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2-15 涙の意味

 今晩の宿は明日取材予定の飯田市。

 この間の逆ルートで、山梨県北杜市まで南下して、長坂ICから中央自動車道に乗る。時間的にはルートの中間点に当たる諏訪湖SAサービスエリアの珈琲店で一休み。

 山中山荘から飯田市への道のりでは、久しぶりのバイク談義に花が咲く。有里子さんが新車Z400について語れば、俺はライディングスクールの内容を有里子さんに説明したり、Z250について質問したり、話は尽きない。有里子さんも大型へのステップアップを目指して、ライディングスクールに行く気満々になっている。

 松川ICで高速を降りて、そのあとはずっと県道15号。途中ガソリンスタンドに寄って、JRの桜町駅近くのホテルに着いたのは6時ちょっと前だ。

 今日はトータルで250キロほど走った。かなりの部分が高速道路だったから運転の疲労は少ないらしいけど、山中山荘にまつわる激しい感情の揺れはそれなりに肉体的な疲労ももたらしたようだ。

 チェックインの時に近くのケーキ屋さんを聞いて、もうすぐ閉まってしまうというので、チェックインだけ済ませて、有里子さんが1人で買いに行く。俺は荷物番。それから機材を有里子さんの部屋に運び込むついでに、凝った肩を揉みほぐしてあげた。

 夕食は、ホテルから歩いてすぐの創作レストランで、ちょっと贅沢な食事。お腹が満たされるというより体が満たされるような優しい料理だった。

 有里子さんとふたりきりで過ごすことにもだいぶ慣れてきて、有里子さんの部屋で、ケーキとコンビニで買った紅茶で、ちょっとしたお祝いを開く。

「リユくん、あらためてお礼を言うわ。ありがとうございました」

「いや、まあ、たまたまですよ」

「違う。たぶん才能よ。すごい観察力と推察力があるんだわ。4回トライしてダメだったのに、あっという間に見つけ出しちゃったもん」

「探偵小説とかが好きだからかなぁ」

「そもそもそういう才能があるから、そういう小説が好きなんじゃないの」

「そうなんですかね?」

「ほんとリユくんってトボけたところがあるわよね。そこもまあ魅力ではあるけど」

「え、有里子さん、俺に魅力なんて感じるんですか?」

「うん。でもほらわたしはあれだから、異性としてというのではないけど。たぶん美那ちゃんなんて、リユくんに異性としての魅力を感じてると思うな。それに最初に会ったひと月前くらいにくらべて、なんかすごいたくましくなったし、頼り甲斐がある感じになったもん」

「いや、美那はそんな感じじゃないでしょ。バスケをやり始めてからは親友っぽい感じでツルんでますけど」

「じゃあ、リユくんはほかに好きな人とかいるんだっけ?」

「うーん、まあ、ちょっと憧れているというか、そういう女子はいますけど」

「へぇー。どんな子?」

「いや、いいでしょ、そういうの」

 そういや、香田さんからは連絡ないな。でもこっちから連絡するって雰囲気でもないだろうしな。

「まあ、言いたくないならいいけど……あ、わたしの話をしていい?」

「ああ、ええ、どうぞ」

「軽井沢の別荘で話したけど、わたしはレズビアンであることをずっと隠してきたのよ。まだまだ変な目で見られることが多いでしょ」

「まあ、そうですよね」

「母親にだけはそれとなく伝えたことがあるんだけど、すごい拒否反応だったし、絶対父親には言うな、って釘を刺されちゃった。確かに父が知ったら怒り狂いそうだもんね。自分じゃどうしようもできないことなのに」

「女性とお付き合いしたことはあるんですよね?」

「うん。一度だけね。でもなんか体の関係ばっかり求めてくる人で、疲れちゃって、別れた。あ、ごめん、まだ高校生だったわね」

「あ、いや……」

「リユくんって、まだ、その、女性は知らないの?」

「ああ、ええ、まだです……」

「まだ16だもんね。普通だよね」

「どうなんですかね。友達もほとんどいないし、周りはよくわかんないです」

 そういや、美那はもう経験しちゃったか。でも女子だしな。ヤナギとかはまだ全然そうだよな。

「キスくらいはしたことあるの?」

「いや、まあ一度だけ」

 あれはやっぱりちゃんとしたキスだよな……。

「そうなんだ」

「意外ですか?」

「どっちかなぁー、って感じだった」

「あ、でも五分五分だったんだ」

 有里子さん、俺についてそんなことまで考えていたとは……。

「うん。わたしがリユくんの同級生で普通の女の子だったら、告白してたかも」

「マジですか⁈」

「だって、探しても探しても見つからなかったものを、簡単に見つけ出してくれちゃったんだよ。そりゃ、惚れるわよ」

「そんなもんすかね」

「恋なんて、そういうものじゃない? まあ人によって違うかもしれないけど」

「ふぅーん。じゃあ俺にも彼女ができる可能性はあるわけだ」

「うん。十分にあると思うわよ」

「ありがとうございます。少しだけ希望の光が見えました」

「そんな大げさなことじゃないと思うけど」

「そういえば、俺をこのバイトに誘ったのは、()()()()と関係してるんですか? だって、未成年で、しかも高校生をこういう仕事で使うって、けっこう面倒なんでしょ?」

