2-16 男と女の友達
7月29日月曜日。
「リユくん、起きてー! 撮影に行く!」
有里子さんにドアを叩かれた。
スマホを見ると、まだ5時半。
俺が寝ぼけてると、「入るわよー」って、部屋に入ってきて、「ねえ、リユくん、霧がいい感じなの。起きてってば!」と言いながら、俺を揺する。
今朝は8時頃起きて、外に朝飯を食いに行って、蒼山さんのカフェに寄って、のんびり帰るはずだった。
「はいー?」
「見て、ほら」
眠い目をこすって窓を見ると、確かに外は白く霞んでいる。
「機材は車に入れとくから、速攻で準備して」
「わ、わかりました」
10分くらいで用意すると、有里子さんはすでに玄関で待ち構えている。
追い立てられるようにして車に乗り込む。
「ごめんね。でも、この霧だと、あの最初の石の教会、素敵だと思わない?」
「まあ。でも大丈夫なんですか、こんな朝早くから……」
「蒼山さんのツテで、取材期間中は腕章をつけていれば朝5時から夜9時までは入っていい許可をもらってるから。ほんと、蒼山さまさまね」
濃い霧の中、慎重な運転で石の教会に向かう。ちょっと霧が濃すぎるし、その影響でまだ暗いので、しばらく車の中で待つ。
風向き変わったのか、ふっ、と霧が動く。
「行くよ!」
霧が流れて、濃くなったり、薄くなったり。太陽が高くなってきて、少し明るくなってくる。それに伴って、教会や木々の見え方が変化する。幻想的といえば幻想的だ。たぶん現代的なデザインの建物だとそれほど面白みはないだろう。この教会は、自然に溶け込みながらも人工的でもあるデザインだから、霧がその自然と人工の境界をあいまいにして、不思議な雰囲気を醸し出している。
6時半頃から8時近くまで撮影して、終了。
ホテルの人に挨拶してから、近くの小洒落たカフェに車で移動。モーニングのメニューがすべて2000円前後と高校生の俺にはぶっとぶ値段だけど、有里子さんは、せっかくだから一番高いのにしたら、と言ってくれる。
モーニングの全部載せみたいなワンプレートが運ばれてきた。どれもちゃんとした素材で、やっぱ、うまい。でもコーヒーは蒼山さんが淹れたやつの方がうまいな。
入れ替わりで有里子さんのご両親が来るということで、シーツとかなんかを洗濯カゴに入れて、一応ガスの元栓とかを閉めて、戸締りをして、10時頃、別荘を後にする。
別荘地を抜けて、国道18号に出るところで、有里子さんはコンビニに寄る。すぐ戻るということで、俺は車の中で待機。キャンディーとかガムとかペットボトルのお茶とか入ったレジ袋を、「帰りの渋滞用」と、渡された。
混雑し始めたらしい軽井沢の街中を避けて、とりあえず国道18号を「上信越道・碓氷バイパス」方面に向かう。早くも東京まで160キロとの道路案内が出る。よくある郊外の道路と近い感じだけど、なんかちょっと高級感がある。
途中で軽井沢千住博美術館というのがあり、「今回は来なかったけど、ここもわりと有名な建築よ」と、有里子さんが教えてくれる。
「碓氷バイパス」、「上信越道」、そして「軽井沢駅」の、3方向の案内のある大きな交差点で、「軽井沢駅」方向に左折する。
迂回するような道を通って「軽井沢駅」の横を通り過ぎると、急に山道っぽくなる。
ちょっと行くと「軽井沢駅」と「碓氷峠」のT字路を示す青い道路案内の看板が道路脇にある。でも看板のサイズがやたらと小さい。それに看板を立てるポールも錆び付いてる……。
右折するとすぐに群馬県・安中市に突入。
いよいよ碓氷峠だ。
木立と岩肌とガードレールに囲まれた細く曲がりくねった道を下っていく。CX―5の重い車体ではちょっとつらそう。バイクなら最高だろう。
早くこういう道を走ってみてえ!
