出た」
「やっぱり、深雪ちゃんの子かぁ。えらいべっぴんさんになって」
葵の言葉に被せるように言った老女は大きくなったと何度も頷くと、懐かしそうにお山の方向に指をさす。
「今日、来なすったのは先生の」
『先生』の言葉に彼女は悼むような顔をする。
「はい。長いお休みを頂いたので、遺品の整理に来ました」
「待っててな」
老女は畑からトマトをいくつかもぐと、ビニール袋に入れて葵に渡してくれる。
「よかったら食べてくれ。塩振るだけでも、うめぇから」
「ありがとうございます」
お礼を言って車へと戻れば未だ、祖母のことを憶えている人と出会えたことに葵は暖かい気持ちになる。祖母は近所では『先生』と呼び慕われ、人の手に余る難しい事件が起こるたびに助けを乞われて解決をしてきたらしい。そんな祖母から『あんたは魅入られやすいから、気をつけなきゃあかんよ』と会うたびに注意をされてきた。一度だけ葵が行方不明になったときも、祖母が迎えに来てくれなかったらどうなっていたのか分からない。
お山で葵が一人遊びをしていると、木々の間からひょっとこが顔を出す。手招きをされた葵がひょっとこの傍に行けば、面を被っていた背丈の高い青年に一緒に祭りを見に行かないか? と誘われた。葵を怖がらせないためか少しだけ、顔を見せてくれたがお面の下は黒い空洞になっていて、その顔を思い出そうとするたび、鈍痛がすることで葵は思い出すのをやめてしまう。
知らない人について行ってはいけないと幼い葵も何度も言い聞かされて、母との約束を守っていたが、青年に声を掛けられたときは、不思議と彼と一緒に行かない方が悪いという思いに変わっていた。
小さく頷いたのをいいことに、彼は葵の手を取ると森の奥にある錆色の鳥居を潜りぬける。森だった筈の場所で不可思議な祭りが楽しまれていた。
葵の目に映るものは宝物だった万華鏡のようにきらきらと色を変え瞬き、自分の世界とは違う物珍しさから惹かれずにはいられない。
祭囃子が絶えず響き渡る中。太鼓の音に頭上を見上げれば、櫓には天女の羽衣を思わせる薄い布を纏った女性が金魚のように舞っている。兎のビードロ売りが吹くビードロは透明なしゃぼん玉に姿を変え、葵が手を伸ばしても割れず、ふわふわと浮かび、蛙の作った飴細工の中でも美しい金色の長い尻尾を持った鳥は変わらない夕焼け空へ、今にも羽ばたきそうだ。
見たこともないような出店の食べ物や飲みものを、彼はしきりに葵に勧めてくる。口にしたらどれだけ甘美だろうという思いがあったが、葵は青年の誘惑に首を振る。この祭りの食べ物を口にすれば、二度と家には帰れないことを、葵は青年に言われずとも知っていた。
屋台の店主も道ゆく人々も皆、揃ってお面を被り、葵も青年から『決して、外してはいけないよ』と忠告をされ、落とさないよう彼から赤い紐で結ばれたお面を身につけていた。
『おばあちゃん』
お面を被った人々が行き交う中でも祖母の姿は、すぐに目を引いた。葵の声に握られていた青年の手に力が込められる。その手を振り払うと、葵は祖母の元へと走っていく。
先ほどまで青年と祭を楽しんでいた筈なのに、祖母の顔をみれば、祭りよりも一緒に家に帰りたい思いで一杯になった。
『葵、大丈夫だったかい?』
『うん。お兄ちゃんに連れて来てもらったんだよ』
慌てて、葵を抱きとめた祖母は、青年に呪文のような文言を口にする。カタン、と地面に音がして、残されたのは彼が被っていたお面だけだった。まるで手品のようで仕掛けはあるのかと、その面に触れようとしたクリームパンに喩えられる柔らかな手を祖母のしわしわの手に包まれてしまう。
葵の面も結んでいた紐を切られ、その場に落とされた。