「うん。そのことも話したかったことのひとつなの。これって一歩間違えば、警察沙汰にもなりうるわよね。一応、加奈江さんともちゃんと話をしたし、契約書とか承諾書があるから大丈夫だとは思うけどね。バイクを見にきた時に、美那ちゃんとの関係を見て、あ、なんか、この子なら男の子でも大丈夫そう、って思ったの」

「え? どういう意味ですか?」

「変なふうに受け取らないで欲しいんだけど、リユくんって、ちょっと中性的なのよ」

「中性的? 男と女の間っぽいってことですか?」

「なんて言ったらいいのかなぁ。リユくんは女の人の裸を見たら、普通に興奮するでしょ?」

「そりゃ、まあ……いや、だから、昨日の夜もホテルの部屋で有里子さんに抱きつかれて、ちょーヤバかったんすよっ!」

「あ、うん、反応したのがわかった……」

「マジかぁー」

「ごめん、ごめん。あのときはほんと嬉しくてさ。もう抱きしめずにはいられなかったの」

「まあ、いいですけど。我慢できたし。ちゃんと山荘も見つかったし」

「つまり、リユくんは、男のことも、女のことも、ちゃんと理解できる、というか、感じられるような気がしたの。そしてわたしのようなタイプの人間も」

「どうなんすかね。むしろどっちも理解できていない気がしますけど」

「うーん、そうじゃないのよ。理解というより、受け入れられるという方が近いのかな。ニュートラルな感覚の持ち主?」

「へぇー。まあそうですかね? としかいいようがないですけど」

「いいのよ、それで。実は、前にお願いした若い男の子が――って言っても22歳だったかな?――、なんというかわたしを女として見てきて、襲われた……」

「うわー。大丈夫だったんですか?」

「まあ、こう見えても、体は鍛えているから、なんとかね。ただ、もうそれ以来、怖くて。でも体力がいる仕事だし、頼める女の子もそうそう見つからないし、それに……」

「人間って、いろいろ抱えてるもんですね」

 俺は有里子さんの言葉を遮るようにして言った。

「そうね……」

「美那だってあんな風に明るく見えるけど、今、親の離婚問題でかなり悩んでるんですよ。あ、もし美那に会うことがあっても俺がそんなことを言ったって言わないでくださいね。あいつ、人に知られるのを嫌がってるから。だから俺は少しでも美那のことを守ってやらなきゃって思うんだけど、ほとんど力にはなれなくて」

「そう思ってくれる人が近くにいてくれるだけで、人間って心強いものよ」

「まあそうならいいんですけど……」

「ま、わたしの話はそんなところ。リユくんにお願いした理由も説明できたし、リユくんのことももっと知ることができたし、話せてよかった」

「俺も少しだけ自信をもらえました」

「そうだ、帰りに蒼山さんのお店に寄って行こうか?」

「お、いいすね。俺もどんな店か、見てみたい。蒼山さんといえば、あの人、たぶん山中山荘の場所は知らなくても、東斜面の可能性は知ってたんじゃないのかな? 蒼山さんって、なんか自分で見つけるべきことは教えないってスタイルじゃないですか?」

「そうね。そうかもね。だとしたら、ずっとわたしはだまされてきたってことかー! でも、確かに、彼はそう思ったのかもね。そして、リユくんの力を借りたけど、今日、たどり着けたわけだし。あ、そうだ。大事なことを言うのを忘れてた」

「なんですか?」

「あの山荘にたどり着けたら、カミングアウトしようと思ってたの。ずっと苦しかったから。あの山荘の写真を見た時、わたしもああいう風に解放されたいと思ったのよ。もちろん今日見せてもらった部屋のように囲われている場所があってもよくて、すべてを他人にさらけ出す必要はないと思うけど、やっぱり知ってもらわないといけないことは知ってもらいたいし、そうしないとちゃんとした人間関係が築けないと思うから」

