労働基準法が仕事をしてくれない件について
アーガッシュの町のハンターギルド 支部
ギルドの扉が開き一人の少女が入ってくる。
つい一昨日に見た覚えのある顔だ。というか、彼女の強烈な見た目を忘れることが出来る人はそう多くないだろう。少なくともアリーゼには無理だ。何せ瞳と髪の毛が虹色に輝いている。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
登録の時と同じく受付嬢、アリーゼが対応する。やはり一人で討伐に向かうのを考え直して、パーティメンバーの募集でも始めるのだろうか? そうなるとハンター登録カードの特技の欄は書き直すように言ったほうがいいだろう。さすがに皿洗いが出来ます、ではアピールポイントにならない。だが、彼女の口から漏れ出た言葉はアリーゼの予想を超えたものだった。
「依頼を達成したので報酬が欲しいんですけど、換金はここで合ってますか?」
「え、?」
思わず声を漏らしてしまうほどアリーゼは驚いた。慌てて平静を繕うが、内心は仰天したままだ。あまりにも早すぎる。依頼内容はゴブリン5匹以上の討伐だったはずだが、一人では一日1匹ずつ倒したとしても1週間近くはかかる。まだ3日も経っていない。それにひ弱で戦闘力のなさそうなこの少女が一人でゴブリンに勝てると思えないし、生きて戻ってくることは無いとさえ考えていたのだ。実は彼女は魔法でも使えたのだろうか?
「一人で討伐なされたのですか? とても仕事が早いのですね。ひょっとして魔法を使えるのですか?」
ハンターに個人的な質問をするのはあまり推奨されないが、アリーゼは思わず聞いてしまった。
もし魔法使いであるならハンターをするよりもっと安全で大金を稼げる仕事がいくらでもある。少々訳ありだったとしても魔法使いなら職に困ることはないだろう。そのため、魔法が使えるのにハンターになる変わり者はほとんどいないわけだが、アリーゼには短期間で大量のゴブリンを倒す方法が魔法くらいしか思いつかなかったのだ。
目の前の少女が口を開く。
「いえ、魔法使いではないですよ。運よくゴブリンの群れをまとめて倒すことが出来ただけです。」
一人で8匹ものゴブリンを倒した理由としては釈然としないが、討伐証明部位が5個以上あるため、依頼の達成は事実のようだ。
もし、魔法使いであることを意図的に隠している等の理由があった場合、これ以上突っ込むと不愉快にさせてしまうかもしれない。アリーゼは取り敢えずこれ以上の追及はやめて、事務的な対応に移ることにした。
「わかりました、ゴブリンの討伐証明部位のほう、確かに確認させていただきました。おめでとうございます。あちらのお部屋で討伐部位の換金やお食事を行うことが出来ますよ。」
そう言ってアリーゼは自身から見て左手側の扉を示した。
「しかし大切な注意事項がありますので、良くお聞きください。」
真剣な表情でアリーゼは少女にギルド規則を説明する。
ハルトがギルドに入って討伐依頼の達成を報告すると、魔法使いだと勘違いされていた。取り敢えずしっかり否定はしたがまだ何となく疑っているような気配があるな。依頼の達成が早すぎたらしいのだが、この世界での一般的な達成速度が分からないので仕方ないだろう。
それよりも注意事項を聞き漏らさないようにしなければ。受付嬢の説明する表情は真剣そのものだ。
10分間ほどの説明の内容をかいつまんでまとめると以下の3つであった。
1.ハンターはギルドの招集があった場合にはこれに応じ、モンスターの討伐に従事すること。もし応じなければ1カ月の間ハンターの資格が停止になるペナルティを課せられる。違反を繰り返す場合には除名の措置をとる。この招集が緊急の招集であった場合に無断で欠席した場合は一回目であっても除名の措置を行う場合がある。
2.ギルドはハンター間のトラブルに干渉しないため、各自が交渉して解決すること。
3.依頼人とトラブルを起こす等、ハンターとしてふさわしくない振る舞いが目立ち、警告によっても改善されない場合には該当する個人の、ハンターとしての資格と登録を抹消したうえで討伐対象としてギルドがクエストを発注し対処する。
