鮮血の足跡(後編)
土煙が晴れ上がるとオーガの右拳から小指と人差し指の2本が欠け、中指と薬指の間が大きく切り裂かれて肉がそがれていた。地面にはオーガの指と脂肪の塊が粘着質な音と共に落ちていく。
「ゴッァ!?」
オーガは痛みに戸惑い声を上げた。
一方でジライアたちはまったくの無傷だ。まるでそよ風でも吹いていただけかのように変化がない。しかし、4人のメンバーが手に持つ剣、【スカーレットペイン】はオーガの血と油を弾き、地面に鮮血がしたたり落ちている。
この間に起こったことは実に単純明快だ。オーガの攻撃をジライアが受け止め、その間に4人のメンバーがそれぞれオーガの右拳に切りかかったのである。
「フンっ、所詮は力任せのでくの坊か。いや、この鎧が強すぎるのかもしれんな。」
ジライアたちのパーティ全員が着ているこの鎧、【スカーレットスケイル】には衝撃吸収と軽量化、劣化防止の三つの魔法がかかっている。鎧にかかっている衝撃吸収の魔法こそがこの結果をもたらしたのである。
「いやーこの鎧はやっぱり最強だなジライア! まさに敵なしよ。オーガが何匹いようが最早関係がねぇ! この鎧さえあれば俺たちゃ無敵よ。オーガなんざタダのデカい的だぁ」
ジライアは自身のパーティメンバーの発言に気分よく同意して口を開く。
「まったくだよ。最上のマジックウェポンを揃えた俺たちは無敵で、どんなモンスターが相手だろうと負けることはない。やはり金の力は偉大だ。他のすべてに優先する。C級の腑抜け共に施しを与えたどこぞのバカは今頃苦労していることだろう。」
ジライアたち4人にとって金はすべてに優先する代物だ。彼らはもともとブロンの中規模商会に仕える護衛の息子達だった。しかし、違法な商品を扱うブラックマーケットで誘拐した女性を甚振って見世物にし、小遣い稼ぎをしていた。それが発覚し、逮捕こそされなかったものの、つるんでいた4人がまとめて勘当されてしまい現在はハンターに転身しているのだ。
この鎧と剣は実家から勘当される前に商会の倉庫番と護衛に賄賂を渡し、秘密裏に盗んでおいたものだ。高額な商品が消え失せたこの事件がきっかけで護衛を務める者や倉庫番の一族がまとめて商会からも切り捨てられた。自分たちの親族が路頭に迷うことになったそうだが、ジライアたちが気にすることはなかった。
ジライアの人生哲学は自分さえよければそれで良いである。金さえあれば大概の快楽は購入することが出来る。それが王国の法律に反していても王国の権力者に実害を与えなければ金の力でいくらでも揉み消すことが出来る。ジライアたちの場合もそうだった。だが、犯罪によって遊ぶと事実が発覚したときが面倒だと学習した彼らは露見しても問題のない楽しみ方を探すことになった。
そんな時王国の法律ではモンスター相手であれば何をしても許される事を知った。ジライアにとってギルドは遊ぶ金を稼ぎつつ、モンスターを甚振って適度に嗜虐心を満たせる最高の職業だ。先ほどもその気になればオーガの指を落とすだけでなく手首を切り飛ばしてやる事もできたが、長く楽しむためには適度に加減も大切だ。すぐに終わっては楽しめない。
戦闘が続くうちにオーガが5匹ジライアたちを囲むようになり、その拳や足を一斉にジライア達に叩きつける。だがジライアたちは涼しい顔だ。さすがにジライアもこの数のオーガを相手にするのは初めてのことだったがやはり魔法の力でオーガの攻撃はすべて無効化されている。
一方でジライアに同行していたC級ハンターたちは叩き潰されて全員が赤いシミと化してしまった。オーガ複数匹のパンチの嵐を躱し切ることが出来なかったのだ。彼らはマジックウェポンで身を守ることが出来ない以上、一撃食らえば即死してしまう。数の有利を失った状態では連携しても限界があったのだ。
だが、ジライアたちは仮にも味方が全滅してしまったというのに悲しむ様子が全くない。
「やはり装備すらまともに整えられん貧乏人は哀れだな。武器だけあっても意味がないというのに。」
【スカーレットスケイル】程の一品があれば防御を考える必要は全くない。守りながら戦うなど、ジライアにとっては効率の悪い戦い方だ。ひたすら切りまくったほうが早い。事実、既に3匹のオーガを戦闘不能に追い込んだ。