100以上あったカーブ番号がだいぶ減ったところで、コーヒーハウス・アレックスに到着!
アレックスは高床式?のキャビン風の建物で、入り口から見ると奥に向かって縦長の形状だ。
扉を開けると、蒼山さんがカウンターから顔を上げた。お客さんはいないと思いきや、テラス席にひと組だけだけど、ちゃんといる。
「いらっしゃい。ほんとに来てくれたんだ」
「そりゃ来ますよ。どうせ帰り道だし」と、有里子さんが答える。
俺は蒼山さんの笑顔に笑顔で応える。応えるというよりも、自然に笑顔が浮かんでしまう。
「どうせはないでしょ……早紀を呼ぶね」
「ああ、いいわよ。忙しいかもしれないし」
「リユくんにも会わせたいし」
「うん。じゃあ」
蒼山さんがスマホで連絡する。
有里子さんと並んでカウンターに座る。
「何にする?」
「コーヒーとピザトースト」
「じゃ、俺も」
「チーズケーキは?」と、蒼山さん。
「じゃあ、ケーキもふたつ」と、有里子さん。
「ありがとうございます!」
「わざとらしい」
蒼山さんと有里子さんは男女の壁を超えた、ほんといい友達、って感じだ。
俺と美那もこんな感じなのかな?
たとえば万が一、俺と香田さんが付き合ったとして、それでも美那は親友、とか。
いや、でも、あいつ、俺にキスしてきたよな。でも美那が俺を男として好きとは思えんよな……。この間のミニスカートとかキャミソールとか、いつも隙だらけな感じだしな。
「蒼山さん、これ。いろいろとありがとうございました。おかげさまでいい写真がたくさん撮れました」
有里子さんが立ち上がって、茶封筒を蒼山さんに渡す。
「いや、こちらこそ、いつもすみません。いい写真が撮れたなら、それは良かった」
「ほんと天気に左右される流動的なスケジュールで、蒼山さんがいなかったら、あんなに回れなかったもの」
「うん。僕で役に立てることなら、なんなりとお申し付けください」
有里子さんは蒼山さんにちゃんとしたお辞儀をして、にこっと笑ってから座った。なんか、親しき中にも礼儀あり、って感じだな。
「リユくん、これ」
有里子さんはもうひとつバッグから茶封筒を取り出し、俺に渡す。
中には3万円が入っている。
「これは?」
「追加にお願いした分」
「え、でも別荘での手伝いは3回くらいでしたけど……」
「それ以外にもいろいろしてくれたじゃない。早朝の仕事、それに深夜残業も。でも山荘探しはお金に換えられることじゃないけどね。契約書にも、賞与あり、って書いてあったでしょ」
そういえば書いてあったような気はする。
「リユくん、すごかったらしいじゃないか。なんかまったく別の別荘地を探し当てたんだってな」
「いや、まあ。あ、でも、蒼山さん、東側の斜面って、ある程度わかってたんじゃないんですか?」
「はは、バレた? ま、可能性としてはあるんじゃないかなぁー、という程度だけどね。僕は資料も見てないし、基本的にはユリちゃんの言いつけに従うだけだから」
「言いつけ、って……やっぱり可能性としてはあると思ってたんだ? ぜんぜんわかんなかった。ちょっと騙された気分」
「でも自分自身の力で見つけ出して、感慨もひとしおだったでしょ?」
「それはね……それに、だから元山先生も応じてくれた気がする。むしろお礼を言うべきなのかもしれない」
「でしょ?」
そこへ「有里子さん、ひさしぶりー」と、女性の声。
「わー、早紀さん!」と、有里子さんが立ち上がる。
両手をつないで笑い合う姿はほとんど高校生の女子と変わらん……。
「早紀、こっちがリユくん」
と、蒼山さんが紹介してくれる。
「初めまして。蒼山の妻をやっております、早紀です。リユくんの話は夫からたくさん聞いてます」
「こちらこそ初めまして。蒼山さんにはいろいろお世話になりました」