怖っ、要するにギルドに歯向かうものは消されるってことじゃん...... トラブルが起きても自己解決しなさいってのも放任主義が過ぎる気がするけど、どうなんだろうか。ギルドじゃなくて警察に相談しなさいってことかな。そもそもこの世界に警察署ってあるのか知らないけど。
それから昇級の話もあった。
「あなたは見事に依頼を達成しましたのでD級に昇格することになります。こちらの青色のプレートがD級ハンターの証明になります。これからのますますの活躍を期待しております。」
依頼を一つ達成するだけで昇格するものなのかと疑問を覚えたが、どうもE級というのは戦力外扱いらしく、ハンターではあるものの、要員として数えられていないらしい。
最低限モンスターを討伐できる実力が証明されれば、半ば自動的にDランクに認定されるようだ。
アリーゼの言葉は続く。
「D級認定されると受注できる仕事の範囲が広くなります。また、ギルドの酒場では換金だけでなくモンスターの生態や討伐方法・その他有益な情報、訓練の方法や指導についても有償で対応しております。ハンターの方からの情報の買取も行っておりますのでぜひご活用ください」
アリーゼの説明によるとほとんどのハンターがD級であるため、パーティメンバーを探したり、情報交換するのにうってつけの場所らしい。そんなハンター同士の社交の場、ギルドの酒場が右側にあるようだ。
早速扉を開けて中に入る。足早に換金用のカウンターに向かうが、途中で180cmはあるだろう筋骨隆々な大柄な男3人が目の前に立ちふさがった。男達が邪魔でカウンターにたどり着けない。
「よう、お嬢ちゃん、いいもの持ってるなぁ! 俺たちゴブリンの角が欲しいと思ってたんだ。譲ってくれるよなあ? あと、ものすごい別嬪さんじゃねえか! このあと一緒に一杯やろうぜ」
ガラの悪いごろつきのような男に声をかけられるが、カウンターの職員も他のハンターも興味深そうに見つめるばかりで特に対応しようとはしない。非常に酒臭い息が不愉快だ。明らかに酔っぱらっている。
「ハンター同士のトラブルにギルドは干渉しないってこういう........」
ハルトはなんだか男性が嫌いな女性の気持ちが良く分かった気がする。こんな形で女心が分かるようになってしまうとは複雑な気分だ。
ハルトの現在受けているこれはいわゆる新人潰しであるが、この程度の脅しに屈する胆力のないハンターは組合としてもいちいち守るほどの価値がないので黙認されており、業界の悪習となっている。
もっとも、やりすぎたり流血沙汰にまでなればギルドから警告が飛んでくるため、完全に無法地帯というわけでもない。
「ほら、角こっちによこしなよ!」
取り巻きの男が袋に手を伸ばしゴブリンの角をくすねようとする。なんか袋以外の部分にも手を伸ばそうとしてないか? この変態が!
ハルトは完全に気圧されていて反応できないでいるが、体は勝手に動く。
《ほれほれ、ぼさっとするでない!》
ステリーが脳内で語り掛けてくる。すると体が勝手に動き、半身を軽くひねって男の手を躱す。ステリーが後ろに下がり距離を取ると、
「おいおい、逃げるなよ仲良くしようぜ!」
鼻の下を伸ばしながら男が詰め寄ってくるがこれで包囲網が崩れた。しかしこいつら気持ち悪いな。ステリーは左側に逃げるフェイントをかけてごろつきの立ち位置を誘導する。手薄になった右手側に体を滑り込ませてスライディングしながらカウンター側に一気に距離を詰める。ハルトはそのまま換金カウンターに走り寄った。
「うお! すばしっこいな嬢ちゃん。やられた! 俺たちの飲み代がパーだ!」
ごろつきのリーダー格が悔しそうに声を上げる。かなり酒臭い息だったので結構飲んでるはずだがまだ飲もうとしているらしい。
換金カウンターにまで追ってくるのではないかとハルトは内心心配していたがその様子はない。
《よほどの阿呆でもない限りギルド職員の業務を邪魔する奴はおらんよ》
ステリーがギルドのしきたりを説明してくれる。
まず、ギルドの換金カウンターにまでごろつきが追ってくることは決してないということ。ギルド職員との取引に手を出すのは明確なギルド規則違反らしい。ギルドの業務妨害となり、そんなことをすれば警告が飛んできてしまう。下手すれば一発でアウト。新人の稼ぎを巻き上げるのにそこまでのリスクを背負う馬鹿はいない。グレーゾーンと黒のラインを明確に見極められない愚か者はこの業界で生き延びることはないそうだ。