『彼方の物を口にしてはいけないし、此方に持って帰ってもいけないよ』
『お兄ちゃんは、もういないの?』
心配そうな葵に祖母は苦笑を浮かべる。優しい孫を嬉しく思いつつ、仕方がないというように。
『逃げただけさ。あいつらはしぶといからね。おばあちゃんに似て、あんたはあいつらに気に入られやすいから。さてどうしたもんか』
祖母の家に戻ると真っ赤に充血をした目をした母と、安堵をした父に抱きしめられたあとで、葵はこれまで以上に怒られた。祭見物は一時間も経っていない気がしていたが、まさか自分が一週間も行方不明になってると思わず、半べそをかきながら謝ったことを今でも覚えている。
祖母は葵が遊びに来るたびに『見えなくなる』呪いをかけてくれたが、自身の寿命が近いことを悟ると、葵にいくつかの注意を遺してくれた。『おばあちゃんがずっと葵を守ってやりたかったけんど、爺さまに呼ばれてるでな』と葵の頭を撫でてくれた優しさが忘れられない。
葵は祖母のことが大好きだったが、現実主義者の母は自分の親とは言え、理解ができない世界に片足を踏み入れている祖母のことを心底、気味悪がっていたし、祖母が亡くなってからも愚痴ばかり、口にしていた。
だからこそ母は大学の進学や就職先には、東京を選び、結婚をしても葵が生まれるまでは、田舎には帰らなかったのだろう。父が葵を建ち並ぶビルだけではなく、自然にも触れさせてやりたいという思いがなければ、そのまま、祖母とは没交渉になっていたと思う。
葵が神隠しに遭ったあとは母の思いが顕著になり、本当なら田舎に行かせたくはなかったのだろうが、田舎に行かなければ葵が何もないところを指し示して『ママ。あのお姉ちゃん、お洋服が真っ赤っ赤になってる。かわいそう』など自分の目に見えない何かを娘が口にすることが耐えられなかったのだろう。
妹が生まれてからは葵のことを嘘ばかりをつく娘だと邪険にし始めた母は、葵をいない物のように扱うようになった。母が姉妹の育て方に格差をつけるせいで両親たちの言い争いも日々、絶えない。葵が見えるものを母には決して、口にしてはいけないと分かった頃には、両親の関係も、表面上は落ち着いたように見えたものの、彼らの溝は深かったのだろう。
結局、両親は別れる道を選んでしまった。
高校生の妹は母についていくことにしたが、大学生になる葵は必要最低限の仕送りだけを、父から貰うことにして奨学金を返す為、バイトばかりの日々を送り、何のために大学に入ったのかという思いだけが残った学生生活を終えた。
社会人となり一人暮らしをしている葵に珍しく、母から電話が掛かってきたかと思えば、祖母の家を整理したいから葵に遺品の整理に向かえと言う。母の言い分としては、あんな化け物屋敷には近づきたくはないが暫く、放っていた土地を売りに出すことにしたのでお前が行くのが適任だということらしい。久しぶりの母の金切り声を葵は聞いていられず、そのまま、通話を切ってしまうとSNSを開き、妹に祖母の家に行くと伝える。妹が好む可愛らしいキャラクターで『了解』との返事がすぐに来たことで、あとは妹が母の機嫌をとってくれることを葵は願いつつ、祖母の言葉でいう『縁』のようなものがあるのかと、葵は自分の腕をさすった。
普段なら休みをとることが難しい、海外との物流業務を主に行う総合職として働いていた葵だったが、自分の父と変わらない歳の上司に言い寄られ、相手の奥さんが葵と上司の身勝手な不倫の妄想を真実だと思いこんでしまい、会社に包丁を持って怒鳴りこんできた。上司の奥さんは暴れ回ったあと警備の人に取り押さえられたがそのまま、逃げられてしまったという。恐ろしいことに、今も行方が知れない。上司はその後、うつ状態だということで会社を休職になったが、巻き込まれた葵としてはいい迷惑だ。
