コロッケ売りはスターになった #1食いしん坊な妻
お久しぶりです。
企画に参加させていただきます!
下手になってるのはお許し下さい汗
四月も半ばになり、だんだんと気温が上がってきた。エアコンの出番も減ってきて家計としては助かる。
ダイニングから機嫌のいい歌が聞こえる。今晩のメニューにテンションが上がっているんだろう。『コ、コ、コ、コロッケ~~♪』とはっきり聞こえる。白くてふっくら丸い頬を上げてキャベツを千切りしてる姿を想像して吹き出す。おかしくて可愛いんだ。美味い物に目を輝かせる妻は。
今晩のメニューは、妻が社会人になって間もない頃から通い続ける店のコロッケで、ポテトコロッケもクリームコロッケも美味い。油でギトつくことなく衣はカリカリで、齧ったら中からトロっとゆるめのタネが出てくる。俺は揚げ物が得意じゃないはずなのに、初めて食べたときは三つたいらげた。
コココン――ドアをノックする音。
「しゅんちゃん、ごはん」
妻に声をかけられる。多忙な妻から夕食の直前に声をかけられるのは、三週間ぶりだった。
ダイニングテーブルには妻が用意した料理が準備されていた。色違いで買った正方形のプレートには、小判型のコロッケ二つと俵型コロッケ一つ、それと小さな山を作る千切りキャベツ。二人で一目惚れして買った二つの椀と豆皿にはそれぞれ、艶のある白いごはんと根菜の味噌汁と沢庵がレシピ本の一ページのように盛り付けられている。
「食べよう♪」
「うん」
「いただきます!」
「いただきます」
お茶ちょーだい、と呑気な声で突き出された妻のグラスに、作り置いていた黒豆茶を注いだ。
俵型のコロッケを箸で割ると、中からトロッとホワイトソースが顔を出した。そして、そのホワイトソースから覗いたのは、
「なご、これエビ?」
「エビクリームだって」
俺の問いかけに答えた妻はソースをかけた牛肉コロッケを嬉しそうに食べている。
「なご、嬉しそうすぎる」
「そりゃそうだよ! 揚げたて買えたから衣サクサクだし、タネはちょっと甘くてトロッとしてて、でもミンチしっかり入ってるからお肉の風味もすごいんだよ! こんなコロッケなかなかないんだから!」
妻は「急いで帰って来て良かったー!」と言いながら一つ目のコロッケを食べ終えた。
俺もエビクリームコロッケを食べてみる。細かいパン粉が作る衣は薄くて軽い。ミルキーで滑らかなホワイトソースに覆われたエビの触感と香りが舌に嬉しかった。
「これ美味いわ」
「ホント? じゃああたしもエビエビ♪」
妻がうきうきしながらエビクリームコロッケに箸をつけるのを、俺は味噌汁をすすりながら見ていた。
テーブルに向かい合ってから三十分ほど経って、食事がそろそろ終わりかける。妻のプレートには千切りキャベツが二口分しかなかった。
「そういえばさ、俺ここの店主さんって見たことないんだよな。男性なんだよね?」
「うん。しゅんちゃんと同い年かな? あたしは店主さんとたまに話すけど、よく売り場に出てるのは確かに若い女の人かも」
「作る専門なんかな?」
「うーん、昔は結構売り場も出てたんだけどな」
妻は首を傾げながらご飯を咀嚼し続けている。
今日のコロッケの店――“コロッケころりん”というコロッケ専門店は、学生街にある小さな店で、近くを通りかかるとオレンジ色のひさしと揚げ油の匂いで、しばしば足が止まる。夕方に通りかかったときには、いつも老若男女問わずお客さんが並んでいた。それだけ愛されているんだろう。妻が社会人になりたての頃から存在するなら、あの店は短くても十年以上は続いていることになる。
「今日はベテランのマダムとバイトちゃんが売り場出てたなー。また店長と話したいんだけど……」
妻はそう言いながらキャベツも食べきって「ごちそうさま」と食事を終わらせた。
「まあ、店にはいるんだろうし、いつか会えるんじゃない?」
「そうだねー」
洗い物しといてー、と妻は笑顔で浴室へ逃げていく。食器を片付けながら「もうバスソルトないよー」と妻に聞こえているかわからない声かけをした。
と、それが先週の話。
妻は七時を少し過ぎた時間に、のむヨーグルトを片手に出ていった。始業直後から打ち合わせがあり、終わるとすぐに説明会があるらしい。
妻を見送ったあとは二度寝をして、九時過ぎに起き直す。アーモンドミルクを出そうと冷蔵庫を開けたら庫内がスカスカ。食材の買い出しに行かないとまずい。帰ってきたとき、塩昆布ピーマンと具なしの薄い味噌汁が食卓に並んでいたら、妻は確実に萎れるだろう。俺は流れ作業のようにプロテインを飲み干した。
今日は天気がいい。雲が見当たらない。冷たすぎない風が吹いている。
この時間になると、人間が活動的になる。スーツを着て小難しい話をする若い男女二人。コンビニ前でボトルコーヒー片手に電話をする作業着姿の男性。リラックスした恰好で犬の散歩をしているご婦人。あくびをして眠気が取れないことを隠さない、水色の髪にデカいリュックの女の子――
この街は芸能系の専門学校と、私立大学のキャンパスが近くにあるからか、飲食店やカフェが多い。そんなところだから隙間時間に仕事を片付けたい社会人も多かった。
スーパーに行く前にコーヒーが飲みたい。音楽を聴きながら歩いて、近くにお気に入りのコーヒーショップがあるエリアに着いた。
そして、イヤホンの意味がないくらいの泣き声が聞こえた。
街中に響く、慟哭と言ってもいいくらいの泣き声は小さな男の子から出ていた。あの小さい身体のどこからこんなハイパーボイスが出るんだろうか。
「あああああああああっっ!!! ママきらい!!! ママはうそつきだあああああ!!!」
「かーくん、ごめんね。コロッケ屋さんがなくなったのママ知らなかったの。」
男の子を必死に宥める母親の言葉。それを聞いて、ここはコロッケころりんがあったところだと思い出した。
「お昼ごはんはオムライスにしよ? かーくんオムライス好きでしょ?」
「いやあああああああああ!!!」
子どもの機嫌は好物を提案しても治らない。途方に暮れる母親を横目に、コロッケころりんだったテナントに近づく。オレンジのひさしは変わらないが、扉は鍵がかかっていて、照明は全て消えている。設備も全て片付けられている。そして、扉に張り紙があった。
『誠に勝手ながらコロッケころりんは閉店致しました。長い間ご愛顧いただき、ありがとうございました。 コロッケころりん店長』
どうして急に閉店したのか、他のスタッフさんはどうしているのか、ここに通っていた常連客たちは知っているのか。そんなことは頭の中で霞んで、このことを妻になんて伝えればいいのか、という戸惑いが、俺をずっと店の前に立たせていた。
ありがとうございました。
*キャラ紹介*
結城隼也…32歳。フリーランスのコピーライター、デザイナー。年収500万円。人当たりのよさと爽やかな童顔で、結婚後も女性からモテている。ほとんど在宅勤務のため、多忙な妻に代わって家事を率先して行っている。
結城和…34歳。隼也の妻。不動産デベロッパー。年収900万円。食べることが好き。もちもちした頬と体型にニコニコ顔なので癒し系に見えるが、若くして役職があるバリキャリ。多忙なためキッチンに立てるのは月1回ほど。