なんか可愛らしい感じの人だな。それにアーティストっぽい。年齢は有里子さんと同じくらいの感じだから、たぶん蒼山さんより一回りくらい若そうだな。
「あ、そうだ、リユくん」と、蒼山さん。
「なんですか?」
「早紀は自然の素材を使ってアクセサリーとか小物を作ってるんだ。バイト代入ったなら、おみやげにいくつか買って行ってくれよ。たぶん女の子なら喜ぶから」
「ちょっと、聖人さん、高校生に押し売りみたいなことをやめてよー」
「大丈夫。リユくんは俺の冗談はもうわかってるから。な?」
「まあ、わかってはいますけど……」
女の子が喜ぶ、か。美那が喜びそうなものはあるかな。
「早紀さんが付けてるイヤリングも自作でしょ?」
「あ、これ? そう」
「じゃあ、よかったら、あとで見せてください」
「ほんと、無理しなくていいからね、リユくん。もしほんとに気に入ったものがあったら、お願いね」
「はい」
じゃあ、と早紀さんは言って、有里子さんに小さく手を振ると、奥に戻って行った。
「はい、ピザトーストとコーヒー。ケーキはあとで出すね」
何気なくコーヒーを口にする。
え、まじ? うま。
「なんですか、このコーヒー!」
「あれ、口に合わなかった?」
「違いますよ。すげーウマいんですけど」
「そりゃ、水が違うからね。この辺の湧き水を使ってるから」
4人組のお客さんが入ってきて、しかも食事ものの注文で蒼山さんは忙しくなってしまった。
ケーキを食べ終えてから、蒼山さんに一声かけて、早紀さんの工房兼ショップを見に行く。
なんか中はメルヘンの世界だ。
自然の素材を使った動物の置物は、男の俺が見ても、ちょっと可愛い。たぶん早紀さんの人柄が出ているんだ。
値段はというと、まあ結構高いけど、でも作りの良さを考えると妥当な値段なんだろう。アクセサリーはフェアトレードのお店で扱っているようなナチュラルなデザイン。
「これなんか美那ちゃんに合いそう」
「どれですか?」
「このネックレス」
「まあ、たしかに」
でもやっぱ彼女でもないから、アクセサリーは重いよな。
俺が惹かれたのは、ハムスターのペアと空飛ぶモモンガ。ハムスターは単純に可愛いし、美那も喜びそうだ。モモンガは白くて、俺たちのナイキみたいだし、滞空時間の長いカイリーみたいだし。自分用ならモモンガなんだけどな。
さて、どっちにするか……。
「こっちにすれば」
俺が両方をじっくり見て迷っていると、有里子さんがハムスターを勧める。
「なんでですか?」
「なんか小さくても必死に大きくなろうとしてる感じが、リユくんと美那ちゃんのイメージとぴったりする」
「そうすっかね?」
たしかになんかサスケコートで頑張って強くなろうとしている俺たちと似ているかもしれない。
というわけで、有里子さんからいただいたボーナスでハムスターちゃんたちを買ってしまった。有里子さんが頼んだら、早紀さんが奥の工房で可愛らしくラッピングをしてきてくれた。
「ハムスターちゃんたちを選んでくれてありがとう。リユくんもバイクに乗るんでしょう? よかったらツーリングがてら、また遊びに来てね」
「はい。まだ遠出はしたことないから、ちょっと先になると思いますけど、寄らせてもらいます」
それからさらにお客さんが増えて忙しい蒼山さんに、「また来ます!」と、挨拶して、車に乗り込んだ。
国道18号を高崎方面に進み、「鉄道文化むら」の向かいのガソリンスタンドで満タンに。その先を県道51号に入って、松井田妙義ICから上信越道に乗ったのは12時半ごろ。
ナビによると、2時間半くらいで着きそうだ。
美那にメッセージを入れる。
<――たぶん3時ごろに、家に帰れそう。
――>了解。行けたら、サスケコート行く?