会社としても葵に全く、非はないものの、暫く、身を守るにも休みを取ったらどうかと勧められて、葵は遠慮はせず、溜まりに溜まった有給を使うことにしたが、上司との揉めごとがなければ、休みをとることすら難しかっただろう。
見知らぬ誰かの手のひらで踊らされているような気味の悪さに、葵は自分の考えすぎだと思い込む。久々に田舎に帰れるのだからと嫌な気持ちに蓋をした。
老女からトマトを貰ったあと、何かが光った気がして、葵が車から降りると、地面の真ん中に一匹の雀が衰弱した様子で横たわっていた。
何故か、この雀を助けなければいけないという気持ちが働いた葵はハンカチで雀を包むと、祖母の家まで連れて帰ることにする。
弱っている野鳥を発見したときは、保護はしないで放っておいた方がいいこと。衰弱しているのをみかけた場合は病院に連れて行くべきだという考えが一瞬、頭を過ったが、一時間以上も掛かる山道を引き返して町まで戻る気力はなく、もしも、家で診ても雀が弱ったままなら、葵はすぐに動物病院に連れて行こうと考える。
幸い、チュン太と名づけた雀は暫くすると元気になり、念の為、獣医の先生にも診てもらおうと動物病院に連れて行ったが、受付の女性に怪訝な顔をされた葵は慌てて、動物病院を後にした。可愛い雀にしか葵には見えないが、自分にしか見えないということは、チュン太は彼方の世界のものかもしれない。
葵に懐いて甘えてくるチュン太は可愛かったが、祖母のことを思えば、このまま飼い続けているわけにいかない。
「チュン太。元気になったからお別れよ。たまには遊びに来てね」
いつの間に陽が落ちていたのだろう。
夕焼け空は気持ちが悪いくらい、柘榴を彷彿させる真っ赤な色に染まっている。何処か懐かしいとさえ思う気持ちに葵は首を振った。自分の手から空へチュン太を離そうとすると、名残惜しそうな仕草でくすり指に嘴を擦りつけがらも甘噛みしてくる。そんなチュン太の背を撫でると飛び立つように葵は軽く押した。
「バイバイ。チュン太」
満足したようにチュン太は空へと飛び立っていった。
一匹でも一緒に暮らしていた為か。チュン太がいなくなったことに、葵は少しの寂しさを覚えて、冷蔵庫から麦酒を取り出すと、昨日の夕飯のあまりの枝豆と共に軽く酒盛りをすることにした。
葵がひとり酒を楽しんでいると、何度かインターホンが鳴る。
『ごめんください』
「……ひっ!」
真っ黒なスーツを着た堅気とは思えない屈強な男達をみて、葵は見なかったことにしたかった。居留守を使えばよかったと思っても、家の明かりで在宅に気づかれてしまっただろう。母からは何も聞いてはいないが、祖母には借金でもあったのだろうか。
男達は噂に聞く取り立て屋にしか見えない。
葵の微かな悲鳴が聞こえたのだろう、慌てたように男たちは言い繕う。
『すいやせん! お嬢さん! うちの若がお世話になったみたいで』
『お嬢さんを是非、連れて来てくれって、俺ら言われてるんです』
「……あの、勘違いじゃないですか?」
『お嬢さん。雀を助けてくれましたよね?』
「あっ、チュン太のことですか!」
葵の『チュン太』との呼び方に、男たちは笑っていいのかどうか複雑そうな顔で、互いが互いの顔を見合わせる。
雀が恩返しに来たというのか? 祖母の『彼方と此方は関わってはいけないよ』という諭すような声が聞こえてくるようだ。
「当たり前のことをしただけですから。チュン太にもよろしくお伝えください」
葵が断ると彼らは咽び泣き始めた。姿は人と変わらないのにピーチク囀るような様は鳥にしか見えない。
