2.楽しんでくれて何よりだよ
兄である大魔法使いリアンの弟子になったティアは、そのまま侯爵家に住むことになった。
ティアは周囲の魔力に影響を受けやすい体質らしく、物などに残った魔力の残滓まで感じ取ってしまうらしい。魔力の残滓は放った者の感情が残ってることが多く、幼い頃からそれにあてられ苦しんできたそうだ。
兄に出会ったのも、家から放り出され辿り着いた人混みで魔力残滓の多さに耐えられなくなって蹲っていたときだった。
あの後、兄が聞くとティアは自分の家名をあっさりとこたえた。魔法とは縁遠い家系だったため、記憶を読み取るようにも見えるティアは家族に気味悪がられ、次第に暴力を振るわれるようになったそうだ。
後で難癖をつけられると面倒なので、娘を保護してるがいるかと使いを出すと、そのまま働かすなり好きにしてくれと返事が来た。
それにしてもあれだけ魔力が高いティアを長いこと虐待……、そいつらよく無事だったね。ティアに「我慢してたんだね」と言ったら、
「だってあの人達どうでもいいし。別に何されても気にならない」
と硝子玉のような目でこたえてきた。心を凍らせてるようにも見えた。
そんなティアだけど、うちに来てからは徐々に表情が豊かになっていった。
ティアを苦しめてる周囲の魔力の影響は、自らの魔力操作で防げるようになる。そのため毎日兄と向かい合い、握った手から魔力を流して体を覆う魔力膜を作る訓練をしている。ティアはにっこにこだ。なんなら手を握るためにあえてコツを掴むのを避けてるようにすら感じる。
「早く覚えられたら褒めてもらえるかも」
僕が囁くとティアは即日で習得した。やっぱりだ。
人や物に触れることが楽になりますます表情は明るくなったけど、常時魔力を練った状態を続けることは難しく、初めはとても疲れる。
けどそうなったときのティアは凄かった。
「疲れてしまいました。リアン様」
そう言って、兄が何をしていようが構わずに膝の上の乗っていくのだ。兄の方も膝の上で小さな体を丸めるティアに魔力膜を施してやるだけで、平気な顔をして本を読んだりしている。僕は何を見せられてるんだ。
兄はある意味ティアに気を許してるとは思うけど、明らかに女性としては見ていない。拾ってきたペット感覚だ。ティア義姉計画のためには不味い。
「ティアは今まで食事の量が少なかったから、兄上に釣り合う姿になれるようにたくさん栄養のあるものを食べるといいよ」
「侯爵家長男の側にいるには相応しい教養とマナーは必要だよ」
「大魔法使いの唯一の弟子なんだから兄上が馬鹿にされないように強くならないと」
ティアは兄のためといえば、大概のことは熟していった。意外だったのは攻撃魔法がほとんど使えないことだった。体内で魔力を練ることには長けているため、身体強化は得意らしい。そう言えば初めて会ったときもほとんど無意識に視力強化してたよね……。
そこでティアは侯爵家の騎士達から体術と剣術を学ぶようになった。身体強化魔法と合わせることでみるみる強くなっていった。
今日のティアは両手にダガーを持ち、剣を持った僕と手合せのため向かいあっている。
少し離れたところで軽く飛び跳ねてたティアが、次の瞬間には目の前まで飛び込んでくる。僕は向かってくるダガーを剣で左に素早くいなし、そのまま雷魔法を流した。弾かれるように後ろに飛んだティアは猫のようにくるりと回転して攻撃体勢を保ったまま着地した。
やっぱり雷撃は効いてないな。結構いい技だと思ったのに……。
僕を見るティアがそれはもう嬉しそうに笑った。
やばい、と思ったときには一撃目が来ていた。反射的に剣で受ける。息つく隙もなく追撃が続く。僕は得意じゃない身体強化を使うことになり、数分後には魔力が空っからになって倒れ込んだ。
「初めの雷の技、凄かったね。ちょっとびっくりして楽しかったよ」
ティアが倒れている僕に近づきながら笑顔で言ってくる。手加減したとはいえ渾身の雷魔法はちょっとびっくりした程度か……。楽しんでくれて何よりだよ。