<――お、いいね。今日はほとんど車に乗ってるだけだし、体力は余ってる。
――>おっけー。
「だれ? 美那ちゃん?」
「え? ああ、そうです。帰ったら、ちょっとバスケの練習をしようって」
「元気だなぁー。それはそうと、リユくん、加奈江さんに全然連絡入れてないでしょ」
「うわ、やべ。有里子さんが連絡してくれてるからって安心してた」
「今からでも入れときなさい」
「うっす」
で、かーちゃんにもメッセージ。
<――たぶん、3時ごろ、家に着く。有里子さんが家まで車で送ってくれる。
――>わかった。お茶くらい出させてもらうから、上がってもらって。
<――わかった。
「かーちゃんがお茶を出すから、上がっていてくれって」
「ああ、うん。ありがと。大事な息子さんをお預かりしていたんだから、挨拶くらいさせてもらうわ。リユくんの活躍も報告しないといけないしね」
藤岡JCTで関越道に切り替わる。夏休みとはいえ、平日の、しかも東京方面なので、車の流れはスムーズだ。
「バイトはどうだった?」
「まあひとことで言って、楽しかったです。なんかいろんな経験をさせてもらったし、ちょっと旅行気分も味わえたし。ほら、かーちゃんが忙しい時は季節と関係ないでしょ? だから夏休みに旅行とかほとんどなかったし。まあ、父親がいた時はよく行ってたけど……。でも、一番印象に残ったのは、どっちか難しいけど、松本でのバスケと山荘での元山先生との話かな。あ、それと蒼山さんとのやりとりも」
「蒼山さんはおまけか。ふふ。気が合ったみたいで良かった」
「有里子さんと蒼山さんもなんかいい関係ですよね。俺と美那もあんな風になるのかなぁーとか想像しちゃいました」
「それはどうかなぁ」
「やっぱ、どっちかに彼氏とか彼女とかできちゃうと難しいんですかね」
「そうねぇ……どうなんだろ」
「ケースバイケースってことですか?」
「そういうことになるのかな。お互いの恋人にもよるだろうし、元々のふたりの関係にもよるだろうし、ね」
「そっかぁ」
「リユくんさ、元山先生のところで、取材した建築のこととか、けっこう語ってたじゃない? 建築に興味持ったの?」
「それが、わりとそうなんですよ。でも俺、文系コース選んじゃったから、今から理系コースには変えられないんじゃないか、って美那も言ってました。だとすると外部受験だし、そもそも俺、理系科目の成績が良くないんですよ。嫌いじゃないんですけどね」
「そうだよね。リユくんって論理的に物事を考えられる方だよね。そうじゃないわたしが言うのもなんだけど……。それに感性も豊かだし、建築ってけっこう向いているんじゃないの?」
「どうなんですかね。でも少なくとも建築を見るのが好きになったのはたしかです」
「元山先生の様子だと、リユくんにセンスを感じたっぽい気がしたけど」
「そうなんですかぁ? まあ有里子さんがおだててくれてるんだとしても、どうせまだなんの目標もないし、せめて理系科目を勉強し直そうかなって思ってます。これからは文系でも数学とかできた方がいいんでしょ?」
「そう言われてるわよね。ITとかプログラミングとか、株とか経済とか、いずれにしても数学とか統計とかができると有利みたいもんね。今のうちにやれるだけやっといた方がいいわよ。学校を出ちゃうと、仕事以外の勉強するのって相当根性が必要だもん。仕事で直接必要なことは勉強せざるを得ないけど」
バイクの名義変更に行った時にはまだ他人行儀だった有里子さんとの会話も、なんか今じゃ自然な感じ。香田さんともこんな感じになれるのかな。
香田さん! 香田さんに、おみやげ買ってないじゃん!
でも夏休みにお誘いが来るとは限らないし、学校が始まってから渡すのもなんか変だしなぁ。でもいざというときに備えて、ジャムをひとつだけキープしとこ。無理して多めに買っておいてよかったぜ。




