2-1 特別な存在
俺はたぶん、その場に10分くらい立ち尽くしていたんじゃないだろうか。
香田真由とのメッセージのオトモダチ交換。しかも彼女の方から。
しかもなんだよ、あの可愛さ。
こういう場合、こっちから連絡した方がいいのか? でもなにを? 夏休みに会いませんか、とか?
そういや、夏休みになったら会えなくなっちゃうから、とか言ってなかった? 最近図書室に来ない、とか言ってたけど、俺と会うのを楽しみにしていたのか?
いや、きっと美那が、香田さんがB組の前を通る時に俺を目で探してたとかなんとか、変なこと言ってたから、バイアスがかかってるに違いない。
気がつくと、俺は家の食卓に座って、昼飯を食っていた。俺の前にはかーちゃんが座っている。ご飯と味噌汁と切干大根の煮物と肉じゃが。
「さすがに前期末の結果があれだけいいと、通知表もまあまあだわね。今までで最高じゃない」
「え? なに?」
「あんた、大丈夫? ここんとこ急に飛ばしてたし、熱でもあるんじゃないの? もうすぐアルバイトもあるんでしょ」
「ああ、ああ。なんだっけ。あ、成績ね」
「顔色は悪くないどころか健康そのものね。でも今日はバイクに乗るのはやめておきなさい」
「ああ、うん」
自分の部屋で、香田さんのことをあれやこれや考えながら、気がついたらバスケットボールをイジっていた。なんかもう癖になってる。テニスを熱心にやっていた時と同じ。
しかしな、まさかな。それとも成績が上位だったから? いや、美那の母親じゃねえしな。図書室限定とはいえ、以前から少しは話をしてたし。まあ真ん中に埋もれてるときよりは人前で話しかけやすいよな。
〝おい、香田さんが、あの大飛躍の森本と話をしてたぜ〟とか言われるほうが、〝あの香田さんがなんであの冴えない森本と?〟とか言われるよりいいもんな。
でもそういうタイプでもない気がする。少しは誰にでもそういうところはあるにしても。
ああ、くそ、悶々としてる。サスケコートに行って、ひと汗流してこようかな? いまならまだ雨が降ってないし、降っても今日はたいして降らないみたいだし。
というわけで、サスケコートでひとり練習だ。とにかくハンドリングとドリブルをもっと上達したい。思い通りに、イメージした通りに動きたい。
それに加えて、ベースライン付近のサイドからの2ポイントシュートの練習。いままでは、ボードに向かって投げられるアーク頂点辺りからは打っていたけど、横からは距離感がつかみにくくて打っていなかった。正確なラインの位置がわからないから、その辺は適当に。いずれどうにかしないとな。ゴールの左側から打つと外したときに奥にある車庫のシャッターにボールが当たってしまうので、今日は右側からだけ。でも、ボールはひとつしかないから、外すとボールを取りに行かないといけないので大変だ。美那が一緒の時にやったほうが効率的だな。
ボールを取りに行くついでに、ステップの練習。前に進むスピードを変化させたり、横に飛んだり、くるっと一回転したり。端から見たらちょっとヤバい奴に見えるかもしれない。
途中で少し雨が落ちてきたものの、3時過ぎから5時ごろまでひとり黙々と練習した。
帰り際に挨拶をすると、ご主人が珍しくバスケの質問をしてきた。
「里優くんがやってるのは普通のバスケットボールと違って、スリー・エックス・スリーというのだったよね」
「はい。3人対3人で普通のコートの半分くらいのコートで試合をします」
「半分くらいということは、ただ半分にしただけではないということ?」
「ええ。たしか普通のコートは縦の長さが28メートルくらいで、3x3は11メートルです。ちょっと正確な数字は覚えていませんが、半分より短いことは確かです。ちょっと調べてみましょうか?」
俺はポケットからスマホを取り出した。
「もしよかったら、両方のことがわかるように、インターネットのページをあとで送ってくれないかね? 簡単に違いをまとめて知らせてくれると助かる」
「ええ、もちろんいいですけど……」
「昨日だったかな、息子と電話で話していたら、君たちの話になってね。息子が3x3に興味を持って、そんなに熱心にやってるなら、日本に帰ったとき、一緒に遊んでもらおうかな、と言ってたよ」
「そうなんですか。それはもう是非。僕たちはなんのお礼もできないし」
「そんなことは気にしなくていい。それから、アルバイトでここに来られなくなるのは、22日から29日までだったかな?」
「はい。来週の月曜日からその次の月曜日までです」