兄のためにと煽った手前、同じ年の僕はティアの勉強や訓練に付き合うことが多い。お陰で侯爵家ではニコイチ扱いになってきている。兄にいたっては僕達を「ルークティア」と続けて呼ぶことがある始末だ。不味い、ペットから妹になったかも。
隣で機嫌よくダガーの手入れをしているティアを横目で見る。14歳になったティアは拾われてきた頃とは違い、背も伸び細身ではあるけど年相応の健康的な姿になった。兄のためにと容姿も磨き続けたので、社交界に出たとしても目を引く美少女になっていると思う。
「ティア、偶には兄上に稽古をつけてもらってみたら?魔法使いと戦うことだってあるかもしれないよ」
「え?……リアン様に剣を向けるなんてできないよ」
頬を染めてこたえられた。ボロボロにされた身としては微妙なんだけど……。ぼんやり考えてたらティアが勢いよく立ち上がった。こういう時の理由はひとつだ。兄の魔力が近づいてきてるのだろう。
「リアン様がお戻りになるから着替えてくる」
そう言い残して文字通り屋敷に向かい飛んで行った。やっぱり主人に懐いてるペットだな……。
ティアは兄が屋敷にいるときは、寝る以外はほとんど側にいる。兄が仕事中なら静かに本を読み、お茶が入れば一緒に飲み、兄の気が向いたら会話する。
ティアがある程度成長してもふたりが変わらず一緒にいるから、家人は少しヤキモキした時期があった。僕は勇気を出して、ふたりが兄の自室に引きこもってる時に突撃してみたことがある。
「兄上、一緒にお茶にしませんか?」
軽い口調を作っていきなり扉を開けたら、兄はデスクに、ティアはソファに座り、適切な距離を保ってそれぞれ分厚い書物を読んでいた。……まぁ、20歳の兄がティアに何かするとは思ってはなかったけど。……つまらない。
僕の気持ちに反してティアが明るく「一緒に勉強しよう」と言うから、お茶だけ置いてとっとと退散した。いつの間にかティアは古語で書かれた魔導書も読めるようになってるらしい。
この時から僕達は違う意味でヤキモキすることになった。
◇ ◇ ◇
「リアン様、せっかくだから少し休んでお茶にしませんか?」
ティアが茶器を運びながら言うと、リアンはデスクから立ち上がり、ソファに腰を下ろした。ティアは読みかけの書物を片づけてからローテーブルにティーカップを並べて置き、リアンの隣にぴったりと背中をあずけて座った。リアンは気にすることもなくカップを手に取る。
「疲れたのか?」
「はい。……今日は久しぶりにアーロン様の残滓に出会いました」
魔力操作ができるようになっても、魔力や思いが強いものは不意に感じ取ってしまうことがある。屋敷に来たばかりの頃はあちこちにアーロンの残滓が残っていて大変だった。負の感情が少ないことが救いではあったが、勝手に人の過去をのぞき見るようでもあって気が滅入った。
「書庫の本でした。世界を救う英雄の物語です」
「ああ……、そう言えば出かける前に読んだな。その気になるためには必要だろう?」
リアンは赤い目を細めてくすりと笑う。
「そうですね……。けど物語の英雄は世界を救ったあと帰ってきて、ちゃんと幸せになりました」
「そうだな」
物語の英雄は、世界のために消えて無くなれとは言われない。いくら魔力が人並み外れていたとしても、ひとりの若者に背負わせるなんて、酷い。
ティアが体を固くして唇を噛むと、リアンは左手で軽く頭を撫でた。
「……記憶があったとしてもリアン様はアーロン様とは別人ですよね?」
「そうだな」
確かに記憶が戻った時はアーロンの人格にかなり引っ張られたが、成長に連れリアンが主体となり、アーロンの記憶を思い出して叫びたくなる衝動は感じなくなった。そうは言っても、性格は似たようなものであるしあえて周囲に主張することはしないが。
ティアはアーロンの残滓に触れたことがあるから、別人と感じるのかもしれないな。
リアンが考えごとをしていると、気がつけばティアの紫の瞳がじっと見上げていた。目があえばにこりと微笑む。
「私、今日も幸せです。リアン様」
「……そうか」
「はい」
読んでくださりありがとうございました。