【雨城蝶尾】ダブルブッキングから始まる仕事
「ルノ、やっぱり今日なにか違和感があったりしなかった?」
「いや? 特には」
ルノは首をかしげている。
「むしろセレーヌはなにか違和感があったのか?」
「いや、気のせいだとは思うんだけど……なにかが動いたような音がうしろでしたから……」
最初、ルノはボケーっと聞いていたが、それを聞いたとたんなぜかいきいきとし出した。
「それってさぁ、もしかしてイノシシとかうさぎとかじゃね? 食えるんじゃね?」
「うーん、うさぎだったらいいけど、イノシシはさすがに怖いわ。死人が出てもおかしくないもの」
「そうか」
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「うぅー、寒い。外出たくない。次の都市とか知らん。ここの囲炉裏あったかい。寒い」
「なに言ってるのよ。最初は文句ばっかりだったのに。行くわよ」
ルノはふとんにくるまって囲炉裏の前でこごえている。
「荒れ地なんてもん知らねぇよぉ〜、寒い」
「あなたの仕事場所よ、行くわよ」
「行くたくない〜、寒い」
セレーヌはルノのふとんを引っ張ってはがそうとしているが、なかなか離れそうにない。
「語尾が『寒い』になったのかしら? 寒い寒い連呼してないで準備しなさい」
セレーヌが布団のはしを引っ張ると、少しだけ床との間に隙間があいた。
その隙間に、冷たい空気が流れこむ。
「ヴん」
「なにがヴんよ。早く出なさい」
「……わかった、準備するから寒い」
「まったく信用ならないわね、早くしなさい」
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「そういえばさ、俺とセレーヌが一緒に行動しはじめたときもこんな感じじゃなかったか?」
「寒さってこと? そうね……そんな感じだったかもしれないわね。もう二年たつのね」
ルノとセレーヌはしみじみと思い出す。
「というかここ極寒の地すぎる」
「そりゃ私たちの格好のせいかもしれないけれど、いくらなんでもこれはないわ」
一歩一歩がスローである。
やはり、寒い日に外出するようなものではない。
雪が降っていないのが、まだ幸いだったことだろう。
「うわぁ、ここかぁ……寒い」
「そうよ、ここよ……寒い」
「聖女様! よくお越しくださいました」
そう言い、村の長はうしろを振り向いた。
そこにはなぜか、聖女の格好をした女性が一人で立っていたのだ。
「なあ……あいつなに?」
ルノはそう聖女に指をさしながら、いぶかしげに言った。
「ああ、さっき村の長が話していたけれど、ダブルブッキングしちゃったらしいわよ」
「…………ああ、そうか」
なぜかルノは冷めた目つきで聖女を見ていたのだ。
いつものルノであれば、『ダブルブッキング? そりゃダブルブーイングだな!』なんてダジャレもかましそうなものであるが。
「どうしたのよ、ルノ?」
「……いや、なんでもない」
その反応が怪しいといったものだが、あえてセレーヌはそこにふれない。
どこか、いつもと違う……、その感じ。
セレーヌは見たことがなかったのである。
はっきり言うと、セレーヌは怖かったのだ。
ボケを言ったり、セレーヌにツッコませていた、『いつもの』ルノ以外を見たことがなかったからである。
確かに、ルノは貴族観に対してやや冷たいものがあった。
だが、セレーヌ自身、しょせん平民あがりなのだ。
だからこそ、貴族についてなにか思ったことは特にない。
実力により準騎士爵をもらったが、それは貴族ではない。
ルノは何者なのか、それは聞いたことがない。
あくまでセレーヌは平民である。
ただ、ルノは貴族観がきらいなようだ。
なにか、聖女は貴族に関するなにかがあるのだろうか。
それは、わからない。
聞くのも怖い、それがセレーヌの気持ちである。
「とっとと終わらせようぜ」
「ああ……、わかったわ」
やはり、セレーヌにはルノの口数が少ないように思えるのだ。
…………そのとき、セレーヌは聞き逃していた。
『死ね、ヴェレニケ』という、ルノのつぶやきを。