話し合い2
3話くらいで終わらせるはずだったのにもりもり増えていく
その瞬間、ウィルネリアの目元が柔らかに細まった。
――以前にも見た、寒気すら覚えるほどの完璧な微笑み。
頭の天辺からつま先まで、全てにおいて完璧。彫刻と見紛うばかりの美しい存在がそこには居た。
(彫刻…そう、これは彫刻だ)
完璧に美しいだけの存在は、彫刻のような硬質さと冷たさでクリフォードの言葉を言外に拒絶した。
ウィルネリア個人の言葉を欲しいと言ったクリフォードに対し、作り物の言葉を返すつもりなのだろう。
「殿下…私は―」
「違う」
(ふざけるなよ……!)
「俺が聞きたいのはそういうことじゃない」
クリフォードは怒りのあまり視界が狭まっていくような感覚に陥っていた。
彼が本気で怒っているのを察知したのか、ウィルネリアの雰囲気もさらに硬く冷たくなっていく。
このままではウィルネリアの気持ちを聞くどころか、下手をすれば関係悪化である。
クリフォードは狭まった視界の中で、それでも怒りをぶつけても事態が好転しない事は頭の隅で理解していた。
(どうすればいい、どうすれば……!?)
「……君が、例の観劇に出かけた時……。
リボンを一本だけ異素材にしたアレンジをしてきてくれて、とても嬉しかった。
可愛かった。そのまま抱きしめて“私の婚約者はこんなに愛らしいんだ!”と叫びたかった」
クリフォードが選んだ手段は、怒り以外の感情をウィルネリアにぶつける事だった。
要はヤケを起こした開き直りである。
思いの丈を全て吐き出して、その上でどうにでもなれという気分だった。
「え……殿下……?」
先ほどまで目に見えて怒りを膨らませていたクリフォードが急に自分について話し始めた内容が意外過ぎたのか、ウィルネリアの表情が珍しく崩れた。
戸惑いつつも、内容のせいか頬がうっすら赤い。
「毎月のお茶会で、ウィルネリア嬢と話すのは本当に楽しい。こう言っては何なのだが、あのレベルで議論に付き合ってくれるのは先生か陛下か宰相か…同年代だとエヴァンをはじめ数人くらいのもので正直退屈してたんだ」
「ここ最近、君の心配りに気付けることが増えてきて、本当に温かい気持ちになったんだ。俺の話した内容とかちょっとした反応とかすごくしっかり覚えてくれていて、しっかり見てくれている。本当に嬉しい」
「いつもくれる手紙の便せん、令嬢としては当然なのかもしれないが便せんの柄と焚き染める香を季節に合わせていて本当に素晴らしい。いつも心が温かくなる」
「装いも先日俺があの令嬢の髪型を褒めてから、君の髪型のアレンジも増えたのとか最高に可愛い。君がどんどん可愛くなって他の男性からどんな目で見られてるか…」
「で、殿下っ!もうその辺で…!」
クリフォードが目を据わらせながら滔々とウィルネリアについて語り続けた結果、たまらなくなったウィルネリアはとうとう声を上げた。
ちなみにその前から令嬢らしく、淑やかに「殿下」と声をかけたり扇をパシリを閉じ鳴らして中断を促してはいた。
しかしクリフォードが止まらないので少しばかり声を張る必要が出たのである。
ウィルネリアは完全に戸惑っていた。頬は朱が差し、やや涙目になっている。
何を言うべきか考えが及んでいないのか、ハクハクとなにか喋ろうとしては声にならない息を漏らしている。
「なんだ、ウィルネリア。照れている顔も可愛いな」
開き直って変な方向に振り切れたクリフォードが脳直で言葉を紡ぐ。
一拍おいて、クリフォードの言葉を理解したウィルネリアがザァっと音がしたのではないかというほど青褪める。
「も、申し訳ございません…!立場を弁えず失礼を……!」
言いながらウィルネリアは椅子から立ち、そのすぐ脇に跪いた。
クリフォードはその様子に違和感を感じ、椅子に座り直すよう促しながら問いかける。
「ウィルネリア嬢……今この瞬間、君へする質問は“王太子”としてする質問だ。虚偽の類は一切許さない」
ウィルネリアが了承の意を返したことを確認したのち、クリフォードは一呼吸入れて問う。
「君は私に対する感情表現について、生家等から何か言われたのか?」
「……生家から、と申しますか……」
ウィルネリアは落ち着いてきたのか表情はいつも通りの完璧さを取り戻している、が問答は想定外のものだったらしく言い淀む。
