C級モンスターは一味違う件について(後編)
お互いの距離は数メートルにまで縮まった。
オークは疾走の勢いを利用し、減速することなくラリアットを繰り出してくる。
「ステリー、回避は頼んだ」
正直想像以上の強敵だ。回避と攻撃を一人で行える自信がない。身体の動かし方をステリーからの指導で学んだハルトであるが、正直言ってまだまだ未熟だ。オークの攻撃は恐らく全て即死級の威力だろう。ハルトは自分の命が惜しい。ここはスペシャリストであるステリーに回避を任せたほうが賢明だ。
《言われずともそうするつもりじゃが、攻撃はおぬしが行うのか?わらわがやった方が良いと思うのじゃが》
取り敢えず、いったん攻撃は俺に任せてほしい
ハルトは口には出さずに心の中でつぶやく。まずはハルト自身でもできることからやっていきたい。戦闘のすべてをステリーにまかせっきりでは申し訳ないし、成長のためには自分でやってみることも重要だと思う。何よりこの依頼を受注したのはハルト自身なのだから。
《そこまで言うならひとまず攻撃はおぬしに任せようかの。無理だと思ったらすぐに変わるゆえに早々に申せ》
ありがたいことにハルトに攻撃を任せてくれるようだ。気合を入れて目の前の強敵に全神経を集中させる。
オークのラリアットはハルトの体が勝手に動き、体を右側に回転させるようにして躱してくれる。ハルトはすれ違いざまにミスリルダガーでオークの足元に切りかかる。投石の際に感じていた、重厚な剛毛を切りつけているような抵抗感は感じない。見れば、オークの毛は切断され、一部が空中を舞って足元に落ちている。取り敢えず攻撃は効くようだが、浅すぎて皮膚に届いておらずダメージにはなっていない。毛皮の表面をなぞっただけである。有効打を加えるにはもっと深く刃を突き立てる必要があるだろう。そのためにはオークの隙を探さなくては。
渾身の攻撃を避けられて苛立ったのかオークは雄たけびを上げ、足元に切りかかってきたハルトに右拳を振り下ろす。
軽いステップでステリーが躱す。オークの右拳が空を切って地面に激突し、土埃が大きく舞い上がってハルトの視界を塞いだ。まずい、オークの姿が見えにくい。土埃の中から、オークの左手がはい出るように現れ、ストレートを放ってくる。これを左側に動いて躱す。だが、すぐにオークの右腕も土埃をかき分けるように現れてハルトに殴り掛かってくる!
これすらもステリーが余裕をもって避けるものの、今度は間断なく左手のストレートが襲ってくる。絶え間ないオークの拳のラッシュに対してハルトは攻撃のタイミングが見極められない。オークの攻撃の合間には隙と呼べるような時間の空隙がないのである。
情けない話ではあると思うが、今回のハルトの戦いはここまでだろう。このまま攻撃と回避の応酬を続けた場合先に音を上げるのは間違いなく自分だ。はっきり言って体力的にも精神的にもそこまで自信があるわけではないからだ。
すまない、ステリー任せていいかい?俺では攻撃のタイミングをつかめない
《オーク相手にはじめてにしてはよう頑張ったほうじゃ。褒めて遣わすぞ。あとは戦いをよく観察して今後の勉強とするとよいのじゃ》
遠慮なくハルトはステリーの戦いを観戦することにする。思えば正面からの近接戦闘は初めてのことだった。大体の場合ハルトの戦闘スタイルはヒットアンドアウェイというか、避けてから攻撃するという感じで、敵が勝手に晒した隙を受動的に狙って勝負を決めるというものだった。そもそも隙の少ない相手から一本をもぎ取るということは経験になかったのだ。
ステリーに身体の操作を任せるとすぐに戦況は動いた。
ステリーはオークの右拳が突き出される瞬間、オークの右手に添わせるようにミスリルダガーを突き出した。オークのストレート自体は肉体に直撃していないが、拳が風を切ることによって生み出された風圧がハルトの横顔を殴りつけるように吹き荒れるのを感じる。オークとハルトの間で成立していた、攻撃と回避の均衡が崩れ落ちた瞬間だ。
オークの右手から真っ赤な血液が吹き出す。腕部の茶色い毛皮が赤く染まって地面に滴り落ちる。オークの口から悲鳴を絞り出したような音が漏れる。
戦闘の開始からはじめてオークが苦悶の声を上げたのだ。ミスリルのダガーは見事にオークの前腕を切り裂き、裂傷を作ったのである。