「当てても効果がないというのが理解できないとは哀れだな。オーガは知能が低いことで有名だが何度失敗してもやり方を変えようともしないとは」
オーガのパンチの返礼として【スカーレットペイン】でオーガの手首を切り落とす。オーガ一匹が痛みに咆哮を上げるが、戦闘意欲が失われている様子はない。馬鹿すぎてジライアたちと己の実力差が理解できないのだろうか? 意味もない攻撃をオーガたちはひたすら繰り返し、ジライアたちに土埃を付け続ける。
「しかし数が多いと思ったよりもうっとうしいな」
オーガの生命力は強大だ。多少手足を傷つけても戦闘を続けられる頑強さがある。戦闘不能に陥ったオーガもいずれは傷がふさがり回復するだろう。オーガの自己治癒能力はかなり高いからだ。オーガの攻撃はジライアたちにダメージを与えないが、殴り続けられるのは気分がいいものではない。そろそろ本気で始末するべきだろう。
ジライアの一撃がオーガの足首を切り落とし、鮮血があふれる。そのまま続けざまにオーガの心臓に剣を突き立てた。オーガ一匹が盛大に血しぶきを上げ、そのまま動かなくなった。後はこれを繰り返すだけである。
だがここで急激な変化がジライアたちを襲うことになった。体が重い! まるで自分達の肉体が鉛にでもなってしまったかのようだ。あまりの重さに剣を振り上げるどころか腕を持ち上げるのさえ億劫に感じる。こんなことは今までの戦闘では起きたことがなかった。
「な、なんだ何が起こっている?」
この症状はジライアだけのものではなく、他のメンバーにも起こっているようだった。
オーガの一撃が【鮮血】のメンバーの一人に直撃する。派手に吹き飛ばされ、鎧から肉片が飛び散って周囲に臓物をぶちまけた。
「は? いったいどうなっているんだ」
目の前の光景を信じられず、間の抜けた声をあげる。
この鎧は無敵のはずではないか。どうして自分の仲間が死んだのか。鎧の効果が消えたとでもいうのか。ジライアが混乱の中、思考の海に沈んでいる間に他のメンバーも派手に吹き飛ばされ血と肉をまき散らして地面を真っ赤に染めている。
ジライア一人になってしまった。
「ふざ、ふざけるな!」
ジライアは己を鼓舞して気合で全力疾走し、オーガに接近する。渾身の一撃がオーガの足首に直撃する。しかし、刃はオーガの足首を半ばまで食い込むにとどまり、切断することが出来ない。その上さらに一段とジライアの体は重くなり、剣を持っている事さえ出来なくなり取り落とす。
「こ、こんなバカな。【スカーレットペイン】は無敵のはずだ。どうして切れない!」
己の最も信頼する武器が急に裏切ったのだ。もはや混乱の極みである。
マジックウェポンの力は確かに強力だが無尽蔵にその力を振るえるわけではない。ジライア達の肉体は重くなったような気がするのではなく、物理的に重くなっているのだ。マジックウェポンは魔法力の代わりに使用者の体力と生命力を消費してその効果を発揮している。そして、ジライアの生命力が限界まで減少したことで、【スカーレットスケイル】に宿された軽量化の魔法の効果が切れたのだ。
一般的にマジックウェポンを使用する際に消費する体力や生命力は武器であれば切る対象の硬さに、防具であれば防いだ攻撃のダメージに比例する。一見無傷に見えているジライアたちも、10000kgの巨体を誇るオーガの攻撃によって体力と生命力を大きく奪い続けられていたのだ。
生命力はすべての生物が持っている、生きていたいと願う意思の力だ。これを失い過ぎるとあらゆる気力がなくなって生きた屍の様になってしまう。そして、この生命力が一定の水準を下回るとマジックウェポンはその効果を失うのだ。
ジライアはつい数十秒前までの威勢のよさが嘘のように無くなり、急激に眠くなってきた。いや、眠る事さえ煩わしいのだ。ふと己の人生がどうでもよく感じてきた。もはや立っている事でさえ億劫だ。どうして自分はオーガの群れの中にいるのだったか。この場所に来た目的すら忘れ、さっさと消え失せてしまいたい。生きていることの意味が分からない。
そんな風に黄昏れているジライアにオーガの踵落としが直撃した。衝撃吸収の効果を失った鎧はあっさりと潰れてジライアの鮮血で真っ赤に濡れる。鉄板の様に潰れた鎧の隙間から臓物が零れ落ちて地面に赤い染みを作った。
こうしてC級ハンターチーム【鮮血】はこの世からいなくなった。