「山荘の前での涙はそういうことだったんだ……」

「うん」

「じゃあ、帰りの車の中での涙は、その重荷みたいなものから解放された涙ですか?」

「たぶん、そうだと思う。だからリユくんはもう、わたしにとってかけがえのない人になったのよ」

「そんなこと言われたの、かーちゃんを除けば、たぶん初めてだ」

「だから、これからもよろしくね」

「はい。俺こそ」

 ケーキをふたつずつ食べて、小さなマグカップで紅茶を4杯くらいずつ飲んで、お祝いとお話し会はお開きとなった。


 自分の部屋に戻って、美那にメッセージ。

<――昨日、美那と電話した後、もうひと頑張りして、例の山荘の資料を見てたら、大発見! そしてついに今日、有里子さんの探していた山荘にとうとうたどり着いた。さらにはそこに建築家がいて、いろいろ話もしたぜ! 建築に興味を持ったら事務所に遊びにおいでとか言われちゃった。てか、もうかなり興味を持ち始めてる。もしかすっと、そっちの方に進むかとも思い始めたけど、文系コースじゃん……今から変えられんよな。

――>うわ、すごいじゃん! やっぱ、カイリーユ。さすがだね。建築は理系か……今からじゃ変えられないよね。1年の時、コースは変更できないから、よーく考えるように、って言われてたもんね。独学して外部受験とか?

<――というか、俺、前期末でも理系は良くなかった。実は数学をやり直そうと思ってさかのぼったら、中学からやり直しが必要だと言うことが判明。

――>あの代数の先生ね……リユ、嫌がってたもんね。やたら問題を数多くやらせる教師とわりと熟考じゅっこうするタイプのリユ。運が悪かったよね。でもよかったら、わたしも協力するから。

<――サンキュ。わかんないとこがあったら、頼むわ。

――>了解。じゃ、おやすみ。

<――おやすみ。


 7月28日、日曜日。

 今日はちょいゆっくり目の7時出発。飯田市の朝は曇りだけど、曇りのち晴れの予報だ。

 ホテルから車で40分ほどのところにある小笠原資料館に向かう。職員さんに対応してもらって、開館前に内部を撮らせてもらう。8時ごろには晴れ間が出て、外からの撮影。わずかに弧を描きながら横に長いシンプルでクリーンな感じの建物だ。江戸時代の建物とセットになっていて、そのコントラストも面白い。

 次はホテル近くに戻って、美術博物館、飯田高羽合同庁舎というお役所の建物をザクッと撮影。

 それから最後は高速道路沿いに北上して、千曲川ではなく天竜川を渡って、山の中の美術館を訪問。昼前までに撮影を終えた。

 これで撮影の全行程は終了だ。

 高速道路に入る前、駒ヶ根駅近くの国道沿いにあったインド・ネパール系のカレー屋さんでランチ。

 駒ヶ根ICから中央自動車道に乗って、諏訪ICで降りる。軽井沢に帰るだけなら一つ手前の岡谷ICでいいのだけど、有里子さんが諏訪大社の残りの二社も行っておきたいと言うので、諏訪ICで出て、上社本宮と下社秋宮にお参りする。

 秋宮から出るときに弱い雨が降り始めたけど、本降りになる感じではない。

 そこからはぱっとしない空の下、ひたすら国道と県道をつないで軽井沢に戻る。

 初日に寄った中軽井沢駅近くのスーパーマーケットに寄る。車を降りると、空気がむわっとして、軽井沢にしてはずいぶん湿度が高い感じ。そこで夕食用の買い物を済ませる。おみやげに、かーちゃんと美那へのジャムを3つずつ、サスケコートの杉浦さんにはジャムと蕎麦を購入した。

 長谷部家の別荘に帰り着いたのは7時近くだ。

 スーパーで買ったお惣菜とパン、それと冷蔵庫の残り物で作ったスープが、最後の夕食のメニューだ。

 8時過ぎに食事を始めたら、やがて外から雨の音が聞こえてきた。

 一度止んだと思ったら、9時前に激しい雨になる。

 雷鳴がとどろき、大きな雨粒が地面や窓や屋根や草木を叩く音が響く。

 稲妻が夜を照らす。

 有里子さんとふたり並んでソファに座って、窓の外を眺める。

 その雨も2、30分で終わり、あとは名残のような雨が時折落ちる程度になった。

「そろそろ梅雨明けかしらね」

「今日で撮影が終わりなのに……」

「蒼山さんとも話したけど、梅雨の合間を縫って晴れたタイミングで撮れたから、すごくラッキーだったわ。取材は大成功って感じよ!」

「それならよかったです。なんか俺が雨男みたいだったらやだなー、って」

「むしろ、奇跡を呼ぶ男、カイリーユって感じだけど?」

「そうすか?」

「そうよ」

 夕飯の片付けをして、風呂洗いをして、本日の仕事は終了。

 有里子さんが風呂に入っている間、ハンドリング練習。そして、美那にメッセージ。

<――今日で撮影は終わり。明日には帰れる。早くサスケコートで美那とバスケしてえ。

――>おつかれ。帰りは何時頃?

<――まだはっきりしないけど、たぶん3時頃。

――>了解。じゃあはっきりしたらまた教えてね。

<――ウッス。

――>それじゃ、おやすみ。

<――おやすみ。


 翌朝はゆっくりのはずが、朝の5時半に有里子さんに叩き起こされた……。


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