「うん、わかった。それじゃ、気をつけて帰ってください」
「はい。ありがとうございました」
バスケですっきりすると、香田さんの件は少し自分の中で落ち着いてきた。たぶん深い意味はなくて、友達のひとりとして認められたということなんだ、と解釈することにした。こんな俺でも多少の存在感はあるってことだ。
杉浦さんに頼まれたバスケットコートの違いについて調べる。
3x3のルールブックに記載されたプレーイングコートの記述を読み込み、5人制のコートも調べて比較して、バスケットボール関係のサイトも参照しつつ、縦のサイズ以外はほぼ同じであることを確認した。それらの情報を整理して、杉浦さんにメールで送信した。
全部で2時間くらいかかった。大変だったけど、サスケコートなしでは今の俺はないわけだからせめてものお礼になるし、おかげでプレーイングコートに関しても知識が身についた。そもそもプレーイングコートと呼ぶなんて初めて知った。
美那には「今日はサスケコートでドリブル&ハンドリング+横からの2ポイントの練習をした」とメッセージを送っておいた。
9時ごろに美那から返信があった。
――>頼んだぞ、カイリーユ! 明日は1日雨っぽいから練習はなし。午後に家に行くかも。
なんだ?
カイリーユだ?
そうか、カイリーとリユを合成したのか。悪くないじゃん。
7月20日土曜日。
夏休み初日だというのに、朝から雨。一日中降ったり止んだりしそう。
梅雨が永遠に続くのでは……と不安になるよ。いままでで最高に梅雨明けの待ち遠しい夏だ、今年は!
有里子さんからメッセージがあった。梅雨はしばらく明けそうにないけど、予定通り22日に出発とのこと。苦肉の策で、雨を利用して逆にしっとりした写真を撮ることにしたらしい。朝10時に家に迎えにきてくれるという。未成年を預かるのでできればお母様に挨拶したいから伝えて欲しい、とのことだ。
ああ、未成年か。このところ親の承諾書ばっかだな。まだ自分の責任を取れないガキってことかよ。くそ。
この間も、前田俊の野郎にガキ呼ばわれされるし。むかつく! あいつ、絶対、大会ではけちょんけちょんにしてやっからな。
で、前田がやっていたというフリースタイルバスケの動画を検索してみた。
フリースタイルバスケの世界チャンピオンというハーフっぽい日本人は、亀梨と山Pと木村文乃さんのドラマに出ていた、女優・満島ひかりの弟に似たイケメンだ。そいつが繰り出す技はほとんどマジック。マジシャンはモテるっていうし、こんな奴にこんな技を披露されたら……。美那があのクソ前田を好きになっちまったのも、こんなのがあったのかなぁ。
実戦でどの程度使えるのかはわからないけど、幻惑されてもおかしくはない。逆にこいつらの技を取り込めれば、ディフェンスを振り切るのも少し楽になるってことか。
午後2時すぎに美那が来た。なんか最近、俺ん家に入り浸ってねえか? 相変わらずかーちゃんは大歓迎してる。
問題がひとつ。
確かに今日は蒸し暑いけど、美那のやつ、えらく短いスカートを履いてきたうえに――階段で見上げたら絶対に中が見えるっ!――、そんな格好で平気で俺の部屋に入ってくる。
「サスケコートのライン、どうにかしたいよね。2ポイントの練習はどうやったの?」
「メジャーもなかったし、目分量。まずはボードがないのに慣れようと思って」
「おー、さすが、カイリーユ!」
「実は俺、けっこうそれ、気に入っちゃった」
「でしょ? ぜったい気に入ると思った。昨日、カラオケしてる時、思いついたんだ」
「おまえ、仲間とカラオケしてる時までバスケのこと考えてんのかよ。ビョーキだな」
「だって退屈なんだよね、最近、友達と遊んでても。この間の練習試合のこととか思い出してた。部活以上に楽しかったんだもん」
「へえ。そうだ、2ポイントと言えば、オツさんはどうしたんだ? キャプテンの命令。ノルマ、達成できなかったじゃん」
「ああ、それね。まあわたしの命令はチャラにしてあげた。そのかわりすごく練習してるって、ナオさんが言ってた。実際さ、3x3は5人制と動きがけっこう違うんだよね。長くやってる分、オツさんもわたしもまだ戸惑いがあるっていうか。その点、リユなんか自由に動いてかえって羨ましいくらい」
「へー、そんなもんか」
ちょっと、美那さん、俺のベッドに座って、その短いスカートで脚組むのやめましょうよ。目のやり場に困るから。自分がかなりイケてる女子高生ってことを俺の前でもちゃんと自覚してください。お願いですから。
「そ、そういや、次のチーム練習とか練習試合とか決まってないの?」