『……おしまいだ』
『若になんて言えばいいんだ? 羽根を切られるだけで済むかな』
『羽根だけで済むなら安いもんだろう。お前のところは良いかもしれないが、俺には可愛い子供が出来たばっかりなんだぞ』
葵が恩返しを受けに行かなければ、彼らが焼き鳥にされるような覚悟が端々から伝わってくる。同情をしてはいけないのだろうが、彼らのことが気の毒に思い始めた葵は尋ねた。
「……あの、今日じゃなくちゃいけないんですか?」
『逢魔時ですから』
「逢魔時?」
『お嬢さんの世界が、我々と混じりやすいときです』
葵は溜息をついて玄関先を開く。自分が招かなければ、基本、彼らは此方へは入れない。
「行きます。……此方に帰れないってことはないですよね?」
「勿論です! 我らの恩人に対して、そんな卑劣なことはしません‼︎」
葵は彼らの言葉に安堵をすると、言われた通り、彼らの中でもリーダーだと思う男の腕に掴まる。
「すいません、お嬢さんを姫さまのように抱くと若から怒られるんで」
葵が米俵のように抱えられると、男たちが隠していた翼を見せる。風よけになるためなのか、縦一例になった男たちと共に舞い上がる。葵は自分が遊園地の絶叫系のアトラクションが悉く、苦手だったことを思い出した。悲鳴すら上げられず、落ちないように、必死に男の服を引っ張るしかできない。
「着きましたよ。お嬢さん」
「おつかれさまでした」
ゆっくりと降ろされると、文化財指定になっていそうな和風の立派な建物が聳えていた。建物の周りが硫黄のにおいが混じる白い靄に覆われていることを見れば、雀たちは宿を経営しているのだろうかと葵は考える。
「葵さん〜!」
「……チュン太?」
人型ではあるがどこか見覚えがある姿だ。彼は法被の下に連れてきた男たちとは違い、着物を羽織っている。
「はい! 葵さんがチュン太と呼ぶなら、それが私の名前です」
「若。それは……」
チュン太を咎めようとした男は、彼が睨みつけるとすぐに謝罪をする。葵にはチュン太の何が怖いのかが分からないが、彼が『若』と呼ばれていることを考えれば、彼らよりチュン太の方が上の立場であることを察する。
「葵さんに助けられたお礼をしたいと思ったんです。調べたら次に異界の扉が開くのが半年後で、貴方に忘れられない内にと思って。こいつらに頼んで迎えに行かせたんですがこの通り、うちにはゴツいのしかいないから。怖がらせたら、すいませんでした」
此方に来てくださいとチュン太に手を引っ張られていくと、部屋には食べきれないほどの豪勢な料理が並べられている。
「……食べても平気な物なの?」
葵の言葉に黒い目だと思ったチュン太の瞳が金色混じりになったのは気のせいか。彼の目が細められる。
「葵さんはおばあさまに似て、私たちのことをよく分かってますね。勿論、食べても異界の者にはなりませんし、人間が口に出来ない材料で作ってませんよ?」
「チュン太。貴方、おばあちゃんを知ってるの?」
「お恥ずかしいお話なんですが、葵さんのおばあさまは父の初恋の人だったんです。父もおばあさまを連れてきたことがあるんですよ」
『あーん』と口元に蕨を持って来られて、葵は仕方がなく、口を開く。
「あっ。美味しい」
「葵さんのために料理人をおど……いえ、お願いして作って貰いましたから。お腹一杯、食べてくださいね」
チュン太の家は葵が予想をした通り、異形の者たちを泊める宿屋を経営していて、葵に拾われたのは人界に食糧調達のために行く途中だったようだ。人界に降り立ったのはいいものの、彼らが行動する為に必要な霊力が枯渇して倒れてしまったらしい。誰にも拾われなければ自分の雀人生が終わっていたところだったと彼は嘆く。葵としては大したことはしていないのに、チュン太の贅沢な歓待を受け、彼が自分とは違う存在だからこそ、よくない企むを抱いているのではないかと勘繰ってしまう。
