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ファンタジー世界では地球の常識が通用するとは限らない件について

翌日 アーガッシュの町の宿屋


「う、朝か」


 宿泊客が一斉に起き始めたのか宿の中が騒がしくなってきた。宿泊客が階段をせわしくなく昇降する足音と会話する声で目が覚める。時計のアラームをかけない朝の目覚めは気分がいい。今はアラーム付きの時計自体をハルトが持っていないので当たり前なのだが、日本なら今日は月曜日なので少し得した気分だ。


 昨日はかなり問題のある食事のあとにすぐに床について眠ったが、体の疲労感と倦怠感はバッチリ抜けている。味は良くないが貧血に効くのは確かなようだ。体が軽い。ハルトはのそのそと起き上がり昨日の残りものを温める準備してから身支度を整える。


 今日の朝食は昨日の残り物を温めなおしたものだ。ハルトは作ってから時間の立ったカレーは美味しいという話を聞いたことがある。そもそも今食べようとしている食材の塊はカレーではないのだが、この話に期待して少しは味がマシになっていることを望んで朝食を口に運ぶ。


「まずい!次から豚レバーは無しだな。」


 ハルトは相変わらずのひどい味に不満を漏らした。昨日適当に調理し過ぎたのが良くなかったのか、やはり美味しくない。昨日の残りをそのまま温めなおして朝食としているので味がほとんど変わらないのは当たり前なのだ。むしろ鮮度が落ちて食味が落ちている。が、ハルトにもいくつか分かったこともある。豚に比べると鶏レバーのほうがいくらか血生臭さが薄く食べやすい。

 

 また、この食事の問題点もはっきりした。まず、蒸した小豆と小松菜は薄味を取り越して無味である。草食動物にでもなった気分だ。やはり調味料が必要だ。チーズは溶けて行方不明で、芋はかなり硬めだ。煮込み時間が足りないのかもしれない。唯一の救いは赤魚だ。同じく味は薄いが程よい弾力で噛むほどにうまみが染みだして美味しい。

 

 食材をすべて丸ごと同時に煮込むのではなく、ある程度投下タイミングをずらしたほうがいいのかもしれない。ハルトは自炊の極意に一歩近づいたような気がするが、次に生かせるかは未知数である。


 一方迷惑な同居人は朝食自体の味には全く興味がないようだ。


《うまい!やはり健康で新鮮な血液はひと味違うのう》


 ハルトが血生臭さに苦しみながら食事をしている中で酷いものである。が、突っ込むのはやめることにした。ハルトとしてはコイツに血をがぶ飲みされる以上は貧血対策はするしかないだろう。造血食材の摂取は必須で、それが出来なければ貧血まっしぐらだ。

 

 そして今はとにかくお金を稼がなければならない。借金の額が気になってハルトに他のことを気にする余裕はあまりない。日本で生きた文明人としては借金取りに追われながら寝袋で野宿は御免こうむりたい。早いうちに生活基盤を整えて毎日宿屋で泊まれるぐらいの収入は確保したいところだ。


「そうとなればゴブリンでも倒しに行くか」


 そういってハルトは仕事に意気込む。気分はハンターというより出社前のサラリーマンだが、やる気に満ち溢れている。なぜなら、体調は万全で天気もいい。ここまで体調がいいのは社会人になってから記憶にない。ハルトは食事の後片付けを終えてから宿を出て、クエストで指定された西の大通りに向かった。


 大通りの外れまで行くと道路というより獣道というような風景になってきた。人通りもなくいよいよ木と草むらしかない。ギルドの情報によるとこのあたりでゴブリンの目撃情報があるらしいのだが......


 少しして、ハルトはそこで動く一匹の生物を見つけた。


 だが、視界に入った生物はハルトの想像するゴブリン像とはかけ離れたものであった。


「え、あれか、これがゴブリンなのか?」


 ハルトの視界に入ったのは、体長100cm程で小汚い黄緑色の肌と鋭いかぎ爪を持つ4本指に、杖を突いている老人のように曲がり切った背中。これだけなら一般的なゴブリンのイメージから大きくは離れないが、顔面には眼球も耳も鼻もなく、額には鋭く長い1本の角と顔の中央に鋭い犬歯が並ぶ大きな口があった。頭部のパーツは角と口のみで頭は禿げ上がっており、間違っても亜人や、小人のような存在ではない。まるでホラーゲームから飛び出してきたクリーチャーといった風貌で、ハルトの理解からはかけ離れた生物であった。しかし肋骨の浮き出たガリガリの肉体は貧弱そのもので強そうには見えない。


 ハルトは、最初の依頼で倒すことになるモンスターが強いはずがないと考え、気楽に構える。戦ってもいないが既に勝ったような気分である。


「早速一狩り行きますか!」


 ハルトは金欠だったので露店で武器を買う気にはならなかった。そこで、ここにくる道中で手ごろなサイズと重量感の石を拾い集めておいたのだ。集めておいた拳大の大きさの石をポケットから取り出して構える。しっかり狙いを定めて思いっきりゴブリンにぶん投げた。その瞬間だった。