「はっはっはー、だっせーな。新人に、しかも女に出し抜かれてやがんの!」
見物していた外野がごろつきを煽る。
「うるせーよ! 別嬪さんだったから勝ちを譲っただけだ! きっと今ので俺に惚れたはずだぜ!」
「負け惜しみもそこまで行くと喜劇だぜ!」
「なんだとこの野郎!」
酒の入った勢いで売り言葉に買い言葉だ。今晩は酒の肴としてこの話題がギルド内を駆け巡ることになるだろう。
「今回の賭けは俺の勝ちだなあ!」
別のテーブルで酒を煽る小柄な男が得意げに言う。
「チクショウ、マジかよ! 俺の今週の稼ぎがパーだ!」
あきれたことにごろつきがカツアゲに成功するかどうかで賭けを行っている者までいるらしい。いかにこの悪習が日常的に行われているかがよく分かるというものである。
不毛なものを感じたハルトは酒場の喧騒を無視してカウンターの職員に換金を依頼する。
「ゴブリンが8匹で銀貨3枚と銅貨20枚になります。ここから借用金の返済分として2割分の銅貨64枚を差し引いて、銀貨2枚と銅貨56枚をお渡しします。どうぞご確認ください」
報酬の詰まった革袋は少し重いが、今日一日のハルトの稼ぎである。ありがたく受け取って自分の袋にしまう。分かっていたことではあるが借金の返済がかなり苦しい。ハルトは奨学金の返済に苦しんだ新社会人の頃を思い出す。さっさと全額返済したいところだ。
「ありがとうございます。ところで、新しい依頼を受けたいんですけど何がありますか?」
手持ちの袋には硬貨の重みを感じるが、ほとんどが銅貨だ。今日の報酬では銀貨2枚分しかないので二日分の宿代にしかならない。もっと稼ぐ必要がある。
「あちらの青色の額縁にはめ込まれた掲示板をご覧ください。ハンターランクごとに依頼用紙も色分けされておりますので達成条件をよく確認してから受けたい依頼をこちらにお申しつけください。」
ギルド職員の指差すほうに視界を移すと青い額縁の掲示板には100以上の依頼があったが、ほとんどが青色の依頼用紙だ。つまりハルトでも受注可能なD級の依頼である。
「D級になると一気に依頼の数が増えるんだなぁ。お、食堂のキッチン対応手伝いの依頼がある」
ハルトとしては戦闘に自信がないのでこういう雑用クエストはありがたい。しかし、詳細を確認して落胆することになる。
「拘束時間10時間で銅貨40枚ってまじか」
安い、あまりにも報酬が安すぎる。10時間の労働がゴブリン一匹分である。時給に換算して銅貨4枚だ。日本なら迷わず労働基準監督署に駆け込むレベルである。宿代と借金の返済を考えたら完全にマイナスだ。
「最低賃金割ってるんじゃないの?いや、そんな法律ないのか」
ハルトはそんなことを呟くが、毎日宿に泊まろうと思うと1日当たり最低銀貨一枚以上の収入が必要だ。食事代や貯金も考えると何とかして1日当たり銀貨1枚と銅貨10枚程度は欲しいところだ。頭の中で適当などんぶり勘定するとどう考えても報酬が足りないことが分かる。日本では一切意識したことがなかったが、家計簿をつけたほうがいいかもしれない。一寸先は闇ならぬ、一日先は野宿である。ハルトとしてはそんなの絶対に嫌である。というかこの世界のハンターはこんな低賃金でどうやって生計を立てているんだ。
《普通はもっと安い宿に泊まっておるの。あるいはギルドなどの大衆酒場で朝まで過ごすか、寝袋で野宿するかのどれかという場合が多いのじゃ。》
ステリーがこの世界のD級ハンターの生活事情を教えてくれる。
どうにもキッチンや入浴・洗濯用の魔道具が備え付けられた一人部屋というのはこの世界では贅沢な部類に入るらしい。寝床のみで相部屋といった格安の宿であれば1晩につき銅貨5枚程度、酒場では大体銅貨50枚程度の注文をすれば朝までいても追い出されないらしい。
しかし、元文明人のハルトとしては洗濯や入浴なしの生活には耐えられそうもない。単純に生活水準を下げたくないのである。野宿は問題外だ。それに女一人で相部屋はいろいろ不安である。
「となるともっと稼ぐしかないのか。一番報酬の高い依頼にするか......」
取り敢えずもっと金が要る。これが切実な思いだ。そうしてハルトは一つの依頼を受注してギルドを後にした。