「殿下と婚約させていただきました8年前よりももっと以前、殿下の婚約者の最有力候補が私の姉だったことはご存知でしょうか?」
「ああ、もちろんだ」
ウィルネリアの姉、ティシアニアはクリフォード達より3歳年上の令嬢だ。クリフォードの話し相手件遊び相手としてエヴァン、ウィルネリアと4人でよく一緒に居た。
婚約者候補筆頭だったのだが、幼少期の病が原因でその座はウィルネリアのものとなった。
ウィルネリアの実姉ということで今回の件は気恥ずかしくて相談できなかったが、現在もクリフォードのよき文通相手として交流もある。
彼にとっても気心知れた間柄の女性だ。
「姉が完全に回復するまで私を代理の婚約者として据え続け、最終的には姉が国母となるのですよね?」
「は?ティアを???」
幼馴染を愛称で思わず呼ぶと、ウィルネリアの表情が小さく曇る。
「はい。両親は、健康になりさえすれば殿下と心通わせている姉を推す、と。
姉も病に伏しながらではございますが勉学に励んでおりますし、殿下のお役に立ちたいのだろうと思います」
姉本人は照れ隠しなのか否定しますが、とウィルネリアは苦笑しながら続ける。
「ですから、私はせめて家全体の評価につながることや、婚約者としてこれくらいはしても大丈夫では、と思う以上のことは控えるよう家からも言われておりますし、自身でも心がけをして参りました。
この度はこのような失態を演じ、誠に申し訳ございません」
「いやいや待ってくれ」
ティアとは仲はいいが心は通わせてないとか、8年も婚約実績があるウィルネリアから今から変えるのはいくらなんでも無理があるとか、ティシアニアは照れ隠しじゃなくて本気で否定してる筈だとか言いたいことは沢山あったが、クリフォードはまず一番大切な事を聞くことにした。
「他言しない、不敬罪も絶対に適用しないと誓う。だから頼む……虚偽だけは無しで、ウィルネリア嬢の控えていた部分とやらを…私のことをどう思っているかを聞かせてはもらえないだろうか」
クリフォードが必死に希う様子に、ウィルネリアも今度こそ弛む。
迷子の子どもの様な顔は“本当に言っていいの?”という文字が見えてきそうなくらい分かりやすい。
小さい唇が、不安げに言葉を紡ぎ始める。
「クリフォード殿下、は、努力家で、優しくて、理知的で、色んな方の話を理性的に聞いて整理できて、頭の回転も早いから議論の授業でのお姿が本当に素敵で、よ、容姿もとてもカッコよくて……お姉様くらい素晴らしい方ならまだしも、わたくし如きではお隣に失礼するのも恐れ多くて……」
ぽつり、ぽつり
「…ワグネス伯爵家令嬢の髪結いはいつもとても素敵で、私も憧れています。コーレネル子爵令嬢のダンスは優雅で、私もいつも見入ってしまいます。ダーミン侯爵令嬢の詩のうち特に素晴らしいものは、こっそり写して家で読み返すくらい大好きです」
ぽつり、と自信なさげに不安げに、瞳を揺らしながら話し続ける。
これはいったい誰だろうか?と思わず聞きたくなるくらい、いつもと口調も態度もまるで違うウィルネリアは、ひどく儚げな“少女”だった。
「どちらの令嬢も大変すばらしい方で……お姉さまなら皆様より素晴らしい髪型も、ダンスも、詩も作れることでしょう。
でも私はどんなに頑張っても皆さんの足元にも及ばないでしょうから」
ウィルネリアの瞳が潤む。
本音を話し慣れてないせいで、話すだけでうまく表現できない感情と一緒に涙まで出てくるのだろう。
「殿下が、皆様が素敵だと思う気持ちを否定できません。なので……」
2人の蒼と碧の瞳が、お互いを真っ直ぐ見つめ合う
「せめて、秘めていただければ、と思いました」
ウィルネリアはとても痛そうに微笑む。今までの笑みとは違う、透明感のある瑞々しい笑みだった。
一瞬の沈黙の後、クリフォードが口を開く。
「……ウィルネリア、君の気持ちはよくわかった。慣れない話をして疲れているのも分かっている。だが、敢えて追求させてもらいたい。…が、さすがにこれは俺からにしようか」
おもむろに立ち上がり、今度は自分がウィルネリアのすぐ側に跪く。
「ウィルネリア・エーランド侯爵令嬢。
私はあなたを愛しています。どうか、愛の言葉に返事をいただけますでしょうか?」
クリフォードは確信を持って、ウィルネリアの瞳を再度真っ直ぐ見つめたまま言い切った。