「速っ!え、ちょ、」


 投石はあっさり躱され、こちらに気付いたゴブリンが猛然と疾走してくる。かなり速い! 風切り音が耳に襲い掛かり、鋭く長い角をこちらに向けて突進してくる! ハルトが狙いを定めて第二投を投げるよりもゴブリンの角がこちらに届くほうが早いだろう。どうすればいい!ハルトは頭の中がパニックになり対応できない。


《しょうがないのー》


 ステリーのやれやれというかのような声が脳内に響く。


 ハルトの頭の中は大混乱で考えがまとまらないが、体が勝手に動く。ゴブリンの角の進路から身をひねって躱し、相手の足元をすくい上げるように蹴り上げて転倒させる。ハルトの肉体は手に持った石を思いっきり振り下ろして頭部を叩き潰し、その場から素早く離れて距離を取った。ハルトが混乱から立ち直るまでのほんの数秒以内の出来事である。目まぐるしく変化する自分の視界で起こった光景にハルトは目をぱちくりさせながらも、取り敢えず戦いは終わったと考える。


「お、おー勝った?」


 ハルトは不用心にも近づこうと足に力を入れるが体が動かない。すぐにステリーから注意の声が飛んできた。


《頭部を破壊してもすぐには死なぬよ。近づくでない》


 すると、頭部の破壊されたゴブリンの肉体がまた動き始めたではないか!ゴブリンはかぎ爪のついた腕をめちゃくちゃに振り回して暴れだし、十数秒経ってから再び静かになった。


 気持ち悪! 頭がなくなっても少しの間なら体が動くというのはどうなっているんだ。それと、目の前のゴブリンは目も耳も鼻もないのにどうやって投石をよけ、攻撃をしてきたのだろうか? ハルトはこれが気になる。

 

 ステリーがあきれたような雰囲気でハルトに語り掛ける。


《おぬしがしゃべりながら攻撃するもんじゃから最初から気づかれておったのじゃよ。もう少し静かに行動すべきじゃ。ゴブリンは耳がないように見えるが、音波を振動として感じることが出来る。つまり音が聞こえないわけではないのじゃよ。それに鼻も利く》


 え、そうなの!? ハルトの中ではゴブリンの聴覚は頭の横についている細長い器官が担うものだと確信していたのだが、この世界では違うようだ。


《それと、おぬしもう少し距離を取って攻撃すべきじゃったな。近づきすぎじゃ。わらわがおらんかったらかなり危うい戦いになっておったぞ》


「あ、ありがとうございました。」


 思わず敬語が出てしまうが、確かにステリーがいなければ大けがをしていたかもしれない。それに、ステリーのアドバイスは実に当たり前の話でそこに思い至らなかった自分がはずかしくなる。


 確かに敵前で堂々とおしゃべりしていて気づかないほうが野生動物として間抜けだろう。日本人は平和ボケしているとよく言われるらしいが、まったくもってその通りだと同意せざるを得ない。少なくとも俺は平和ボケしている。


《第一、モンスター相手に油断すべきではない。一般人では倒せないほど危険で狂暴だから、討伐依頼としてギルドに持ち込まれ、報酬が発生するのじゃよ。弱いモンスターならそもそも脅威にならぬゆえに討伐依頼としてギルドに持ち込まれることはないのじゃ。》


 これもよく考えると納得できる話だ。ゲームの序盤で出てくる雑魚敵のような弱いモンスターは、現実的には脅威にならないため、討伐依頼としてギルドに持ち込まれない。なぜなら自分で倒したほうが早くて金もかからないからだ。


 ハルトは少し考えれば当たり前にわかることをいくつも見逃していた。これに気付かないままではいずれ命取りになっていただろう。ステリーには感謝しなくては。ここは日本ではなく異世界で、常識やモンスターの生態はハルトの知る頭の中の情報とは異なるのだ。


「でも取り敢えず終わって良かった!一旦町に戻ろうかな」


 今日はたった一匹のゴブリンを倒しただけだが、肉体的にはともかく精神的に結構疲れたので休みたい気分だ。命の危険のある戦闘は精神的にかなり疲弊する。

 

 背中を向けて町に戻ろうとするが、体に力を入れようにも体が動かない。脳が指示を出しているのに肉体が応じないという不思議な感覚に違和感を覚える。


《まだじゃよ。のこり6、いや7匹か》


 ハルトはステリーに誘導されて視線を草むらの方に向ける。目を凝らしてみると少し離れた草むらの陰からゴブリン達がこちらに向かって一直線に突進してくるのが見えた。こちらに来るまで30秒もかからないだろう程の速度だ! 速い! 背中を向けて歩き出そうものなら間違いなくその鋭い角で串刺しにされて死んでいただろう。


《ゴブリンは基本的に群れて生活しており、集団で襲い掛かってくるのじゃ。覚えておくとよいぞ》


 確かにハルトにもゴブリンはいつも群れているイメージがある。


《取り敢えずこの場の戦闘はわらわに任せるのじゃ。おぬしにはまだ早そうじゃ。》


 ハルトはステリーの言葉に甘えることにした。一対一でも危うかったのに7匹もいてはちょっと勝てる気がしない。でもステリーなら勝てるんだろうか? 


