6.意外と簡単だった
あのあとティアはますます兄の側を離れようとしなくなった。僕が兄の部屋を訪ねると、ソファでふたり隙間なく座っていた。いくら師弟とは言え、16歳になったティアと22歳の兄がこの距離感はおかしいよね。
「……兄上、ただの弟子である女性と近すぎます」
僕が真っ当な指摘をすると兄は読んでいた本から顔を上げて首を傾げ、ティアは威嚇するような表情をした。
「いっそのことふたり婚約しては如何ですか?それならば誰にも文句も言われないし、山のように来る縁談の申込みからも解放されますよ」
半分ヤケクソで続けた言葉にティアは一転目を輝かせた。兄は顎に手をあてて考える仕草をしている。あれ?もしかして脈あり?
「確かにそうすれば煩わしさは無くなるが、ティアは……」
「私はどんな形であってもずっとリアン様のお側にいます!大歓迎です!」
珍しくティアが兄の言葉を遮ってきた。なんだ、意外と簡単だったな。
「それでは父に早めの報告を。兄上が言えば反対もされないでしょう」
「そうだな。ティアもそれでいいか?」
「はい!……そう言えば、リアン様」
ティアが軽〜く婚約を承諾したあと、何かを思いだしたように話しだした。
「この前、ルークが昏倒の魔法で倒れたんです。凄く驚きました」
「……なに?」
まさかの告げ口だった。兄が横目で僕を見る。申し訳ありません、鍛錬不足で。
「それで、精神魔法から身を守る魔道具を作ればいいと思いました。できませんか?」
「おそらく作れるが……」
想像しただけで複雑そうだ。兄も少し面倒そうに眉を顰める。
「数少なく作って高く売れば、きっと遊びに行くためのお金になります」
ティアがいい笑顔で言う。兄はなるほどと頷いた。結構しっかりしてるね。
後日、ふたりは正式な婚約者となり、僕の耳にはピアスの形をした魔道具が着けられた。作るとき首輪とピアスの二択を迫られた。考えるまでもないよね……。
兄は満足そうに微笑む。
「これで次期侯爵としての憂いが少なくなったな」
やっぱり兄のなかで侯爵家は僕が継ぐことになってるんだね……。もうこうなったらふたりまとめて面倒みるよ。魔法使いとしてはちゃんと働いてもらうからね。
◇ ◇ ◇
ある日ティアが部屋に入ると、リアンは黒いローブを着ているところだった。
「出掛けますか?」
「ああ。魔核があった場所に行ってみようと思う。……一緒に行くか?」
「はいっ」
かつて魔核があった場所には何もなかった。世界中の悪露を吸い込み真っ黒に肥大していた魔核は、周囲の命を破壊していて今だに草も生えない。
ふたりは白茶けた地面を踏みしめ、中央の窪みに近づく。
「あまり離れるな」
「はい、リアン様」
白いローブ姿のティアが、何もないはずの地面から何かを見つけた。屈んでそれを拾い上げる。朽ちていてわかりにくいが、赤の細いベルトのようだ。
ティアはそれを目の高さでぶら下げて見つめていたが、徐々に呼吸を荒くする。
「…………っは、あっ」
「ティア!」
リアンが震える手から赤いベルトを取り上げ、顔を覗き込む。紫の瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「あ……、あるじさま、あるじさま、やくたたずでごめんなさい」
「……ティア?」
リアンが手のひらで頬に触れると、ティアは涙を流しながらへらりと笑う。その目はまるで硝子玉のように見える。
「あるじさま、おやくにたててしあわせです」
「でもあるじさま、さきにきえてしまってごめんなさい」
「ひとりぼっちにしてごめんなさい」
「ぜったいつぎもあいにいきますからまっていてくださいね、あるじさま……」
ティアは顔をぐしゃりと歪めた。涙は溢れ続けてはいるが瞳に光が戻っている。視線がリアンとあった。
「リアン様……。私は、アーロン様の兎です」
リアンは困ったように笑った。
「ああ、そうだな」
「……気づいてたんですか?」
「初めて会ったときからな。お前は覚えていないようだったから黙っていた」
「魂になったあとなかなか見つけられなくて、やっと見つけてから生まれたので6歳も離れてるし……。それに間抜けだから覚えてもいられなかった」
「……大丈夫だ。十分だ」
そう言ってティアの髪を優しく撫でる。
リアン様は私をよく撫でてくれる。やっぱり私が兎だからかな……。
「私がアーロンではないように、ティアも兎ではないだろう?」
ティアの心が聞こえたかのようにリアンが微笑み、ふんわりと抱きしめた。ティアはリアンの香りに包まれるだけで幸せになり頬を寄せる。
「はい。……けど、兎の記憶を思い出したら、今までよりもっとリアン様が大切になりました」
腕の中から見上げて言うと、「そうか」と笑って額にキスを落とされた。ティアは恥ずかしそうに笑い、リアンにぎゅっと抱きついた。
読んでくださりありがとうございました。