こういう直感は大事にした方が良いと、祖母も言っていた。
「チュン太。私、そろそろ、帰るね」
一通り、食べ終えると、葵は立ち上がる。彼は旅館の露天風呂も名物だし、こんな機会は滅多にないのだから泊まっていけば良いと、葵を誘ってくれたが首を横に振る。
「そうですか。残念ですが、最後にこれを」
チュン太が手を叩くと、大きい葛籠と小さな葛籠を男たちが運んでくる。そうして葵は葛籠を選ばなければならない状況に立たされていた。
「葵さん。葛籠を一度、選べば、どんなものでも戻せません」
「クーリングオフができないってこと?」
「はい、そうです」
葵は悩んだ末、大きい葛籠に指を指す。民話の意地悪なお婆さんは大きい葛籠を選び、酷い目に遭ったという結末を迎えたが、彼らとの縁が切れるのなら、葵を欲深く関わりあいになりたくない人間だと思って貰った方が、今後も纏わりつかれないだろう。
「本当に此方でいいんですね?」
「ええ。これで、貴方たちの恩返しも済んだかしら?」
「勿論です。此方の葛籠は重たいので、私の部下たちに運ばせますね。葵さん、また」
また、というチュン太の別れの挨拶が気がかりだったが葵は行き同様、男に担がれながらも、祖母の家にたどり着くと彼は心底、気の毒そうに葵に告げる。
「お嬢さん。俺らには何も出来ないが、たまには様子を見にくるからな」
「私は葛籠を選んだし、貴方たちとの縁は切れた筈よ」
「どっちにしても、お嬢さんが『選んだ』ことに意味があるんだ」
「……私が選んだこと?」
「ああ」
これ以上は何も言うなとばかりに、後から葛籠を運んできた男たちに彼は睨まれると、それ以上は口を噤んでしまう。
家の中まで葛籠を運んで貰い、鍵を閉めてしまうと葵はようやく一息ついた。これでもう、彼方の世界と関わることはないだろう。
大きい葛籠をみて、中から毛虫などの虫がわんさか出てきたら嫌だなと葵は思う。殺虫剤を片手に葛籠を開けば、そこにはひょっとこの面をつけた青年が丸くなって入っていた。
「貴方、お祭りの」
「思い出しましたか? 葵さん」
ひょっとこの面を取ると、そこには先程まで話していた相手の顔がある。
「なんで⁉︎」
「葵さんが『選んで』くれましたから。あっ、葛籠は恩返しの内のひとつなので、話した通り、返品は出来ませんよ?」
「もしかして、私が貴方を拾ったときから」
葵の言葉にチュン太は嗤うだけだ。
「あの祭りの日に貴方を攫おうとしましたが、怖いおばあさまによって阻まれてしまいました。それ以降も邪魔ばかりが入って。貴方がこの場所に戻ってくると聞いたとき、私がどれだけ嬉しかったか」
「……もう一つの葛籠を選べば」
「愛らしい雀がいたでしょうね」
どちらにしろ葵が葛籠を選んでしまった時点で、この妖からは逃れることが出来なかった。しかし、小さな葛籠を選べば、可愛いチュン太のままでいてくれたのだろうかという思いがつい、過ってしまう。
民話の教訓の通り大きい葛籠を選べば、ろくなことにはならない。
「葵さんのお婿さんにしてくれますよね?」
葵に頷く以外の選択肢は残されてはいない。それを分かった上で、問いかける彼はいい性格をしていると思う。
葛籠の蓋を閉めて見なかったことにしたいと思ってももう遅い。
唇を固く結んだまま頷いた葵と誓いを交わすよう、彼はくすり指を甘噛みした。
数多くある作品の中からお読み頂き、有難うございます。よろしければ、ブクマや評価を頂ければ、嬉しいです。