 そんなことを考えているとハルトの体が勝手に動き石をつかんでゴブリンに投げつける。第一投を投げたかと思えばすぐに第二投を準備して投げる。ゆっくり狙いをつけたり、力を込めたりなどせずに、とにかく素早く石を投げていく。

 

 目の前のゴブリンの様に疾走する生き物は簡単に進路を曲げることが出来ない。彼我の距離が短くなるほどそれは顕著だ。面白いようにステリーの投石が当たりゴブリンがひっくり返っていく。2匹がこちらまで到達するがステリーは体をひねって角を躱し、足を引っかけて1匹を転倒させ、もう一匹は横面を思いっきり蹴り上げて頭部を破壊する。転倒した1匹が起き上がろうと腕に力を入れたタイミングで頭部に足を振り下ろし叩き潰す。ステリーは間髪入れずに距離を取り構えた。


 すさまじい早業だ。ハルトでは絶対に真似できない。


「おー!すごい。」


 ハルトはまるでアクション映画の1シーンのように無駄のない動きに感動してしまう。自分の体でしたとは思えない達人業だ。


《おぬしの動きに無駄が多すぎるだけじゃ。自分の肉体の性能をまるで発揮できておらぬぞ。使い方を知らぬのか。わしよりもおぬしのほうが長くこの体を使っておるはずじゃが》


 ステリーからはあきれたような雰囲気が伝わってくる。

 だが、無理を言わないでほしい。ハルトはインドア派なもやしっ子なので体を動かしたことがあまりないのだ。スポーツも得意ではない。運動と言えるのはせいぜいオタク棒を振り回して歓声を上げるくらいのことだろう。

 一先ず戦闘が終わって一安心だが、これからのことを考えると筋トレを始めたほうがいいかもしれない。


《戦闘はまだ終わってないのじゃ。一々油断するな》


 投石されてひっくり返っていたゴブリンの一部がのろのろと起き上がる。頭部のつぶれた3匹は死んだようだが2匹はまだ生きていたようだ。どちらの個体も腕が欠けているにもかかわらず、まるで気にする素振りがなく、疾走してこちらに突撃してくる! 

 

 ハルトは、ひっくり返っていたゴブリンは全て死んだものだと勝手に思っていたので驚きを隠せない。だが、再度ハルトの体が勝手に動き、ゴブリンを転倒させ頭部を破壊する。


《これで本当にしまいじゃな》


 腕が欠けても戦いをやめようとしないゴブリンの姿にハルトは恐怖すら感じる。普通は怪我したら逃げるだろう。少なくとも俺は逃げる。


「ゴブリンって強いんだな。びっくりしたよ。ありがとう」


 ハルトはステリーにお礼を言う。てっきりゴブリンはもっと鈍くて間抜けな生き物だと勝手に思っていたが、俺が日本のRPG等で得た知識からくる身勝手な先入観に過ぎないことを痛感した。俺の考えていたゴブリン像と、この世界でのゴブリンの実態があまりにもかけ離れていたのだ。


《まあこればっかりは知識がないと厳しかったかもしれんのう》


 ステリーが慰めるようにフォローしてくれるが、もし彼女の助けがなければハルトは死んでいただろう。ゴブリンの強さを理由もなく侮った己の間抜けさを恥じずにはいられない。


 


 実のところゴブリンの体は軽くて脆い。攻撃さえしっかり当てることが出来れば力の弱い女性や子供でも勿論ハルトでも簡単に倒すことが出来るだろう。しかしだからと言って弱いわけではない。ゴブリンは痛覚がかなり鈍く致命的な急所である心臓と頭部以外を破壊しても何事もなかったかのように動き回り戦闘を継続するし、急所を破壊されてもしばらくは動く。

 そしてゴブリンの攻撃は人間にとって致命的になり得る。爪は刃物のように鋭く人間の肉など簡単に引き裂くし、角による攻撃が当たれば骨を貫通するだろう。一度ケガをしてしまえば血の匂いに誘われて他のゴブリンも寄ってきて数の暴力で嬲り殺されてしまう。

 ゴブリンは目玉がないため視覚はないが嗅覚は鋭く3km先の血の匂いでさえ嗅ぎ分けると言われている。そのため、まずは匂いの強い薬品などを使って嗅覚を麻痺させて一匹ずつ倒すのが本来のセオリーだ。最も、ハルトには知る由もないが。




 ハルトは、激戦の感傷に浸っていたが、クエストの達成条件を読み直して、討伐証明部位をギルドに提出する必要があることを思い出す。


「討伐証明部位はゴブリンの角だったか」


 俺の激戦の証だ。全部で8本を袋に詰めて帰路についた。

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