オークは右手の痛みに驚いたのか、右手を反射的にひっこめ、右手を左腕で庇うためにパンチの嵐も止んだ。オークは右手の痛みが堪えるのか動きが止まっている。当然ステリーがこの隙を逃すことはしない。前に一歩大きく踏み込みミスリルダガーをオークに深々と突き刺す。場所は胸の中央、心臓のある位置だ。本来オークの心臓は強靭な毛皮と筋肉、そして肋骨によって守られている。しかし、魔法の力を与えられたこのミスリルのナイフの前ではそんなもの関係がない。ほとんど抵抗感もなくナイフの刃はオークの胸部に吸い込まれ、心臓を貫く。胸部から鮮血がほとばしり、毛皮を真っ赤に染め上げた。
ステリーはオークからナイフを素早く抜き去り、離れて距離を取る。
オークの心臓はポンプとしての機能が停止して血液が駄々洩れになり、全身へ送り出される血液の流れが鈍くなる。オークが左手で自身の胸を押さえるがもはや手遅れである。現状の認識が追い付いていないのか、オークは混乱している様子だが、みるみるうちに力強さが失われていき、反撃する余裕は残されていないようであった。
オークは言葉にならない悲鳴を上げる。というよりも、既に鳴き声を出す余力はなかったのかもしれない。
蚊の鳴くような苦悶の断末魔を上げ、地面にそのまま倒れ伏した。血液が流れて地面に染み渡っていく。
「すごい、たった二回の攻撃でオークを倒すなんて」
あまりにも人間離れした達人業で、ハルトに真似するのは厳しいかもしれない。前腕を切り裂くところまでなら、頑張ればハルトでも出来るようになるだろう。しかし、そのあとに隙を逃がさず真っすぐオークの懐に飛び込んで、寸分違わずオークの心臓を破壊するというのは神業としか言いようがない。
《まあこれは慣れと経験の集大成みたいなもんじゃな。戦闘というのは基本的に相手の致命的な弱点を突くことが出来れば一撃で終わるものじゃ。例外もあるがのう。だから、まずはどこが相手の弱点であるかについて経験を積んで理解を上げ、迷わずにそこを攻撃できるように立ち振る舞う必要があるのじゃ。オークについては顔面以外の部位は痛みに弱いので、ダメージを与えれば大きな隙ができやすいから、比較的狙いやすい相手かもしれないのう》
オークは視力・聴覚・嗅覚・触覚・味覚のすべてが人間よりも優れる。特筆すべきは驚異的な視力であるが、そのほかの感覚も一般的な人間より数段鋭いとされているのだ。
また、オークは生まれてからすぐに毛皮を獲得し、季節によって抜けてしまうということもなく、生え変わりはあるものの1年中剛毛でおおわれている。そのため、生まれてから一度もけがをしたり痛みを感じたりしたことがない個体が大半で、総じてほとんどの個体がその生来生まれ持った鋭敏な触覚も相まって痛みに弱い。オークからしてみれば、生まれて初めての肉体的な苦痛ということになり、反射的にその部分を庇い、大きな隙をさらしてしまうのだ。
ただし、ここで注意しなければならないのは顔面の毛の薄い部分は例外であるということだ。なぜかこの顔面部分は神経があまり通っていないのか攻撃されてもほとんど痛みを感じないようなのだ。あくまでもこれは毛皮の下に隠された皮膚についてのみ成立する話である。恐らくだが、毛深いために感覚を鋭くしなければ周囲の情報を知覚する際に不都合があったため、毛皮の下部分の皮膚は触覚が強化されたのであろうとされている。
毛皮の下の肉を攻撃され、オークが隙をさらした瞬間にハンターはすかさず追撃し、最低でも戦況を有利局面にまで持ち込む必要がある。先ほど痛みに弱いと述べたオークだが、それは同時に命の危機を感じるということでもある。生物にとって痛みは命の危険信号だ。そのため、アドレナリンの類似成分が大量分泌されるようで、二回目以降は毛皮の下の肉にダメージを与えても痛みが軽減され、大きな隙をさらすことはなくなる。それどころか火事場の馬鹿力とでもいうべき剛腕を発揮し、攻撃力が大きく上昇する。こうなると戦闘開始時よりも厄介な強敵と化してしまう。最初で最後のチャンスを最大限利用する胆力がオーク討伐には求められるのである。
「そうか、チャンスは一度きりか。ここぞというときに思い切って懐に飛び込む勇気が必要なんだな」
《その通りじゃ。ちまちまと切りつけていても巨体を持つオークを倒しきることなど出来ない。オークは人間よりもはるかに強靭な肉体を持つがゆえに、長期戦になれば敗北は必至じゃ。だから勝てる時に勝つ! C級ハンターには冷静にチャンスをうかがい、その時が来れば迷いなく勝負に出る胆力が求められるのじゃ。》
なるほど、大変参考になる言葉である。しかし、一流への道のりはまだまだ遠そうである。
ハルトはオークの顎牙を採取し、鉱山の麓の商店街に戻った。