「ああ、そうだった。練習試合はね、8月4日の日曜日。オツさんのツテ」
「うわ、あぶね。ライディングスクールとぶつかるとこだった。8月3日だよ。言ってなかったけ?」
「聞いてないと思う」
「そうか。よかったー。ついでに言っとくわ。もう一回が8月17日土曜日だから」
「わかった」
美那は、カレンダーも共有した方がいいかなぁ、とつぶやきながら、スマホの、おそらくはカレンダーに入力している。
「チーム練習か。こう雨が続いてると、場所が困るよね。また体育館とか室内を借りなきゃなんないからなー。晴れてれば、予約なしに使えるコートもあるんだけどね。近場だと野毛山公園とか。そうか新横浜なら高架下だから雨でも使えなくはないか」
「でも、やっぱ大会に合わせて体育館の方がいいんだよな」
「そりゃね。でも公立の体育館って、全員がそこの住民とか勤めてるとかじゃないとダメだったりするんだよね」
「世知辛いな。でもまあそこの税金で運営してるんだろうからな」
「ねえ、リユはどう思う? 自分たち4人だけでチーム練習して、どのくらい意味があると思う?」
「そうだなぁ、言われてみると、それほどの効果はないような気はするな。練習は2回しかしてないけど、この間の練習試合ではそこそこコンビネーションはよかったよな」
「うん。わたしもそう思う。まあわたしとリユ、オツさんとナオさんっていうそれぞれのパートナーと、それ以外の組み合わせで比べるとやっぱり違うと感じるけど、1回や2回の練習でどうなるもんでもないって感じだよね。実戦にはぜんぜん敵わない」
「俺もそう思う。俺なんか、美那のすることが、おそろしいくらいわかっちゃうもんな。お前もそうだろ?」
「うん。なんか不思議だった。それ、オツさんも驚いてた。お前らのコンビネーションはいったい何なんだって」
「いや、サスケコートでの練習の成果でしょ。もうふたりでどのくらい練習したんだろ」
美那が突然黙り込んで、俺のことをじーっと見てる。
「ねえ、リユって、能力者?」
「え、なに言ってんの。そんなわけねえだろ」
「だよねー」
と、美那は言って、ふつーの顔に戻る。
そしてまた黙って、何かを考えている風。
「どうかした?」
「別になんでもない。だけどバスケ部であれだけできたら全国行けそう」
「そうすりゃいいじゃん」
「でもあれだけ一緒に練習してるけど、あんな風にはできないんだよね。もしかして、わたしとリユって特別なの?」
「えー、そんなことないんじゃね? まあ長いことは長いけどなぁ」
「そうだよね。気のせいだよね」
「あ、お前、知ってる? 今、〝気のせい〟って否定的に使っただろ? つまり〝気〟なんてものは幻想に過ぎないみたいな? だけどさ、日本語には〝気〟を使った言葉って、すげーたくさんあんのな。だからあながち〝気〟の存在を否定できないんじゃないかと」
「たとえば?」
「気に入る、気になる、気に病む、気を配る、気を抜く、とか、活気とか気配とか」
「確かに! そっか。ってことは、わたしたちは特別ってこと?」
なぜか美那が嬉しそうな顔をしている。
「それはわかんねえけど、まあ一緒にいて飽きるってことはないよな。話もぜんぜん途切れないじゃん」
香田さんとは、ブツブツ切れまくりだもんなぁ。お付き合いしたりしたら変わるのかなぁ。あんまりそういう気はしないなぁ。あ、ここにも〝気〟が……。
「中国の気功とかもそういうやつだよね?」
「ジェット・リーとかな。太極拳とかもそうなんだろうな」
「あ、わたし、『少林少女』って日本の映画、観たことある。柴咲コウが少林寺の達人かなんかで、ラクロスで活躍して、最後は学園の黒幕を拳法で倒すみたいな」
「なんかよくわからんけど、まあなんとなく想像はできる」
「ねえ、ところで、タンデムっていつしてくれるの?」
「だからそれはまだだいぶ先だって。やっと公道で乗り始めたばかりだぜ。ひとりがやっと。でもまあ、かーちゃんのおかげでライディングスクールに行って鍛えられたから、驚くほど上達したけどな。でもいずれにせよ、誕生日を過ぎないと免許取得1年経たないから、道交法的にもタンデムはできないの」
「じゃあ、8月23日を過ぎたらOKってこと?」
「実際に免許が取れたのは8月30日だから、それを過ぎたら道路交通法ではOKだけどな。でも技量の問題があるだろ。お前乗せて、事故でも起こしてみ? たとえ生きててもかーちゃんに殺されるわ」
「そっかぁ」
なんでそこまでがっかりした顔をする、山下美那!
「そんなに乗りたきゃ、タカシ兄ちゃんに頼めよ」
「リユじゃなきゃ、イヤ」
「ちょっと待て。おまえ、そんな、わがまま甘えんぼキャラだっけ?」
「わたしだって、少しは可愛らしいところ、あるんだから」
「そりゃ、そうだけど、今のはちょっと違和感」
「もういいよ。じゃあタンデムできるようになったら、乗・せ・て・よ・ね!」
「わかったよ。でもお願いだから、もうちょっと待ってて」
「うん」
なんか今度は急にしおらしい感じ。なんかあったのかなぁ、家で。
「もしかして、また家でなんかあった?」
「ああ、うん。ついに具体的に動き出したみたい。お母さんが実家と電話で、弁護士を立てるとか、調停がどうしたとか、そんな話をしているのが聞こえてきちゃった」
「そうか……」
「もしかするとお母さんは、離婚したら実家に帰ろうと思ってるのかもしれない」
「そしたら、お前、お母さんについて行って、転校しちゃうとか? それはヤだな」
「そうなの? 別にわたしなんていなくても、バイクもあるし、香田さんもいるし、いいじゃん」
香田さん、か。
でも、美那とは違うんだよなぁ。
そういう意味じゃ、俺にとって美那は特別な存在なんだよなぁ。
「最近、時々、感じるんだよ。この1カ月は毎日のように連んでるけど、小学校以降はあんまり話もしなかったじゃん? ま、年に1、2回はあの喫茶店とかで話はしたけど。でも、俺は美那の存在をずーと感じていて、それでなんか安心して生きてきたのかなぁー、って」
「へぇー、そんな風に感じてくれてたなんて、意外ー。まあでも、わたしもそういうとこは、あるかな?」
「ほう、そうかい。それはまたもっと意外だな」
「まあ、そう言われてみれば、そういう〝気〟がする、って程度だけど」
いま俺が言ったことはほんとの本音だけど、美那がどこまで本気にしているかはわからない。でも少なくとも安心したような表情はしている。
親は親で自分の人生を生きるのに必死なんだろうけど、その波をまともにかぶる子供はもっと必死なんだよな。親から独立したらしたで大変なんだろうけど、美那が早く独立したいってこの間言っていたのも、俺にはよく理解できる。
「じゃあ、わたし、そろそろ、帰ろうかな」と、美那は言って、立ち上がった。美しい御御足が目の前に! この場合、御御脚? なんかわかりにくい漢字。
「ああ、うん。あのさ美那、あんま短いスカートで来ないでくんない? ちょっと困ると言うか……」
「なんで? かわいくない?」
「逆だから、困るって言ってんの。俺だって男なんだからさ」
「はいはい。わかりました。気をつけます」
「送ってこうか?」
「え? あ、まだ早いしいいよ。ありがと」
俺はかーちゃんと美那を玄関まで見送った。美那は嬉しそうに笑って帰って行った。
「なんか最近、美那ちゃん、女らしくなったわよね」
「ああ、この1年くらいな」
「この1カ月くらいよ。あんたと連んでるっていうの? しょっちゅう一緒に行動するようになってから」
「そうなの?」
「そうよ。もしかして、里優くんを男として意識するようになったとか?」
「からかうなよ。ま、いろいろあるんじゃねえの?」
「今日、夕飯お願いできる?」
「ああ、いいよ。雨で暇だし」
「じゃあ、お願い」
そう言ってかーちゃんは自室に戻って行った。最近また仕事がちょっと忙しいらしい。来週は俺はバイトでいなくなっちゃうから、申し訳ない。




